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太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

一歌談欒 vol.3(笹井宏之「まちがえて図書館を建てたい」追記しました)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

各自が自分のメディアで一首評をする「一歌談欒」の3回目です。今回は笹井博之さんの透明感にあふれる歌を取り上げます。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
/笹井宏之『ひとさらい』(『えーえんとくちから』)  

平明な言葉遣いで、意味の分からない言葉はまったくない。「軍手」「売って」「暮らしたい」「図書館」「建てたい」とたたみかけるタ行の音のつながりが、軽やかな韻律を伴ってすうっと心に入ってくる。

また、願望の「~たい」が上句、下句の対句を示しており構造としてもしっかりとバランスを持ってくみ上げられている。

しかし、なんといっても「まちがえて」をどのように取るのかが、この歌を解釈するうえで欠かせない論点になるのであろう。

ひとつめは軍手を売るというささやかな生活を繰り返して、ためたお金を好きなものに一気に投入ずるという無謀な試みこそが「まちがえて」で、図書館を建てるという本当の願望を手に入れたいということが考えられる。

もうひとつは、ほんとはしたくない軍手売りをしつつも、心の中の真の願望は図書館を建てることにあるのだという、逆転の視野をイメージづけるための反語のように「軍手を売って暮らしたい」を「まちがえて」と捉えることもできるであろう。

 

軍手は作業用の手袋というイメージが強いが、もとは「軍用手袋」が縮まったもので、「軍手を売る」という行為は、ある意味で軍需産業に身を投じるというメタファーにもとれる。

一方、図書館は知の集積であり、文芸に身を置く者であれば、やはり自ら本を集め、コレクションした蔵書を何らかの形で、社会に還元したいという気持ちもよく分かるのだ。

 

実はこの歌を読んだとき、頭の中によぎった考えは、憲法第22条であった。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

また、憲法第25条の条文も同じく浮かんできた。

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

この一首を取り上げて、笹井の歌を無理に社会詠と決めつけるのは暴論だと思う。病床の笹井が、日常生活もままならぬ中で、仕事というものに目を向けていたのだと思うと切なさでいっぱいになる。また、歌集を通して読むと、韻律を突き詰めたことによる意味上の跳躍は、数えきれないほど出てくるのだ。しかし、笹井の本心が「図書館を建てたい」に力点が置かれているのだとしたら、彼自身の内面にある、書物への敬意をできるだけ汲みとって鑑賞したいと思うのである。

 

意味よりも音の調べや、言葉の衝突が生みだす不思議でたおやかで透明な世界に、短歌をはじめたばかりの私は魅了された。彼の歌集がなければ、 口語短歌の可能性に気がつかずに短歌から離れていたかも知れなかったとも思う。あらためて追悼の想いに変えたい。

 

追記(2016/12/18)

大辻隆弘さんの歌論集『近代短歌の範型』にて、この歌が引用されているのを読んだ。三つの「私」と称された、私論(わたくしろん)をテーマに近代と現代短歌を比較して論じている稿である。

大辻は、 短歌の私性には3つの要素があると解説している。

①…一首の背後に感じられる「私」(=「視点の定点」「作中主体」)
②…連作・歌集の背後に感じられる「私」(=「私像」)
③…現実の生を生きる生身の「私」(=「作者」)

笹井の歌は「私①」への興味だけが突出し、「私②」「私③」にはほとんど興味を示さない。

とあるが、これはほんとうにそうなのだろうか。笹井の作る短歌の透明性、内面世界を巧みに計算された韻律に乗せて作られたしなやかな広く文体が受け入れられたのは、決して一首一首が個別に突出して評価されたのではなく、笹井の歌の持つ世界観を作る文体、つまり笹井自身の私像を確固として受け止めながら、歌集の多くの歌に魅了されたのではないかと思う。

作者の笹井が、病と向き合う自らをモチーフとして作品をを作る「私③」のタイプの歌人ではなかったというのは、晩年の笹井を知らない私には評価することはできないが、事実そうだったのだろうと思う。しかしながら、必ずしも「私②」がひとりの人格であるとは言えないのを承知の上で、残された3冊の歌集と1冊のアンソロジーからは、「笹井宏之」という作者が作る、透明感にあふれる「私②」の世界を「私①」切り離すことはできないのではないかと考えている。

一首一首を並べて読んだときに、一連の連作と読み切れない作品群であることはとてもよくわかる。アンソロジーである『えーえんとくちから』はどこからでも読める作りになっていて、「私②」などないと言われれば、きちんと理論的に反論できずもどかしい。だが、笹井宏之という歌人が世界をどうとらえていたか、また、笹井宏之本人の生き方、考え方を丁寧に一首から追うことで、「私②」のみならず「私③」の痕跡を探してみたいと思うのである。

えーえんとくちから 笹井宏之作品集

えーえんとくちから 笹井宏之作品集

 

 

ひとさらい 笹井宏之第一歌集

ひとさらい 笹井宏之第一歌集

 

 

近代短歌の範型

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