太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

短歌人4月東京歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

毎週、何かしらのイベントに足を運んでいるものの、気がつくとレポートをため込んでしまい反省の日々です。

4月9日に短歌人4月東京歌会に参加しました。

この日も多くの方が集まり50首を超える歌を活気を持って評をしあいました。また、新編集委員の4名の方が一堂に会するという意味でも、充実した会となりました。

わたしはその前の週に行ったお花見の景を詠んでみましたが、着地に少し無理があるなと思っていたことを、きちんと指摘していただき、やはり歌会の場に歌を出すことの大切さを実感しました。

発言は、前半は食いついていく姿勢を見せたものの、自分の担当の第一評がうまく読めなくて、気勢をそがれた感じで終わってしまいました。時間が押してきていますと言われたときに、端的な評ができるようになりたいです。

そして、研究会のテーマは『震災のうた』という河北新報宮城県の地方紙)に寄せられた投稿短歌をまとめた歌集でした。生死をあつかう非常に重い歌、大変な中にもささやかな喜びをうたう歌などあり、また昨年の歌から震災は現在進行形なのだということを改めて突きつけられました。

被災地に住めども我は被災せず避難所の前足早に過ぐ

励ましの言葉ですよね「頑張ろう」はテレビ画面に耐えられず切る

「大川小」の文字目にするとき教師らの判断責め得ず元教師の吾は

変わり果てた町となりしもカーナビは津波で消えた店へと案内す

不夜城に酔い痴れる街無人の町送電線は差別も送る

受け入れを拒否され帰り来る瓦礫人も東北を出てはならぬか

漂流物を医院のテレビで見し少女「じいちゃんもカナダにいるかも」

震災を風化させてはならぬとか観光バスからデジカメさげて

仮設にて戦争知るは吾一人テレビで安保の行方見詰める

海の街は海見えてこそ海の街防波堤はほどよき高さに 

読んでいていくつか気になったことです。

①事実・実景の重さが付きつけるものと詩型の持つ浄化作用の相互関係。

②心情・本音が出てくるまでのタイムラグは人それぞれである。

③被災地にいながら被害が少なかった人には負い目がある。

④安否がかかわる映像はすべて編集でカットされていたということ。

被災者に成り代わって詠んだ歌の歌意を汲もうとして、震災当時のリアリティを追体験するためにVTRを見て検証したという試みは、もしかすると根幹の部分で本質にはたどり着けなかった可能性があるかもしれないと感じました。

夏韻集首都歌会とお花見に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

 

今朝は9時から夏韻集首都歌会でした。

3か月に一度、大辻さんが上京して開催してくださる歌会に参加しています。夏韻集の方々はもちろん、未来のほかの欄の方々、さまざまな結社や無所属の方々との交流も楽しみな時間です。記名詠草を各自が持参して、お互いの評を聞きあうスタイルなのですが、緊張の中にも読みへの信頼が感じられて、評をすることの価値を思い返す機会となっています。

今回は新しい歌を出そうと思っていたのですが、エッセイや書評などに追われて、攻めてない歌を置きにいってしまった感があって反省でした。

歌会全体を通して、焦点を絞ることと雰囲気に頼りすぎないことが大事だと改めて実感しました。やはり自分自身の言葉で文体を作っていきたいものです。

 

普段は歌会のあとはご飯を食べつつ延長戦となるのですが、今日は漂流歌会の皆さまと井の頭公園でお花見をしてきました。ゆるゆると短歌の話やいろいろな話をするのもまたよい時間でした。はじめてお会いした方とも和やかに話ができるのは、開催してくださったショージさんの人柄だなあと改めて感謝です。手ぶらで遅れてきて片づけもせず帰ってしまい、何ともすみません。

歌会もお花見も楽しくて、あっという間に時間が経ってしまいました。お会いした皆さま、素敵な時間をありがとうございました。

 

f:id:seijiota:20170402210518j:plain

短歌人2017年4月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年4月号 会員2(太田青磁)

雨の日は一回休みというサイン(心の声はいつもただしい)
不安にて眠れぬ夜は辛けれど起こされる妻はさらに辛かり
どうして早く寝ようとしないとまっとうな怒りの声にうずくまるわれは
言い返すことはできずに激高を自動改札に叩きつけるわれは
友の誘いは断れないのが悩みだと それは遺伝だ申し訳なし

2017年2月号掲載の歌をSelectionに選んでいただきました。

眠れない夜を数える 眠らない夜を数える 闇の中にひとり

エリさん選歌をありがとうございました。

 (教えるは数えるの誤植です)

 

短歌の感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

第4回漂流歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月25日土曜日に漂流歌会に参加しました。漂流歌会は3回目の参加なのですが、比較的自分と作風が違う方が集まり、和やかにスイーツを楽しめる歌会なので、今回も楽しく参加しました。

今回は「全角英数字を含む歌」という題でした。参加者の評でも題の使いこなし方が話題になりました。

卒業をともに祝わん講堂に「G線上のアリア」響かせ(太田青磁)

3月ということもあり、自分の卒業式でオーケストラの友人たちと弾いた演奏シーンの回想を出してみたのですが、主体がどこにいて、何をして、どんな気持ちなのか、がうまく伝わらず、焦点のぼやけた歌になってしまいました。

出すときにどうかな、と思ったところはきちんと指摘してくださるので、歌会に出るのはとてもよい経験になります。事前に詠草を確認してからの歌会だったので、曲名を調べてくださった方がいたのもうれしかったです。

スイーツは「キャラメルバナナパフェ」という暴力的に甘いやつを頼みました。

歌会のあとは懇親会で楽しくのんでから紀伊國屋書店に寄って解散という贅沢な一日となりました。

ショージサキさん、ご参加された皆さま、どうもありがとうございました。

f:id:seijiota:20170326105222j:plain

 

北原白秋『桐の花』

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

最近、近代の短歌を読みなおそうという気運が高まっており、友人数人と読書会をしています。

『桐の花』は白秋の第一歌集ですが、すでに二冊の詩集を出しているということもあり、短歌という詩形で歌いたいモチーフが明確にあるような印象を受けました。リリカルでくっきりとした景が浮かぶ歌は、物足りないと感じる人も多いのでしょうが、その愛唱性はやはり際立っていると思います。好きな歌をいくつか。

■動物

春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に火のいる夕べ
日の光金糸雀(カナリヤ)のごとく顫ふとき硝子に凭(よ)れば人のこひしき
アーク灯点(とも)れるかげをあるかなし蛍の飛ぶはあはれなるかな
青柿のかの柿の木に小夜ふけて白き猫ゐるひもじきかもよ
梟はいまか眼玉(めだま)を平くらむごろすけほうほうごろすけほうほう

■植物 

ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日
魔法つかひ鈴振花の内部(なか)に泣く心地こそすれ春の日はゆく
君と見て一期(いちご)の別れする時もダリヤは紅(あか)しダリヤは紅(あか)し
烏羽玉(ぬばたま)の天竺牡丹咲きにけり男手に取り涙を流す

■楽器

銀笛のごとも悲しく単調(ひとふし)に過ぎもゆきにし夢なりしかな
すずやかにクラリネツトの鳴りやまぬ日の夕ぐれとなりにけるかな
にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出
病める児(こ)はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(はた)の黄なる月の出

■色彩・比喩など

わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり
金口(きんぐち)の露西亜煙草のけむりよりなほゆるやかに燃ゆるわが恋
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
美しく小さき冷たき緑玉(エメラルド)その玉掏らば哀しからまし
時計の針Ⅰ(いち)とⅠとに来るときするどく君をおもひつめにき 

北原白秋歌集 (岩波文庫)

北原白秋歌集 (岩波文庫)

 

 

短歌人3月東京歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月18日の土曜日に短歌人の東京歌会に参加しました。

1月は新年歌会、2月は勉強会だったので、通常のスタイルの歌会は3か月ぶりです。はじめて東京歌会に参加したのが、2015年の3月だったので、成長できてるのかという問いはともかく、ようやく2年が経ったという実感がある歌会でした。

この日は詠草56首といういつもに増して盛り上がりを見せ、たくさんの歌をたくさんの切り口で鑑賞することができました。

新たに編集委員になられた本多稜さんの端的な評や、自分が型にはまった読みをした歌に対して斉藤斎藤さんの歌の捉え方を伺うことができたりと、新たな体制を実感する機会でもありました。

わたしの歌は実は、ギリギリにあわてて詠草を出したところ表記を誤読される(かな→かは)という失態を演じてしまい、結句の読みに紛れを生じさせてしまい反省しきりでした。

今回は、勉強会でお誘いした方や別の歌会でご一緒した方が見学にいらしていただいたり、久しぶりに来てくださった方がいたり、最近入会された方が活発に発言してくださったりと、今までの短歌人の歌会の雰囲気のよさを残しつつ、新たな風が吹いてくる感じがしています。歌や評、運営で場を盛り上げていけるよう、精進せねばと思う一日でした。

研究会や懇親会も顔を出したかったのですが、家族の協力があってのことなので今回は後ろ髪をひかれつつ歌会のみで帰りました。

参加された皆さま、見学していただいた皆さま、どうもありがとうございました。

とちおとめ歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月5日に宇都宮で開催された、とちおとめ歌会に参加しました。

普段都内で歌会をすることが多いので、遠征は楽しみでした。あわよくば紀行詠など作れればと思いながら、北関東へ向かったのですが、車窓の風景は思ったより地味でした。。。

昼前に行って餃子でも食べればよかったのですが、改札でカードを持つなどしていたらあっという間に集合時間になりました。

バスに乗って会場へ向かいます。二荒山神社を横目に見ながら、近隣する市の会館の会議室へ行きます。

参加者は東京、神奈川、埼玉からの遠征組と地元栃木、そして隣県の茨城の方の12名、詠草参加の2首を含めて14首の歌会となりました。

題は「パイプ」または「煙」です。各自2首選をして、選の多い順に披講と評が薦められます。わたしは若きの頃の煙草を吸い始めたきっかけ(違法です)を詠んだ歌を出したのですが、共感いただける方と、ありきたりと言われる方が割れたのですが、いろいろと得るものがありました。

選のある歌会はどうしても初読のイメージを補強するような固定概念にとらわれることが多いのですが、選んだ/選ばなかった理由を言語化することも、大事な読みの姿勢だなと感じました。

歌会はなごやかに進行し、散会となったのですが、牧水の歌碑が近くにあるということで、見学をしつつ、牧水といえばお酒が飲みたくなってしまうのも否めない感じです。

遠征なので早めに引き上げようと思いながらも、バーでウイスキーやカクテルを飲みつつ、バーテンダーの方からいろいろと話を聞くことができて、楽しい時間となりました。とちおとめ23号にも認定いただきました。

帰りはほろ酔いの勢いに任せて、贅沢にもグリーン車に乗ってしまいました。短歌の話をしているとあっという間に東京に戻ってくることができ、世代はともかくとして持つべきものは友なのだと幸せなひとときでした。

宇都宮は短歌人の夏季集会の開催地なので、また訪れることができるといいなと思っています。次回は餃子と、そしておいしいお酒をゆっくりと堪能したいと思います。

河野さん、参加者の皆さま、楽しい時間をありがとうございました。

f:id:seijiota:20170311000207j:plain

『洞田』批評会に参加しました。(4)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

『洞田』について、構成や詞書について触れてきたのですが、やはり歌集なので気に入った歌をいくつか引いてみたいと思います。

振りむけばあのひと冬の出来事が綺麗な駅として建っていた
/洞田明子『洞田』(佐々木遥) 

あのひ(あの日)あのひと(あの人)あのひと冬と、イメージが重層的に立ち上がる。冬の硬質な景が綺麗な駅となる様を、振りむいた瞬間に浮かびあがらせるようだ。振りむく、冬の韻も叙情を感じさせる。

イヤホンのLとRを気にしない人も一緒にこれからも駅
/洞田明子『洞田』(佐藤仕事) 

イヤホンの左右が気になる人は音楽を空間的に把握しているのだろうが、気にしない人のおおらかさが伝わってくる。人も一緒にこれからも駅、という時間のとらえ方がどこか明るく感じられて気持ちがよい。

人に貸す本を電車で読み直すときにはじめて見つける言葉
/洞田明子『洞田』(斎藤見咲子) 

本が好きな人ならば誰もが共感してしまう一首。自分の本、読んだはずの本が違う顔を見せるそのときを切り取っている。

本を/電車で、ときに/はじめて

二か所の句割れが独特のリズムを生んでいる。

いちにちの最もながき階(きざはし)を人は昇れり駅という朝
/洞田明子『洞田』(大平千賀) 

通勤の朝を階段の長さに感じている主体が丁寧に描かれている。視点の変化を、四句で切って「駅という朝」という結句で歌いなおしているのがよい。「きざはし」という言葉に重みが感じられる。

四桁の切符の数字たしながらひきながらわりながらなほ待つ
/洞田明子『洞田』(千住四季)

切符を券売機で買って、印字された四桁の数字を組み合わせるという行為にノスタルジーを感じてしまう。「かける」ではなく「わる」を持ってきているのが、待つ時間のあてどなさを巧みに表現している。

改めて、「駅」という題に対して、多くの素敵な歌をまとめてくださった洞田明子の皆さまと、太朗のお二方に感謝です。

図らずも、批評会という場を通して、「私とは」「成りかわりとは」「仮名遣い」とはといった、なかなか正面から考えにくいテーマを考えることができました。

斉藤さん、阿波野さん、大辻さん、花山さんの刺激的な議論を聞くことができたことも、スリリングな体験でした。

拙いながら、『洞田』を読み直した記録です。お時間のある方は下記も合わせて読んでくださると嬉しいです。感想などあればおきかせください。どうぞよろしくお願いいたします。

『洞田』批評会に参加しました。(1) - 太田青磁の日記

『洞田』批評会に参加しました。(2) - 太田青磁の日記

『洞田』批評会に参加しました。(3) - 太田青磁の日記

f:id:seijiota:20170301224057j:plain

『洞田』批評会に参加しました。(3)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

前回からすこし時間があいてしまいましたが引き続き、『洞田』を読んでいきます。

Ⅰ部・Ⅱ部はこちらから

『洞田』批評会に参加しました。(1) - 太田青磁の日記

『洞田』批評会に参加しました。(2) - 太田青磁の日記

 

■Ⅲ部(主に文語旧仮名)

阿波野さん:文体的に短歌に馴染んだ「洞田」が東京・大阪の往還の中で富士(=駿河/戸綿)のことを思う。
大辻さん:文体・修辞の「私」。人の体温を感じる。
花山さん:意味性が後退する。動詞によってバックグラウンドの「私性」を立たせる。 短歌が共有する私。

【富士】

冒頭の一首、車窓に富士を見る。Ⅱ部の【静岡】を受けるような導入。

「大阪」郷愁を誘う歌が並ぶ。リフレインやどこか欠落感のある文体。

「東京」雨や傘をモチーフとした歌が並ぶ。父のイメージ。

「大阪」駅や電車を動きとして描いている。母のイメージ。

「東京」ひかりをイメージして少し明るくなる。富士へのアンビバレントな思い。

「大阪」日の入る、火、待つ、耐える。夏の思いへの追想。

「静岡」父母ではなくきみとわれの世界。「洞田」はひとりではない。

Ⅲ部は文語旧仮名で、一首一首が際立つというよりは、大阪に母を、東京に父を、静岡に戸綿を思い起こさせるようにまとめられている。詞書は地名のみであり、歌を歌として自然に連が作られている。

---------- 

 

ここまで、Ⅰ部からⅢ部の構成を、主にタイトルと詞書から受ける感想を述べた。批評会当日、また事後のタイムラインなどで、いくつかの論点があったと思うので簡単に振り返る。

①「洞田」はひとりの人格なのか。

②「洞田」と「戸綿」の関係性はどうなのか。

③主に仮名遣いの違いで章を構成しているが、どのような効果があるのか。

何かの論拠をみつけだして、こうだと言い切るのはむずかしいが、わたしなりに読んだ感想を記しておく。


①「洞田」はひとりの人格なのか。

100名以上の不特定多数の投稿歌の主体をひとりに決めてしまうというのは、さすがに無理があると思う。一人称の表現(わたし、母、わたくし、わたしたち……)は無数にあり、三人称的な歌もいくつも交じる。「洞田」が見聞きしたものとして、引きの視点を意識した方が読みやすいと感じた。結局、「洞田明子」歌集という装丁でなければ、この歌集をひとりの作品と捉えることはどうしてもむずかしい。

 


②「洞田」と「戸綿」の関係性はどうなのか。

土佐日記「をとこもすなる日記といふものを をむなもしてみんとてするなり」
戸綿日記「洞田(をんな)もすなる短歌といふものを、戸綿(をとこ)もしてみむとするなり」 

男性が女性の文体を借りた『土佐日記』とはジェンダーの逆転があり、「洞田」が「戸綿の目線」になりかわって作品を作っていると読むことができるのだと思う。(石川美南さんも同様の見解を持たれていたようである)

「戸綿日記」の冒頭、「続戸綿日記」の終わりに旧仮名の歌が出てくるのは、この間がフィクション(洞田の脳内世界)とも取れるのではないか。

戸綿日記の「冬」が一首だけ、というのは冒頭の歌と呼応しているのではないだろうか。

視点の変化による構成をイメージしてみた。

Ⅰ部【ほんとうは】
洞田が、自身の過去を回想している。

【戸綿日記】
洞田が、「戸綿の視点で」ふたりの出会いと別れの予感を想像している。

【黄色い線の内側】
洞田が、「戸綿の目に映ったであろう洞田」を回想している。

【続戸綿日記】
洞田が、「戸綿の視点で」洞田と別れたのちの戸綿の姿を想像している。

Ⅱ部
洞田が、いくつかの自分のルーツに関わることを思い起こしている。

Ⅲ部
洞田が、文体を変えてゆったりと父母や昔の恋人のことを懐かしんでいる。

強引に設定を置けば、「洞田」と「戸綿」は入れ子構造になっていると読むことができる。そうするとあまり雄々しくない言葉遣いや、紀行詠が緻密でないことも説明がつかなくはない。伏線の回収のタイミングも、プロット上に置いたのであれば、成否はともかくとしてチャレンジと取れるのではないだろうか。

もちろん、太朗が「洞田」と「戸綿」を並列的に登場させていると読むことも可能なのだが、あくまでも「洞田明子」歌集であり、「戸綿」は「洞田」との関係性によって生み出された「なりかわりの人物」として捉えるのがよいのではないだろうか。詞書やストーリー展開からも、こちらの説を持ちたい。

 

③主に仮名遣いの違いで章を構成しているが、どのような効果があるのか。

明確に旧仮名遣いの歌とそうでない歌(新仮名および表記の差がない歌)を分けるのは、それほどむずかしくはないだろう。だが、明確に新仮名遣いの歌とそうでない歌を分けるのは相当大変だと思う。よって、明確に旧仮名の歌を用いてⅢ部を構成していつつ、キーになる歌を抜粋してⅠ部、Ⅱ部に置いたのではないだろうか。

旧仮名を使う(それを正しく使いこなす)ということは、短歌の基本的なフォーマットに乗って作品を作るというオーセンティックな方法論を意識的に選んでいるように思う。この歌集でも実験的な歌は比較的口語新仮名の歌に表れていた。

短歌のモードに従って文語や旧仮名遣いを調べながらひとつひとつの言葉を選んで作られた歌は、発想をそのまま歌にできる口語の新仮名遣いに比べると、まとまって読みやすいという意見は確かにうなずけるものであった。完成度という観点からも、Ⅲ部の粒が揃っているのは、旧仮名遣いを使いこなせる作者の作品が並んでいるからともいえるのではないか。文語でゆったりと歌うことによって、単語そのものの意味からの解放があるということは、「太朗」がⅢ部に意味的な詞書を付与していないことも、傍証となるのではないだろうか。

これは、あくまでも『洞田』の作品中の比較であって、一般的な仮名遣いと文体の違いについてはより丁寧なアプローチが必要であろう。

 

まとまりのない感想となってしまいましたが、ここまでお読みくださった方に感謝です。改めてタイトルや詞書をひとつずつ見返すことができたのは、批評会のパネリストの皆さまと「太朗」のお二方のおかげだと思っています。

 どうもありがとうございました。

f:id:seijiota:20170301224057j:plain

『洞田』批評会に参加しました。(2)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

引き続き、『洞田』を読んでいきます。

Ⅰ部はこちら

『洞田』批評会に参加しました。(1) - 太田青磁の日記

 

■Ⅱ部(主に口語新仮名)

阿波野さん:「洞田」が就職してからの時間は流れるが、大きな物語はなく、モードの似た歌で連作を構成。
大辻さん:トポスと「私」(「祝福の鈴」「明子の明」「止まり木」)場所を立脚させ定点観測しているかのよう。
花山さん:前半から後半へ、歌の質の変化がある。成熟のごとき変化。(根本的には同じなのに)

【列】
「就職」通勤風景を描いたと思われる都会の歌で構成されている。異彩を放つ歌も含まれる。比較的息が長い一連となっている。

「大阪、伊万里筋線」中澤系のオマージュ、一字空けを使ったライトな表現の歌をまとめる。

「ネームプレートに「ヤスヨ」とある」二度目のヤスヨはさらにパワーを増している。

「東京、千代田線」戸綿への心寄せととれる雰囲気のある景を立ち上がらせる。

「母方の祖母が亡くなる」この詞書は説明的に感じる。最後の四首のうち三首も詞書がつくと、どうしても編者のストーリーに持っていかれてしまう。

【明子の明】

「母に聞いた話である」関西の駅、昭和な郷愁を感じさせる一連。

「昭和60年10月16日、阪神タイガースが二十一年ぶりにセントラル・リーグ優勝」
「一番真弓、二番北村ときて、三番バースの代わりに道頓堀川へ投げ込まれたカーネル・サンダース人形、そして父も……」
飛び込みの歌をコミカルに仕立てるための仕掛けがきいている。わかる人にはすごくわかるけれども、わからない人にはさっぱりわからないと思う。編者がいちばん楽しんだところだろう。

「明子の明は、当時の阪神の一番打者で、その後監督も務めた真弓明信の明から取ったという」ルビのある歌の個性をうまくまとめたなと感じる。

【祝福の鈴】

詞書はない。比較的ローカルな駅の抒情のある歌をあえてストーリーにのせない形でならべている。祝福の鈴ではじまり、祝福の鐘で終わる。白いホームではじまり、白木蓮と白杖で連をまとめている。

【静岡】

一首のみ。戸綿の故郷のうた。きみは戸綿を思ってなのだろうか。

【止まり木】

人生を感じる一連。死をモチーフとした歌や死を海に仮託した歌が並ぶ。

平成27年3月14日、北陸新幹線開業」
平成28年1月31日、阪堺電車上町線住吉公園駅が廃止となった」
「前日の運行日は、例によってマニアが殺到したそうだ」
後ろの二首は鉄道に詳しい作者につけられた詞書。それをうけて、日付入りで北陸新幹線が描かれる。一首だけだと弱いので、富山や柿の葉寿司など北陸の歌を集めてもよかったかも。

「こんな夢をみた」ブラックな内容をシュールにまとめるための詞書と思われる。旧仮名が一首混ざるが、海と墓のテーマが大きくここに置きたかったのだろうと思われる。

「向こう側から森山直太朗間宮祥太朗が手をつないで歩いてくる」太朗への挨拶歌。これを洞田の夢として読むのは少しつらいのではないか。

「君と旅行」前の歌からの流れとは思うが、ここはチープな印象。Ⅰ部に「日本中を旅した」とあるのでどうしても既視感を感じてしまう。

「ネームプレートに「ヤスヨ」とある」三度目のヤスヨはどうだろうか。旧仮名が入るとテイストが変わってしまう。なぜここなのか。突き抜けた感がないと物足りなく感じてしまう。

ICOCAの歌で結ばれる。やはりⅡ部のテーマは関西なのだろう。I部の終わりをSuicaにするというまとめ方もあったのではと思う。

 

Ⅲ部に続きます。

――駅に始まり、駅に終わる、洞田明子の第一歌集。231首を収録。――

f:id:seijiota:20170301224057j:plain