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太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

うたの日とわたし

 「うたの日」が誕生した2014年4月にわたしは短歌をはじめた。読書メーターという本好きな人の集まるSNSで、短歌を作り始めた友人に誘われたのがきっかけであった。歌集や入門書を読みはじめ、どうしたらうまくなるのだろうかと考えるようになった。インターネットに集う短歌クラスタのことは全く知らず、いくつかの結社を比較して短歌人に入会した。

 読書メーターの友人から教わって「うたの日」におそるおそる歌を出したところ、初日に3名もの方からハートをいただいた。誰かに自分の歌を読んでもらえることがうれしくて、日々の歌会に参加した。花束を取るまでは半年くらいかかってしまったのだが、歌を出し続けることと、多くの方の歌を読むことによって短歌の基礎体力がつけられたのだと思う。

 短歌人の歌会に参加したのも、やはり入会から半年くらい経ってからであった。参加するたびに「とにかく発言しよう」「思ったことを口にしないのは、その歌が批評される貴重な機会を奪う」ということを言われ続けた。的確な評ができるようになるためにはどうすればいいのかを考えていたとき、評をする機会を増やせばよいのだというシンプルな結論に落ち着いた。

 野崎アンさん(たかはしりおこさん)のツイキャスに刺激を受け、「うたの人」に投稿されたすべての歌に評を書くという試みをはじめた。最初はコメントをつけるだけでせいいっぱいであったが、少しずつ評に近いものが書けるようになったのは、好きな歌もそうでない歌もできるだけ同じ分量・熱量で書くことを意識した頃かもしれない。

 ロゼッタストーンと呼ばれるような熱い評には圧倒されるけれども、気に入った歌について好きなことを述べるのはそれほど難しいことではないはずだ。また、明らかな瑕疵を指摘することもそれなりの経験があればできるだろう。だが、自分の心に響かなかった歌に評を書くのは意外と大変である。その歌の持つ可能性を探し、どこに選ばなかった理由があるのかを言葉に落とすことによって、一段深く短歌と向き合うことができたのかもしれない。

 その場で発言を求められるリアルな歌会に比べて、自分の言いたいことを整理して発表できるインターネット歌会は、評がしやすいと感じる。毎日開催される「うたの日」に比べ、「うたの人」は出詠・選評ともに一週間程度の時間があり、評を学ぶ場として最適な環境であった。知らない言葉を調べ、歌の構成を確認し、本歌にあたることが、歌の鑑賞の幅を拡げてくれたのは間違いない。ほかの方の評と自分の評を比べて読むことで、自分にない視点を手に入れ、一読で気がつかなかった歌の良さを感じることもたくさんあった。

 今、自分の中で短歌に触れる時間をどのように振り分けるかという課題にぶつかっている。溢れる情報に溺れないために、自分の中にある「いい歌とは何か」という基準を作り上げることが必要だと感じる。そのために多くの歌集や歌論を読み、先達の鑑賞に触れたい。そして、短歌について多くの人と直接会って話したいと思う。

 歌会が歌会としての熱量を持って続けていくには、参加者ひとりひとりが場の持つ力を維持していく意識が大事だと思う。「うたの日」や「うたの人」で評をもらってうれしいと感じる機会があれば、次の歌会で積極的に評を書いて欲しい。また、評がうまくなりたいと思うのであれば、全首評を試してみたらよいと思う。難しい批評用語を使う必要はまったくないし、ひとりよがりになってもいいと思う。わたしにできたのだから、きっと誰でもできるはずだ。これからもの「うたの日」や「うたの人」が楽しく、忌憚のない評のにぎわう場であり続けることを願っている。

(うたの日1000日記念号『うたの日々』掲載「全首評とわたし」)

http://booklog.jp/item/3/109854