推し歌人アンソロジー②(好きな歌人編)
美術史をかじったことで青年の味覚におこるやさしい変化
/笹井宏之『ひとさらい』
骨盤のゆがみをなおすおかゆです、鮭フレークが降る交差点
単純な和音のままでいましょう、とあなたは朝のひかりの中で
水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
影だって踏まれたからには痛かろう しかし黙っている影として
天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜
長くながくひこうき雲の引かるるを二足歩行は見上げていたり
/染野太朗『あの日の海』休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます
海を見に行きたかったなよろこびも怒りも捨てて君だけ連れて
/同『人魚』川で子ども海で子どもと遊ぶような不安を今日もいじめぬきたり
もし煙草を吸えたなら今あなたから火を借りられた揺れやまぬ火を
手水舎を囲む手のみな濡れびかりはづかしきまで動いてゐたり
/同「恋」(「文學界」2017年7月号)
かの人も現実にありて暑き空気押し分けて来る葉書一枚
/花山多佳子『空合』〈あの人つて迫力ないね〉と子らがささやくあの人なればわれは傷つく
〈柿死ね〉と言つてデッサンの鉛筆を放り出したり娘は
/同『春疾風』大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり
/同『木香薔薇』つぎつぎに「おじやましました」と言ふ声の聞こえて息子もゐなくなりたり
爪楊枝のはじめの一本抜かんとし集団的な抵抗に会ふ
/同『晴れ・風あり』
ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
/永井陽子『なよたけ拾遺』べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
/同『樟の木のうた』あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
/同『ふしぎな楽器』十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり
/同『モーツァルトの電話帳』ぬけぬけと春の畳に寝てゐたり御伽草子の長者のごとく
ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり
うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う
/高瀬一誌『喝采』
カメを買うカメを歩かすカメを殺す早くひとつのこと終わらせよ
「半熟卵は半殺し」どこからかこの唄がきこえて来たる
ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり
/同『レセプション』
フリュートを吹く女こそ横たえてみよ暮らしてもみよ
吊るす前からさみしきかたちになるなよおまえトレンチコート
みづからを縊死せし枯れ葉こなごなになりて天へと開けり風よ
/「慈母蛆期」藪内亮輔『率』9号
引き絞るあなたを見てゐた引き絞られてつひにはなたれぬ涙を
唇あまた滅びてのちに一度だけふれし夜雨に海がけぶれり
水は水、風は風へと落ちてゆきたましひの辺の枯れ葉を絞る
/「心酔をしていないなら海を見るな」同『率』10号白鷺が遠くかなたに目覚めたりわたしはミルクをあたためてゐる
/「雨と光と海」同『京大短歌』21号草原の下に昨日の雨ありて抱くなよふかく雨は地を刺す
/「くち」同22号
入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で
/鳥居『キリンの子』
水筒の中身は誰も知らなくて三階女子トイレの水を飲む
鉄棒に一回転の景色あり身体は影と切り離されて
指先でひかりを剥いでゆくやうにあなたのしろいページを捲る
/「bibliophile」『短歌研究』2017年2月号
余白より文字はしづかで青杉の翳のさやげる季節に入りぬ
その胸をひらきゆくとき仰向けに花の名前を教えてくれる
- 作者: 笹井宏之,加藤治郎
- 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
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