鳥歌会on Twitterに参加しました
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
インターネットで開催された、第8回鳥歌会on Twitterに参加しました。前回に続いての参加でした。
参加者は主催の千原こはぎさんを含めて15名、詠草発表後にタグを使ったリプライで、互選をしつつ、最終日に選をするという、少し変わった選歌スタイルです。
今回はテーマ詠「初秋」でした。
じつは、半分くらい自由詠だと思っていたのですが、ギリギリにテーマ詠であることを確認し、半ば強引に、枕草子から「秋は夕暮れ」を借りて手持ちの歌を出しました。
夕暮れのスカイツリーはあでやかにうす紫のひかりこぼせり
三句がどうにもイメージを切り取る言葉がはまらなくて、試行錯誤をしているうたをどう読まれるかと思って出した歌です。
いただいた評は、「夕暮れの時間のマジックアワー」と好意的に受け取ってくださった方がいる一方で、「紫のライトアップは季節と関係ない」「題との距離がある」「何を詠みたかったのかがうまく伝わってこない、あでやかという主観的な表現は使わない方がよかったのでは」と厳しい評も並びました。
スカイツリーのライトアップは青が基調の「粋」と紫が基調の「雅」があるのですが、「雅」の色が夕暮れに溶けていく様子を描写できたらという、人工物への叙景のつもりでした。
枕草子の自然の描写に対して、都市の建造物の描写は、題を想起させるのが弱かったと思います。いろいろな意見を参考に、より良い表現に推敲していければと思います。
今回、選を入れた歌です。
クレリックシャツを羽織って淹れるお茶はらはらと葉がひらくのを待つ/葛紗さん(2点)
クレリックシャツは襟と袖が無地のおしゃれなシャツなのですね。秋を意識した服装がいいです。「羽織る」、「はらはら」、「葉」とハの音でゆったりとした時間をつくっているのがいいなと思いました。三句の切れは一字空けてもよいのかなと思いました。
セーラーの奥に鬼灯隠し持ち君を見るたびほのかに鳴らす/千束さん(1点)
ほおずきを鳴らすのが君との合図という光景は懐かしさを感じます。セーラーの奥に隠してという淡い思いが浮かび上がっていいなと思いました。「ほおずき」「ほのか」という音の調べも雰囲気を作っています。漢字表記は読者を選ぶかもしれません。
またひとつ夏の終わりを見届けて秋をはじめる庭の魔術師/有村桔梗さん(1点)
庭の魔術師は家族の誰かでしょうか。夏に伸びた草を取り枝を刈り実りの秋を迎える庭仕事に励む情景が伝わってきます。季節の変わり目はグラデーションのように変わっていくところを、決まった行為によって「秋をはじめる」というのがいいなと思います。
そして、今回の首席は二首でしたが、どちらにも選を入れていませんでした。
赤蜻蛉が火の粉のごとく飛び交へるすすき野原を駆け抜けて来つ/浦和みかんさん
火の粉のごとくという比喩は景を鮮やかに浮かび上がらせていていいなと思います。駆け抜けて来つは主体でしょうか、想い人でしょうか。蜻蛉が駆けてくるとも読めてしまうのと、上の句がすべて「すすき野原」にかかっているのが少し重たい感じもあります。
改めて読みなおすと、結句の「駆け抜けて来つ」に動詞が三つと助動詞があり、カ行とタ行が並んでいるのを重たいと感じていたのだと思いました。
君はもう過ぎてしまった日々になる 刃を寝かせ梨を剥くとき/南瑠夏さん
君は日々になるというつなげ方は少し強引な感じです。包丁の刃を「やいば」と読ませるのも無理があります。抽象的なイメージを具体的な描写で受けるという構造は見かけるパターンなのですが、梨を剥く行為と失恋はあまり呼応していないように感じました。
「君(といた日々の思い出)はもう過ぎてしまった日々(の出来事)にな(っているように感じられ)る」という補完が、自然に行われてイメージを浮かべることができると、自然に歌の内面に入っていけるのでしょうか。刃(やいば)を寝かすにも、時間の経過があるのかもしれないと、他の方の評を読んで気がつきました。
どちらのうたも、減点法で落としてしまった感があり、歌のイメージを大きく読み取ることが大事だなと思いました。
こはぎさん、参加された皆様、素敵な歌会をありがとうございました。