太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

第10回現代の歌人を読む会を開催しました(大塚寅彦さん、大辻隆弘さん)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

現代の歌人を読む会もついに二桁の回数を開催しました。参加してくださる人がいてくれてこその読書会なのですが、皆さんの鑑賞を聞きあいながら、読みが拡がり深まっていくのが楽しいです。

今回の歌人は大塚寅彦さんと大辻隆弘さんです。

まずは、大塚寅彦さん。

聴診器もてみづからの心音を聞きゐる医師のごとき深秋

マンションの窓モザイクに灯る夕(ゆふ)家庭とはつひに解き得ぬパズル

生きのびてその彩(いろ)ふかし朝の湯の蹌踉たる老人(おいびと)の刺青

一首目、四句までのすべての言葉が結句の比喩として深秋にかかる。深秋のもつ内省的な世界観が孤独な医師の姿として描かれる。「聴診器」「心音」「医師」「深秋」と繰り返されるシの音は「死」のイメージとも重なり、深みを持って伝わってくる。

二首目、マンションを眺めた景を窓のモザイクと切り取っている。部屋の灯りの有無や色味をパズルに喩えているのも面白い。二句の句割れ、三句の切れと音としてもパズルのようにも聞こえる。個々の家庭の問題は解き得ないという感慨が「ついに」にある。

三首目、湯上りの老人の刺青をあざやかに捉えている。蹌踉たるという形容動詞が際立っているが、老人と作者の関係は明かされることはない。いろ、おいびと、とルビで読みを限定しているが、刺青はシセイともイレズミとも読めるのも技巧なのだろうか。

続いて、大辻隆弘さん

あけがたは耳さむく聴く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ

受話器まだてのひらに重かりしころその漆黒は声に曇りき

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき

一首目、 雨だれのオノマトペから、カンボジアの恐怖政治家の名前を引き出している。耳さむくは実景ともとれるが、ポル・ポトの事件を耳にした主体が心を冷たくしているのではないかと読むこともできるのかも。あけがた、雨だれの頭韻も静かに響く。

二首目、黒電話の触感そして漆黒の色が重さを伝えて来る。まだ重かりしころという幅のある時間を、声に曇りきと限定しているところにフォーカスが絞られていく。触覚、視覚、聴覚と五感に訴えてくる。主体の吐く息の熱量まで感じられるようだ。

三首目、アメリカに対する日本人の持つ屈折した感覚を濾過したような思いが伝わってくる。「原爆の図」のアンチテーゼを「壮快よ」と透徹に問題提起をしており、読み手の覚悟が求められる。テロリストの視点から読むこともできるのではという意見もあった。

 

「美意識」をどのように表現するのかという観点で、「中部短歌」と「未来」、春日井建と岡井隆の影響の違いをも感じる会となりました。大塚さんの「死」の歌と大辻さんの「雨」の歌に注目して、もう一段ふかく読み進めてみたくなりました。

次回は、小塩卓哉さんと谷岡亜紀さんの歌を読みます。どうぞよろしくお願いいたします。

現代の歌人140

現代の歌人140

 

 

短歌人2017年2月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年2月号 会員2(太田青磁)

お客様の社屋に通う お客様の社食に通う またしても朝
日付だけ更新されるスケジュール 動く歩道を逆に走って
先月も先々月も協定に決められた通り残業しました
眠剤をバーボンロックで流しこむたかぶる脳を鎮めるために
眠れない夜を数える 眠らない夜を数える 闇の中にひとり

 2017年2月号には落とされていたのですが、同じモチーフで作った歌が歌会記に乗りました。

会社など燃えてしまえばいいのだと皇居の淵にカルガモの列

 上の句の心境と結句の取り合わせが面白い。

浪江まき子さん評をありがとうございました。

 

短歌の感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

『66』を読みました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

昨年出版された、超結社の同人誌『66』を紹介します。

66は、様々な結社に属する女性歌人の相互研鑽の場として発生した「六月六日の歌会」が発展したものをまとめられた冊子です。

発表作品、合評、題詠歌会の詠草となっています。まずは作品15首よりそれぞれ3首を。

ゆふがほの蔓伸び続けつやつやと育ついのちの太さを持てり
ガリレオ温度計われのうちなるガラス玉沈んでゐたり秋は遠くて
生クリームを盛り上げてゐるカウンターに「アイス・ラテ三つ」の注文をせり
/晩夏『66』浦河奈々 

二首目、初句の大胆な字余りはガの頭韻に回収され、結句の距離を導く。

黙しつつなにかを見つめているような秋の朝顔こちらを向けり
秋陽さす部屋に五本の刃を並べ父はしづかに包丁を研ぐ
御茶ノ水駅のカーブに差し掛かる心が軋むのを感じつつ
/紺色のベスト『66』遠藤由季

三首目、カーブの体感覚を心の軋みに巧みに重ねている。カ行の韻律も心情を屹立させる。

夜たつた一人で歩くこの道を知つてゐるつひに暗渠のままの
底知れぬ森に時折見失ふ夫はけふも裸足のままで
けふどこで傷ついたのか穿きかへて脱ぎ捨ててゆくナイロンの脚
/筐体『66』岸野亜紗子 

一連に不安な自己と向きあう主体の矜持を感じる。三首目、ナイロンの脚と言い切った比喩が巧み。

ほそく鳴く猫を呼びよせ抱き上げるために伸ばした腕までが夢
マタニティマークを揺らす足早のひとに抜かれし坂の途中に
鍋底に粉ふく芋をつぶしつつドヴォルザークのあかるさを聴く
/地に種を『66』後藤由紀恵

ゆったりとした豊穣な時間を感じさせる歌が並ぶ。ドヴォルザークは8番だろうか。

広辞苑よりかさりと落つる押し花の紅褪せて思い出せぬ春の日
ひらきはじめのはなびらにしわあることの羞しさに木蓮は沈思す
ふくしまの子ども、すなわち漉きあがり初夏のひかりに濡れている和紙
/天心『66』齋藤芳生 

二首目、ゆったりとひらかれたひらがなにより木蓮の羞と沈思黙考が浮かぶ。

日付ありし葉書の文字はそのかみの暗緑のいろ滲みゐるやう
降り出でし雨をおそれてうつしみは駆け去りゆけり犬のごとくに
しろがねに芒充ちたりみちのへに刈るひとなくて秋をありたり
/銀芒『66』高木佳子 

一首目、初句の字余りに時間の経過を暗緑色の滲みには差出人への静謐な思いを感じる。

水をかく腕の確かさ今日よりも明日を信じる心はあらず
こころなるやっかいなもの抱えたる生物の呼気なまあたたかし
ぺージから煙草の匂いこぼれきて人より人の記憶が痛む
/どんぐりたち『66』鶴田伊津 

三首目、痛みを呼び起こす煙草の匂いと在りし日の記憶は深いところで結びついているのだ。

うす蒼き静脈透けるまぶたもち少女はねむるはつ秋の繭
わたくしを脱出できないたましいは公孫樹黄葉をひたすらに恋う
みどりごの眉を残してしんけんに朝の髪梳くわがプラタナス
プラタナス『66』富田睦子 

一首目、繭に眠る少女の姿に自らの少女時代を重ねるような丁寧で優しい眼差しがある。

熊を狩る犬でありしを長く飼う庭にうつむき水を飲みおり
黒髪のごとくうねりて満ちてくる夜のほとりにきみとたちおり
丸薬の白ふくみつつまなぬるき水を飲みたり本番の朝
/まぼろしの舟『66』錦見映理子 

一首目、猟犬の鋭さは長き時を経て穏やかになるのか。水を飲む愛犬への視線がやさしい。

アクリルの小さき籠に透けていし鈴虫 書店の景品として
深更の籠をひらきて霧吹きに潤ばしめたり土と羽とを
長月の長雨のはざま庭なかの何処とも知れぬ鈴の音を聞く
/脚の一本『66』沼尻つた子 

鈴虫がユニークな一連。長月の長雨のリフレインが心地よい。何処は余らせてもいずこと読みたい。

学生の頃の時間の底をかき混ぜてひと夜に垂らしてみたし
墨の筆浸けたるような空のあり関ヶ原越えゆく一人旅
もたないと思いつつする仕事あり 朝ひらきたる萩がゆれている
/半透明の馬『66』山内頌子 

一首目、混沌とした時間が句跨がりのリズムに引き立され思わず学生時代の景色が浮かぶ。

わが神は藤紫の鉄耀を四肢へ施す創造の日に
睡魔へと差し出す命、C4H10FO2P 耳骨に雪踏む音の響くころには
戦場に打ち立つ旗を引き剥がし旗の数だけ止血するなら
/萬骨枯『66』玲はる名 

二首目、サリンの化学式が表すものは何だろうか。睡魔、差し出す、雪踏む音の連想があるのか。

後半は、座談会として各自が持ち寄った一首を相互鑑賞するパートに続きます。

葛原妙子さんの歌、江戸雪さん、大森静佳さんの鑑賞を興味深く読みました。引用したい内容もたくさんあるのですが、まずは掲出歌を自分なりに読むところから始めようと思います。

結社誌でも総合誌でもない読み応えのある同人誌にも注目していきたいです。

「うたの日」についての雑感

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の短歌人の談話室で村田馨さんが書かれていたように、インターネットで毎日開催されている「うたの日」という歌会があります。私も三角点で一度「うたの日」についてのエッセイを書きました。また、昨年末に開催1,000日を迎え、記念誌の作成と記念歌会がありました。わたしも年表を編纂するチームに参加し、エッセイを書きました。

うたの日の歌会 - 太田青磁の日記

うたの日とわたし - 太田青磁の日記

「うたの日」に参加したことで、得られたものが大きく3つありました。

まずは、短歌を詠む習慣ができたことです。毎日の題を見て、わずか24時間で定型にまとめることはとても大変でした。過去作を出したり、推敲しなおして出すことも多く、毎日新作を作っている人はほんとうにすごいと思いながら、歌会に参加していました。

次に、評を書く機会を得たことです。回を重ねるうちに歌会の価値は「自分の歌がどう読まれるのか」という以上に「相互に推敲の機会を共有し、歌の良さをともに味わうところにあるのだ」と思うようになりました。拙くても自分の読みを記録することで達意の方の評と比べることができました。また、読み解けない歌に向きあうことで、知らない言葉を調べたり作者の言いたいことは何なのだろうかと考えることができました。

最後に、これがもっとも大きなことなのですが、短歌を一緒に楽しむことができる仲間が増えました。お互いの歌を読みあったり、ツイッターで他愛のない会話をすることで、短歌を楽しく続けることができています。「うたの日」を入口として、たくさんの企画やイベントに参加し、また自分でもイベントを開催することができました。

「うたの日」は玉石混交だというのは間違いなくそうだと思います。また、キャッチーな歌を出した結果として多くの票を得ることが、作歌動機を安易にしてしまうこともものすごくよくわかります。評もできる限り歌に沿っていきたいと思いながら書いたつもりでしたが、言葉が足りず不快な思いをさせてしまったことも多々ありました。

個人として限られた時間のなかで、詠草を作品として磨いていく時間や、対面での歌会や読書会に参加する時間、歌集や歌書・結社誌や総合誌を読む時間を増やすためには、匿名歌会やネットプリント、タイムラインに流れる歌を読む時間を減らさなければ時間が足りないと感じています。

「うたの日」からしばらく遠ざかっていることを気にかけてくださっている方もいらしたようなので、自分の考えていることを書いておこうかと思っていました。大した結果を残しているわけではありませんが、決して草野球に飽きたわけではなく、こっそりフォームの改造をしていたり、バッティングセンターに通っているくらいの感覚で受け止めてもらえたらと。

思ったより長くなってしまいましたが、うたの日が楽しい場であり続けることを願いつつ、もうひとつくらいは変化球を覚えてから、またふらりと参加したいなと思います。

短歌人会新年歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

1月22日に短歌人の新年歌会に参加しました。全国各地から116首もの詠草が学士会館に集まり活気のある一日を過ごすことができました。

 

入会3年目で2回目の新年歌会参加となりましたが、去年に引き続きマイク係を担当しました。

これは一見簡単そうに思えるのですが、会の進行と先行批評の方、話をしたそうな人を見極めてさりげなくマイクを手渡す。そしてマイクを受け取ったあとの流れを先読みして、もう一方のマイク係の方に準備をお願いする。はじめて参加された方をフォローしつつ、評を述べるのも役割です。多少もたついたところで大きな影響はないのですが、限られた時間で議論の集中が削がれないように意識していました。

 

当日の詠草です。

いにしえの歌人の札を並べおきコンマ2秒でたたみを払う(太田青磁) 

新年ということで、競技カルタの歌を出しました。少し前の別の歌会でわりと評判がよかった歌です。17点もいただき予想以上の健闘でした。百人一首の書籍を出されている天野さんからも選をもらって大満足です。

 

歌会のあとは、懇親会です。

歌人賞の受賞セレモニーと新しく編集委員に就任された方々の挨拶、新入会の方々の紹介、歌壇賞を受賞された大平千賀さんのスピーチ、参加者全員の紹介と流れて、顧問の蒔田さくら子さんから、短歌人としても何度目かの大きな再出発とお話をいただき晴れやかな気持ちで懇親会を過ごしました。

二次会は、毎年恒例の「酔の助」で、わいわいと話をしました。一昨年の最終選考に残していただいた作品について谷村さんから激励を受けました。モーツァルトの曲はたくさんありすぎて明るすぎるから苦手だと言うところで、意見が合ったのがおもしろかったです。

その後は、斉藤斎藤さん、生沼さん、内山さんの新編集委員の方々ともフランクに突っ込んだ話ができました。自分自身の歌や作歌姿勢にも率直な意見をたくさんいただきました。

 

そんなこんなで深夜まで飲んだくれていたわけですが、とても楽しい一日でした。ご一緒くださった皆さまへ心からの感謝と、ささやかであれ会の運営と発展に貢献していきたいなと思います。どうもありがとうございました。

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短歌研究2月号「相聞・如月によせて」

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

短歌研究2月号の「如月・相聞に寄せて」から、鳥居さんの連作を中心に引用します。

【指先】

指先でひかりを剥いでゆくやうにあなたのしろいページを捲る
/「bibliophile」鳥居

暗やみにふれようとする指その指の冷たいことはもう知っている
/「つららと雉」黒﨑聡美

【指紋】
まだ硬き背に添はせゆく柔らかな歯形、あるいはさやかな指紋
/「bibliophile」鳥居

幾千の語を一瞬に消し去れど指あと残すスマートフォン
/「燻る朝」田村ふみ乃

【余白】
余白より文字はしづかで青杉の翳のさやげる季節に入りぬ
/「bibliophile」鳥居

君からの手紙が来ない日は余白 新潮文庫をココアに沈め
/「もつ鍋の煮えるころ」武田穂佳

【繭】
たましひが繭となるまで行間の淡き孤独をみつめてゐたり
/「bibliophile」鳥居

羽化しない蛹の私ほどかれて一本の糸 六月の繭
/「六月の繭」晴山生菜

【花】
その胸をひらきゆくとき仰向けに花の名前を教えてくれる
/「bibliophile」鳥居

ふかぶかと釦を留めるとめどなく木漏れ日と花びらが降る日に
/「長い眠り」飯田彩乃

【風】
交はりを終へた疲れに閉ぢゆけば君がほのかに孕む夕風
/「bibliophile」鳥居

乳首を嚙めば吹雪を着るようにさびしくなりぬ 永遠は無理
/「無理」北山あさひ

【火】
みぞおちが火を焚くやうに痛むのだ栞はさみて別れゆくとき
/「bibliophile」鳥居

横向きに眠ればそちらへ堕ちていく内臓のすべてが濡れている
/「足りない」鈴木晴香

短歌研究 2017年 02 月号 [雑誌]

短歌研究 2017年 02 月号 [雑誌]

 

 

「短歌のわたし、小説とかの私」に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

1月15日に紀伊國屋書店新宿本店で開催されたトークイベント斉藤斎藤×佐々木敦「短歌のわたし、小説とかの私」に参加しました。

佐々木敦さんはこのイベントがあるまで存じ上げなかったのですが、文学、音楽、思想と多岐にわたる批評をなさっている方と伺い、「短歌のわたし」にどういうアプローチでのぞむのか非常に楽しみでした。

短歌のイベントにはめずらしく、一首も歌が単独で批評されることなく進行したのですが、「短歌のわたくし」とは何かという問いかけに「作者と主体」「作中での時間」「文学における人称」を中心にダイナミックな対話が繰り広げられました。

最初のうちはメモを取ろうかなと思っていたのですが、気がつくとお二人の会話に夢中になってしまいました。交わされた内容を思いながら二冊の歌集を読みかえした感想を書いてみます。(引用はすべて後日読みかえして付与したものです)

【短歌とは】

俳句は文ではなく、短歌は文である。31文字は長い。
文である以上、主語と述語がある。主語は記載がなければ「わたし」である。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとゞかざりけり

正岡子規

テキストだけではバランスを欠いている → 外側にあるものとワンセットで読まざるをえない

このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい
『渡辺のわたし』

『人の道、死ぬと町』におけるおびただしい詞書

 短歌の需要には作者の死やマイナスの出来事を過剰に要求される

あいしてる閑話休題あいしてる閑話休題やきばのけむり
『渡辺のわたし』

「きのうの夜はとてもいい顔をしてました きのうの顔に会えてよかった」
『人の道、死ぬと町』

【短歌における私とは】

写生とは、主体自身の視点なのか、主体を含む客観的な俯瞰の視座なのか

俳句や詩と比較するよりも「私小説」がぎりぎりまで削ぎ落とされたものと読むことができる

死ぬときはみんなひとりとみんな言う私は電車で渋谷に行きます

『渡辺のわたし』

みんな原発やめる気ないすよねと言えばみんな頷く短歌の集まり

『人の道、死ぬと町』

(わたし以外)誰もいませんでした → 日本語の認識は自己を省略した視点にあり、西洋の全体を俯瞰する視座と異なることがある。

誰もいなくなってホームでガッツポーズするわたくしのガッツあふれる

『渡辺のわたし』

この世界は素晴らしいと言いふらしたいそんな私も燃されて光 

『人の道、死ぬと町』

【時間の感覚と時制について】

作中の時間軸は文の先頭から流れるものであるが、そうでない書き方がある

豚丼を食っているので2分前豚丼食うと決めたのだろう

『渡辺のわたし』

「だってわかってたらもっといろいろ」「だってわかってなかったんだから」

『人の道、死ぬと町』

口語での「た」形と「る」形の混在 → 時制の問題はついてまわる

お名前なんとおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする
『渡辺のわたし』

いつもより生きてしまった たくさんの人が生きて死にかたずけられた町で
『人の道、死ぬと町』

【「わたし」「わたしたち」「あなた」】

複数の「わたし」と単数の「わたしたち」が重なりあう

そうさぼくらは世界に一つだけの花ぼくはぼくらを束ねるリボン
『渡辺のわたし』

わたしは何も失っていないわたしたちの次の世代が失われただけだ
『人の道、死ぬと町』

 「あなた」とは作者が想定した読者なのか

あなたあれ、あなたをつつむ光あれ。万有引力あれ、わたしあれ。
『渡辺のわたし』

わたしはあなたをあいしとるのにあなたはわたしたちをあいしてる
『人の道、死ぬと町』

歌集 人の道、死ぬと町

歌集 人の道、死ぬと町

渡辺のわたし 新装版

渡辺のわたし 新装版

「見切られた桃」武田穂佳 短歌研究新人賞受賞後第一作

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

短歌研究新人賞を受賞された武田穂佳さんの受賞後第一作を読みました。この連作も予想通り読み応えがありました。11月号も新進気鋭の新人として紹介されているのですが、まずは「見切られた桃」を読んでみたいと思います。

始発待ちながらだんだん冷めていくおしぼりみたいにみじめな気持ち

 句またがりの上句すべてでおしぼりを描写しているかに見せて、みじめな気持ちの比喩として表現している。だんだんという時間の経過が効いている。みじめなに掛かる比喩ではあるが、主体自身もじりじりと始発を待っているようにも感じられる。

皆勤賞が嫌い貰えなかったから 見切られた桃のこと買ったげる

 見切られた桃は、皆勤賞を貰った健やかで屈託のない同級生に対する嫉妬とも揶揄とも取れる見立てである。「貰えなかった」「買ったげる」とやや舌足らずな口語の韻も、句割れの続く一首のリズムを支えている。

わたしを更新してほしい 封筒に窓の結露で切手を貼った  

 「更新してほしい」に自覚的な承認欲求が表れているようである。読み過ぎであるのは承知の上だが、作品の投稿によって自分の何かが変わるかもしれないという感覚は歌を作るものとしても素直に共感できる。

/武田穂佳「見切られた桃」短歌研究2016年10月号

季評などを読むと、受賞作に比べると若干物足りないという意見もあるようですが、受賞後第一作でも揺らぐことなく現代社会を見つめる視点には、周りを圧倒する今後の飛躍を期待させてくれます。

遅くに短歌に出会い今さら瑞々しい歌を作ることのできない私には、次世代を担う才気あふれる新進気鋭の歌人の歌を読めることが楽しみです。これからの活躍を祈りつつ読みの精度を高めていきたいと思います。

短歌研究 2016年 10 月号 [雑誌]

短歌研究 2016年 10 月号 [雑誌]

 

 

未來夏韻集首都歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今年初めての歌会ということで、歌会始のテンション(大げさ)で臨みました。

今回は、大辻さんをはじめとした夏韻集の皆さま、未来各欄の気鋭の皆さま、心の花、塔、かりん、短歌人、無所属とバラエティ豊かな18名が集まりました。

この歌会は、自由題記名一首を各自持ち寄るという形式で、一首一首を丁寧に鑑賞しあう贅沢な時間となりました。

今回で三回目の参加だったのですが、何度かご一緒している方はモチーフの選び方や、修辞の工夫などが垣間見え、またはじめてお会いする方には、それぞれの歌への向き合い方がにじみ出ているものだなあ、という感想を持ちました。

わりと頑張って手を上げることができ、ちゃんと読めていないと思いながらもたくさん発言できたことは励みになりつつ、迎えて読んでしまうところは反省材料です。

今回は、就職活動をテーマにした詠草を出したのですが、賛否両論の評をいただき参考になりました。

結社の歌会は、自由な社風と言えども、わりと地に足をつけて歌っていこうとする印象で、その系列につながっていることはうれしいのですが、たまにはアバンギャルドな歌に触れるのは楽しい時間でした。

散会後は有志で食事をして、紀伊國屋に立ち寄り、カフェで一首一首読みかえすという、お腹いっぱいの流れでしたが、歌会で聞けなかった読みに触れることができて参加されているひとの貪欲さに気圧される感じもありました。

三カ月に一度出稽古に望み、結社の勉強も三カ月に一度、そして毎月の東京歌会と月詠。読書会も現代短歌に加え近代短歌もやっていこうとすると、何かを手放さなければという気持ちにもなります。

リアルに顔を突き合わせて、話すことで自分の思考や鑑賞を機会を増やそうと思う一年です。

大辻先生、夏韻集・未来の皆さま、あたたかく迎えてくださいましてありがとうございました。次回以降も可能な範囲で参加したく思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

f:id:seijiota:20170111001117j:plain カフェにて糖分を補給

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

歌人の太田青磁です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、大晦日特別番組として、#CDTNK2016に参加しました。

12月31日の21時30分から、明けて元旦の1時16分まで二分おきに99名の歌人がとっておきの 短歌をタイムラインに投稿するという、視聴者(?)参加型のイベントでした。

私の出番は明けて0時2分という、まさに新年が変わってすぐのいいポジションでした。

二〇一七年一月一日うるう秒 一秒ながく初夢をみる(太田青磁)

 という時事ネタで参戦してみました。

今回は前年に引き続き、ボランティアで皆さんの投稿を公式アカウントでリツイートするという楽しい役割を担当いたしました。

一緒に担当してくださった、主催の泳二さんととよよんさんに助けられ、紅白に気をとられてぼんやりしているうちに担当時間が無事に終わりました。

 こういう、参加型のイベントが気持ちよく楽しめるのも、短歌クラスタの皆さんの多彩な才能と、つながりを大切にする気持ちの表れだなあと思います。

当面の短歌の目標は月詠を欠詠しないことですが、評論と連作を作ることを努力目標にしつつ、めいっぱい楽しめる一年にしたいと思っています。

泳二さん、ボランティアの皆さん、そして参加してくださったすべての方に御礼を申し上げます。

二〇一七年もどうぞよろしくお願いいたします。