さまよえる歌人の会『無援の叙情』に参加しました
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
6月25日土曜日にさまよえる歌人の会に参加しました。今回取り上げられた歌集は道浦母都子さんの『無援の叙情』です。
レポーターは未来の柳原さんと矢野さんのお二人が丁寧なレジュメにまとめてくださいました。道浦さんの半生を振り返り、短歌とどのように出会ったのか、未来短歌会に入ったきっかけ、歌集がどのような経緯で出版されていったのか、全共闘や学生運動の時代背景はどのようなものであったのか。その中で、道浦さんの歌集が、習慣的に歌集を読まない層に受け入れられた理由はどうしてなのだろうか、という疑問がありました。
『無援の叙情』は三つの章で構成されています。全共闘の日々を描いた「われらがわれに還りゆくとき」、結婚をして山陰の松江に暮らしていた頃の「冬の旅」、離婚後大阪に帰ってきてからの「曳航の旗」です。
1968年、69年は、同時代を生きた方にとって象徴的な年なのだ、ということはぼんやりと感じていましたが、あらためて歌として読むと時代のもつ熱量に圧倒されます。
運動の日々をルポタージュのように描いた「われらがわれに還りゆくとき」から
催涙ガス避けんと密かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり
駈け寄りて遅れ来しこと詫びている君の手淡く薬品匂う
「なんのため」涌きくる迷い捨てるとき今日の黙秘を決意するとき
釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ起たねばならぬ
君が講堂にいなくてよかったひと言告げて電話は切れぬ
過去を振り返るような筆致で描かれた「冬の旅」から
逃避だと嫁しゆくわれを決めつけし昌子よ再び私を責める
爪立てて「同士よ黙秘を」と刻み来しわが房の壁今だれが見む
半年ぶりの紅茶と告ぐる者のため手痛きまでレモンしぼれり
「トロツキスト」「民青」と呼び傷つけあうこの日常をだれに告ぐべき
少女のようなお前が離婚するのか老いたる父がひとこと言いぬ
ひとりで生きていくという決意のような色合いの感じられる「曳航の旗」から
逃げまどい追いつめられし日にも似て湖たそがれの橋渡り来ぬ
母となる日の輝きと思うまで熟れレモンが匂いて光る
みたるものみな幻に還れよとコンタクトレンズ水にさらしぬ
明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし
生きていれば意志は後から従きくると思いぬ冬の橋わたりつつ
一冊を通して、運動家としての自分、恋人や妻である自分、娘である自分、と役割を自分自身通算に強く投影している印象を、とても強く感じました。
また、テーマとなる語彙を定型にそのまま入れて、作為なく終止形や体言止めでまとめているので、ストーリーに沿って流れるように読めてしまう印象を受けました。
歌人からの評も紹介されていました。
道浦はだれも書かなかった場所を、だれも使う平凡な手つきと感性で書いた。(小池光評「天恵の歌」『未来』1981)
歌の技法としてみれば粗はある。けれども、七〇年代を代表する歌人は道浦母都子であり、八〇年代を代表する歌人は俵万智であったことは動かしがたい。(岡井隆による発言/後藤正治氏解説より)
この歌集が、歌人の中の評価と社会の中の評価が異なるというところも、レポートを聞いてそうなのか、という納得感がありました。
個人的にも時事詠や社会詠とも向き合っていきたいと感じていたときだったので、とても有意義な時間でした。
書籍を会にご提供くださった道浦母都子さん、レポーターのお二方と参加者の皆さま、どうもありがとうございました。