太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

『洞田』批評会に参加しました。(1)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

2月25日に洞田明子として、『洞田』批評会に参加しました。

染野太朗さんと吉岡太朗さんが立ち上げたユニット「太朗」が、題詠「駅」を募集して、集まったすべての歌を一首も落とすことなく再構築された歌集が『洞田』です。

歌集批評会は司会に斉藤斎藤さん、パネリストに阿波野巧也さん、大辻隆弘さん、花山周子さんというとてもぜいたくな顔ぶれで開催されました。

批評会当日は、近代短歌の「私」に対する果敢な検証というテーマを深く理解できませんでした。歌集が参加型の「エンターテイメント」だと無条件に思っていたところがあったので、今回自分の感想を書くにあたり、レジュメや発表の内容をもとにして、もう一度『洞田』を読み返してみました。

 

■Ⅰ部(主に口語新仮名)

阿波野さん:「洞田」(女性)と「戸綿」(男性)が思春期に出会い、恋愛し、別れるまでが一連の主題。
大辻さん:キャラと「私」(「ほんとうは」「黄色い線の内側で」)他者との関係性における「私」(「戸綿日記」「続戸綿日記」)
花山さん:「ほんとうは」とても読みづらい。詞書/外部からのストーリー。一首一首は意味性の強い完結型。回路のチューニングが合わない

(まとまりなく長くなってしまったので、Ⅱ部以降は次回に続きます。)

 

【ほんとうは】
「洞田家に生まれる」「少しだけそのときの記憶がある」「五歳の誕生日」「母は商社勤務」文体もバラバラであり、母親の視点で書かれた歌は洞田明子の歌として読んでよいのだろうか、という疑問がある。花山さんが指摘した「チューニング」の合わない感じはしばらく続く。

「中学生」男子たち、わたくし、わたしたち、ポムポムプリンと主体がずらされていく感覚に包まれる。

「東京の高校に入学、父の家に住む」東京という地名が提示される。地下鉄をモチーフとした歌は響き合っている感じがある。

「父の書斎の宮沢賢治全集」星の駅、ミヤザワケンジ。ここは何首かまとめてストーリーを作れたと思う。

「駅で見かけたK高の制服」一首一首がつかみにくい歌が続く。詞書の間隔が短くて、編者のメッセージに分断されている印象。

「父の手ほどきを受け、はじめて作った短歌の連作「乙女の駅」」乙女という言葉を使った歌を使って、突きぬけた連作としてまとめている。大辻さんの指摘のとおり、どうみてもはじめてと思えない作品を集めているのは、意図的な諧謔があるがあまり成功していないように思える。

「K高の戸綿君と電車で話をするようになる」ここから相聞のテイストになる。

「喧嘩するときはだいたい帰る間際、いつも私の圧勝」これは説明しすぎだろう。

「三年間の日々」一転してざっくりとしたまとめになる。

「卒業、わけあって大阪に戻ることに」別離をいうために地名を出しているのではないか。

【戸綿日記】
「洞田(をんな)もすなる短歌といふものを、戸綿(をとこ)もしてみむとするなり」突然、旧仮名の歌が一首だけ提示されている。これがやりたかったというのは伝わってくるが、かなり唐突な感じを受ける。

「高校生、親の転勤で東京に来た」出会いのシーンを朝のホームから始まるストーリーにのせているのだが、文体のガチャガチャした感じはやはり気になる。

「もちろん腰に手を当てて」これは作者のつけた詞書らしい。ここに置いたのはコミカルなテイストを戸綿に持たせたかったのだろうか。

「大学生、日本中を旅した」阿波野さんが指摘していた通りざっくりとしたまとめで各地の地名を吸収している。地名が続くのであれば、配置にもう少し工夫がほしい。(自分の歌を含めて)特急が続くとやはりうるさい。渋谷と四ツ谷はここに置くのがよかったのだろうか。

「大学二年、夏」なぜ二年の夏に限定したのかはわからない。新宿、小田原、阿佐ヶ谷、高田馬場という固有名詞がぶつかっているように感じる。

「冬」一首のみ。別れの予感を提示させるが、冬はつきすぎではないか。

【黄色い線の内側で】
再び洞田の視点に戻ってくる。下の句の「黄色い線の内側で待つ」が重なった二首を連作の最初と最後に置いて、相聞テイストの似た歌を集めている印象。

横須賀線横須賀線は「冬」の逗子行きを受けているのだろう。別れの予感が実感になる。クレイジーケンバンドに「せぷてんばあ」という曲があり、失恋をした主体が横須賀線の最終で海に来ました、というのを思い起こす。

「山手線」東京にいた頃に出会いと別れがあったことを暗示させている。離別や死という重みのある歌が並ぶ。

【続戸綿日記】
ここも横須賀線から始まる。戸綿日記と続戸綿日記を同じ路線でつなぐことで、洞田の歌を回想のように見せているのではないかと思う。

「社会人」通勤風景を切り取った歌を並べている。

「ネームプレートに「ヤスヨ」とある」ここからコミカルな歌が並ぶ。この歌の主体は男性らしくないのではとの指摘があった。

「大阪出張」「大阪は洞田の生まれ故郷」コミカルな流れで、編者の作った設定を思い出させるような歌が並ぶ。

「おれの生まれ故郷は静岡」「静岡から姉が来る」もう一つの設定である戸綿の出身地が明かされる。

「花柄の傘を提げて」ようやくK高の制服の歌の伏線が回収される。さすがに引っ張りすぎな感じ。

「洞田がいまどこにいるのかはわからない」旧仮名の歌が再び出てくる。だが、最後の歌は新仮名に戻る。最後の歌の無常観を出したかったのだと思うのだがやはり仮名遣いの変化の違和感は大きく、この一首だけに絞ったほうがインパクトはあったと思う。

 

次回に続きます。

――駅に始まり、駅に終わる、洞田明子の第一歌集。231首を収録。――

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