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太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

一歌談欒 vol.1(今橋愛「おめんとか」)

短歌

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

各自が自分のメディアで一首評をする「一歌談欒」というイベントが始まりました。初回は今橋愛さんの歌です。

おめんとか

具体的には日焼け止め

へやをでることはなにかつけること

/今橋愛『O脚の膝』(山田航編『桜前線開架宣言』)

啄木を思わせる三行詩である。

三行目の下句が八八と一文字ずつ余っているのに加え、すべてひらかれており、「~ことは~こと」というリフレインの構造になっている。

また、三句で一度切れるうえに結句も体言止めであり、どこか散文のようでスムーズに読めないリズムの留保を感じさせる。

 

強引に省略された文脈を補うと

(主体が)へやをでること(をするために)は、おめんとか[具体的には日焼け止め](のような)なにか(を身に)つけること(が必要である)

となるのであろうか。※()内、[ ]は筆者

 

「へやをでる」は、主体が素のままでいられる状態から、「なにかつける」ものによって自身を守ることが必要な状態への変化と読むことができる。その「なにか」が「おめん」であり「日焼け止め」なのである。

「おめん」のイメージは、お祭りの屋台で売られているようなイラストの描かれたようなポップなものから、能や剣道の面といった硬質なもの、仮面舞踏会の仮面などと非常に広く、おめんとかの「とか」に提示された内容を作品中の文字から見出すのは難しい。

具体例として出された日焼け止めからは、おめんのイメージをかなり覆す印象を受ける。とはいえ「日焼け止め」を顔に塗ることによって、主体は確かに外界の刺激から何かを守っており、結句の「なにかつける」の「なにか」と初句の「おめんとか」の「とか」を微妙な距離感でつないでいる。

外界に対する主体の生理的なおびえを感じると同時に、それは目に見えない日焼け止めでも守ることができるのだという繊細な感覚を、大胆な文体によって提示しているように感じた。

桜前線開架宣言

桜前線開架宣言