太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

第6回「現代の歌人を読む会」を開催しました(辰巳泰子さん・紀野恵さん)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

7月24日の日曜日に第6回現代の歌人を読む会を開催しました。
今回もはじめてご参加くださった方、久しぶりにいらしてくださった方、続けていらしてくださった方、8名で短歌を鑑賞することができました。

この日は『現代の歌人140』に加えて『現代短歌の鑑賞101』からも辰巳泰子さんと紀野恵さんの歌を読みました。

まずは辰巳泰子さん

 

どう夕焼けていいかわからない空のやう子を抱きどこまでも一人の私

なでふふかきやみに黄金虫をうちわが身代はりに子をうちすゑる

 一首目は孤独な自分を夕焼けに投影しているかのよう。夕焼けを主体的な動詞とよみ子を抱くとの動詞の対比に遠近感が感じられる。主体自身のわからなさが、初句と四句の大幅な字余りによって表現されている。

二首目は、なでふふかきやみという言葉の重み、句またがりにて読ませる上の句のリズムと、黄金虫をうつことと子をうつことによって主体の至らなさのような感じが伝わってくる。愛しい子を自分の自由にはできないのだというもどかしさがある。

作品を通して、子をモチーフとした歌が多いことと、自己を劇化しているイメージ。破調、特に初句の字余りが多く、言葉になりきらない生々しいものをつめこんでいる印象を受けました。

 

続いて、紀野恵さん

 

つめたくもなくぬくくなくくくめるはくるしくもなくくくや山鳥

台所嫌ひの女友達よスイス・ロマンド・カンゲン・ガクダン

一首目は「く」の音をぎっしりと詰め込みながらも、音の響きがやわらかい不思議な一首。「くくめる(口にふくませる)」や「くく(もれる)」などは言葉あそびだけと言い切れないセンスがある。

二首目はスイスロマンド管弦楽団という固有名詞を、あたかもすべて外来語のようにカタカナとナカグロで結びつけることによって、いかにも家事をしない女友達を少し茶化しているかのようなユニークさがある。

作品を通して、辰巳さんとは対照的なまでに、私生活を歌にしない。回文や返り点といったこだわった趣向を凝らしながらも、明るさや音楽的な価値観が伝わってくる感じを受けました。

 

今回も、ほぼ同世代の歌人なのにまったく歌の雰囲気が違うお二方の取り合わせとなりました。休憩後に頭を切り替えるのが大変だったという感想もいただきました。

アンソロジーをよむことで、歌人の複数の歌集をとおして、歌人の生き方やものの見方を複眼的に捉えることが楽しいなと思うと同時に、さまざまな視点から一首一首を細かく読むことの大事さにも気がつく時間となりました。

 

次回は、9月17日(土)10時から12時の予定で開催します。

ご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、下記までお気軽にご連絡ください。

mailform.mface.jp

どうぞよろしくお願いいたします。

現代の歌人140

現代の歌人140