太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

2018年4月夏韻集首都歌会に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
4月1日に未来夏韻集の首都歌会に参加しました。
夏韻集首都歌会は3か月に一度、主に新宿で開催されているのですが、記名無選歌でひたすら歌を読むというスタイルに得るところが大きく、2年ほど前から参加しはじめて、ここ1年以上は続けて参加しております。
普段は20名前後の参加者が集まるのですが、今回は15名となり、一首一首をじっくりと読むことができました。自分としては誤読もたくさんありましたが、たくさん発言しようと思って参加したので、そこはよかったと思っています。
何をもっていい歌とするのかは、それぞれの短歌観があると思うのですが、自分のなかのモノサシの精度をあげるには、やっぱり評を自分の言葉にしてみて、ほかの方の発言と比べていく、という工程が大事なのではないかと思いました。
杓子定規のようなものをあてるとヘンな解釈になってしまうのは判っていつつ、こう読めてしまうという解釈を語ってしまったところは反省しますし、暗喩の読めなさは克服せねばと思っています。
自分の歌にも両論ありましたが、大辻さんにいいと言っていただいたので、自信を持ってリズム感のある破調を使って行こうと思います。
どうもありがとうございました。

わからない歌をよむ

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
歌人2018年3月号の雁信に斉藤斎藤さんが次のように述べています。

短歌がうまくなるには、歌集をたくさん読むとよい。それも好きな歌集ではなく苦手な歌集、上手いけれども好きになれない歌集を読むとよい。

短歌を始めてそろそろ4年が経とうとしているのですが、同じくらいにはじめたの多くの方が、穂村弘さんの歌がよいと言っているのに、なぜかうまく読みきれない感じがありました。いいといわれている歌を読みなおして、どうして苦手なのかを考えてみます。

 

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

よってるの
わたしがだれか
わかってる

ぶうふうううの
ううじゃないかな

発話者が二人いる。酔ってるか酔ってないか、わかってるかわかってないか、この4パターンのどの可能性も否定できない。「ブーフーウー」は三匹のこぶたをモチーフにしたぬいぐるみ人形劇。ウーは一番のしっかり者らしい。

 

恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死

こいびとの
こいびとのこい
ひとのこい
ひとのこいびとの
こいびとのし

韻律の要請にしたがって、二句と三句を切る。「恋人の恋人の恋」思っている人が思っている人の恋である。これを考えてしまうのは切ない「人の恋人の恋人の死」死が提示されることで「恋人の恋人の恋」がずっしりと重みをもつ。

 

きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふらんせ

きがくるう
まえにからだを
つかってね

かよっていたよ
あてねふらんせ

「ね」と「よ」の呼びかけは、誰に向けられているのだろうか。気が狂うことをあらかじめわかっているのも不気味である。通っていた(過去)体を使う(未来)気が狂う(さらに先の未来)と時間をさかのぼるように書かれている。

 

ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち

はろおよる

はろおしずかな
しもばしら

はろおかっぷぬう
-どるのえびたち

夜はわかる。静かな霜柱も韻を踏んでいて、北国の夜のイメージが伝わってくる。なぜカップヌードルの海老たちが出てくるのだろうか。句跨がりのリズムも複数形の海老も韻律として無理なく入ってくるのに景が浮かばない。

この歌についてはいくつかの言及があり、ふたつの読みをしてみました。

①(冬の夜にカップヌードルを手に外へ出る)上を向いて「ハロー 夜」と呼びかける。下を向いて「ハロー 静かな霜柱」と呼びかける。そして、手に持ったカップヌードルに向かって「ハロー カップヌードルの海老たち」と呼びかける。

②(冬の帰り道)ああ夜だなあ。(足元の感触から)ああ静かな霜柱だなあ。(家に帰ってカップヌードルに湯を注ぎ)カップヌードルには海老は複数入っているのに、わたしはひとりなのだなあ。

場面を固定するとシュールな景になってしまうのですが、場面がいくつかあると捉えると、冬の夜のたったひとりの孤独を感じることができました。

尾崎放哉の〈咳をしても一人〉に通じる世界があるのかもしれません。

 

感想などありましたら聞かせてください。

 

短歌人2018年4月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌会のち二次会のち三次会のち京へと向かう夜のバスにて
スーツケースにアンソロジーを詰め込んで文フリというキャラバンに出る
夜行バスの座席は巣なり ペットボトルを数本持って巣にこもるなり
眠剤をキメそこなって一睡もできねばバスのたびをたのしむ
音もなく灯りもなくてひとりきりあてどなくエッセイの構想を練る
早朝の京都に手持無沙汰なれば『闇金ウシジマくん』で時間をつぶす

2月号の作品に月評をいただきました。内山晶太さん、ありがとうございました。

医者・歯医者・医者・医者・ミーシャ 聞きおればいしゃばかりなるMISIAの家族

意味ではなく音に特化した一首。が、医者や歯医者といった硬めの職業とエンターテイナーのMISIAとの意味的な落差もたのしい。音の同一性にみちびかれて、ミーシャがねじこまれてくるどさくさまぎれの雰囲気をそのままたのしみたい。

 

感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

千歳烏山歌会に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月25日の日曜日に千歳烏山歌会に参加しました。この歌会は五首の記名連作の互評をおこなうのですが、今回は十五首で発表した作品のラスト五首を評してもらいました。

無記名一首を評するときは、その歌自体がもつ意味や調べをテキストのみをベースにひも解いていくのですが、五首あると作者の文体や技法の使い方の傾向、作歌の奥にあるそれぞれの価値観を、また五首の作品のなかでどの歌がよいかといった、同じ作者の歌を比較して読むという経験ができました。

また、自分の歌に対しても、歌そのものの強度のバランス感や、歌と歌の行間に込めた思いなども汲んでもらえてうれしかったです。

会場の採光がすばらしく、景色をみながら桜餅をいただき、少しだけ花見の気分を味わうことができました。

懇親会も、早めの時間からたっぷりと話をすることができて、どのように短歌と向き合っていきたいのかなどを、異なる結社の方々と話をすることができました。

参加者の皆さま、どうもありがとうございました。

推し歌人アンソロジー③(最近のイチ推し歌人編)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

推し歌人アンソロジーです。①影響を受けた歌人、②好きな歌人、に続いて今回は、③最近のイチ推し歌人です。わたしが推すまでもなくすでに注目を集めている方もいますが、できるだけ様々な媒体から歌を紹介します。

 大切なものもそうでもないものも深く座席にあずけてしまう
/北村早紀 NHK短歌2015年11月号

息がきれるくらいなにかをすきになるすきが私の歴史をつくる
/『そしてぴょんすはいなくなった』

君に火をおこしてほしい記憶の中の私がいつでも燃えているように

もうぬるくなってしまった約束をあらためるため対岸に立つ
/『京大短歌』22号

私だけはだかで歩いている夢をふりほどくとき息をひそめて
/『かんざし』第三号

あっちの都合でやさしい人と思われてそういうことにしといてあげよう

 

振りむけばあのひと冬の出来事が綺麗な駅として建っていた
/佐々木遥『洞田』洞田明子歌集

つまりよいふるえにとてもみたされて冬の初めのタワーレコード
/「さざなみ」

留学にも持っていったと思いつつ即席にゅうめんに湯を注ぐ
/『湯舟に乗れ!』山階基トリビュートアンソロジー

みずぎわのつもりで窓ぎわに座り話しはじめるまでの沈黙
/『ぬばたま』第二号

感情をとくに名づけずいたせいで拍車のかかる涙腺の火事

おそなつの夜明けを頬と呼ぶときに感情が思想にかたむいて

 

ストレートパーマを君があてたから春が途中で新しくなる
/武田穂佳「いつも明るい」第59回短歌研究新人賞

携帯をあまり触らない友達のポニーテールは川に似ている

鏡台の椅子の木目を撫でまくる やさしいひとにやさしくしたい

始発待ちながらだんだん冷めていくおしぼりみたいにみじめな気持ち
/「見切られた桃」短歌研究2016年10月号

泣いている顔を見られてそれからはわたしとは手を繋がぬ従姉妹
/『She Loves The Router』

生きてさえいれば 無人の円卓のラスクのざらめがはなさぬ光
/大学短歌バトル2018

 

パレード、パレード 色ひしめいて幸福をここに集めて空っぽの空
/長月優「うたの日」

プラタナスの木陰 だれもが夢をみて自分の価値を信じていたの
/「短歌一武道会」

きっときれいな骨をしているだろう人と夏の終わりに海を見に行く
NHK短歌2016年10月号

祖母ほどの齢のひとの心音をまだ新品の補聴器で聴く
/『かんざし』第三号

投薬の多さがいのちの危うさで食後にじゃらりと錠剤が鳴る

 一週間ごとに実習先は変わっていく
実習を終えてもあなたの闘病は カルテの記載を丁寧にする

 

止まりなさいそこのくちびる止まりなさい路上接吻禁止地区です
/小坂井大輔「短歌くだしゃい」

昨日でも明日でもなく今日があるお腹をむぎゅっとつまむ真夜中
NHK短歌2015年1月号

わたくしは三十五歳落ちこぼれ胴上げ経験未だ無しです
/「スナック棺」第59回短歌研究新人賞候補作

シート倒していいか聞けずに美しい姿勢のままでついた東京
/「夜な夜な短歌集2016年秋号」

傘で電柱を打ちまくっていればそこ一帯はのどかな町です
/「短歌ホリック①」

何ひとつ成し遂げられずに生きてきたランキングがあるならば一位だ
/「短歌ホリック②」

 

吾を求む声を浴びつつ構わざる街行く人にまたなりにゆく
/鈴木秋馬 短歌人2014年8月号 20代30代特集

数桁の数字にすぎぬわれらあり生と死を統ぶ算術のなか
/2015年8月号 20代30代特集

盲ひよりめしひてあらむ太陽をおそるるあまり眼をあけざれば
/2016年8月号 20代30代特集

雨だれと聞きたがへたる針の音に時のしたたるさまをおもひぬ
/2017年8月号 20代30代特集

目にしてはならぬものなりみづからのうしろすがたをうつす鏡は

めざめつつながむる夢のさめざればうつつうつろにうつろふばかり

 

やあ! セルフ全否定くんきみの血のようなたそがれを濡れて帰る
/鈴木ちはね『湾岸幼稚園』

これから抜く歯をきれいに磨いて秋の日の自転車を漕いで歯科医院へ行く
/『墓には言葉はなにひとつ刻まれていなかった』

献血をしたよさよなら僕らの血いろんな人の血と混ざってゆけ

サイゼリア前を二往復してからサイゼでもいいかって入るサイゼリア
/『よい島』

有識者会議の机上いちめんに有識者の数だけの伊右衛門

素手で送りバントさせられる夢を見た 笑い話にできるだろうか

 

夜明け前電子レンジの明るさで昨日のグラスをかるくすすいだ
/浪江まき子「光のあわい」第16回髙瀬賞受賞作

ラッセンの覚悟を思う 絵を描いてお金をもらって生活をして

そこにある光をたしめるようにネガをかざした朝のひかりに

インカメラで家族写真を撮っている後ろを申し訳なく通る
NHK短歌2017年10月号

公園にひとり自撮りを何回も撮る自販機に虫が群がる
/「星に願いを」『めためたドロップスS』

父母(ちちはは)とわたしと無言でカーラジオからX JAPANなぜ今なんだ
/短歌人2018年1月号

 

桃色の粉末透ける薬包紙やぶくのに要るわずかな力
/相田奈緒 NHK2017年3月号

ブランコの鎖をねじってから放つ少しはなれてのたうつのを見る
/短歌人2017年9月号

予防線張らないでいるねむるおきる ねむっている間に返信がある
/短歌人2017年11月号

おろしがねのような夜川を渡るとき私は減少する、御茶ノ水
/短歌人2018年1月号

7億のメールアドレス流出しそれを流した水の体積

冬の川白く凍って対岸の老若男女渡りはじめる
/短歌人2018年2月号

 

全自動わんこごめんね全自動わんこ2のほうがちょっとかわいい
/初谷むい『春の愛してるスペシャル』

エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜をおもうよ
/『ぬばたま』創刊号

好きじゃない人が飼ってるハムスターその水を換える好きじゃない人

氷水から氷を出してあなたはぼくの水も氷水にしてくれた
/「なんたる星」2017年8月号

イオンならあるよめがねもなおせるし、げんき レンジでパスタをゆでる
/『ぬばたま』第二号

あたらしいニットが身体に合っている ようこそぼくの身体へニット
/「ワールドエンドに際して」『詩客』

花は泡、そこにいたって会いたいよ (新鋭短歌シリーズ37)

花は泡、そこにいたって会いたいよ (新鋭短歌シリーズ37)

 

前川さんと鳥居さんの話を聞きました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
3/18に専修大学で開催された、前文部事務次官の前川喜平さんと歌人の鳥居さんのトークイベントに参加しました。

最初に鳥居さんの歌がいくつか紹介されたのち、鳥居さんの話がありました。鳥居さんがなぜセーラー服を着ているのか、どうして短歌を作っているのか、ようやく手に入れた夜間中学生活で直面した課題を聞かせてくれました。

どうして発展途上国の児童や生徒が学校に通えるように基金をつくっているのに、自国の普通教育を受けられなかった人に対して支援をしないのだという問いは権利を当然のように受けている人間の配慮の足りなさを指摘するものでした。また、現状の夜間中学の生徒はほとんどが外国人であって、実態は語学教室であり、学習をやり直したいというニーズに答えていないという事実も教えてくれました。

続いて前川さんの話では、行政は前例踏襲を基本としているので、行政が単独で何かを変えるのがむずかしいと聞きました。また、実際の法案が通ったのち、国・都道府県・市町村のそれぞれの行政がどのように動いているのか、また、超党派の議員が協力して法案を通すという、与野党の対立だけではない政治の世界のダイナミズムを詳しく説明してくれました。

クロストークでは、前川さんが歌舞伎町で実際に会った人の話からプロレスの話、そして万葉集へと至るエキサイティングな対談でした。鳥居さんの質問には前川さんもびっくりしていましたが、誹謗中傷に値する事実がなかったことをメディアの前で証言する機会を提供しようとしていたと気がついてじんわりとしました。

鳥居さんは、現実を受け入れてサバイブしていくために必要なことは孤独を恐れないということを教えてくれました。高校や大学への進学意欲があって、教育についても学びたいと言っているのが心に残りました。前川さんは「義務教育」ではなく「普通教育をあまねく国民が受ける権利を国が保障する」べきだという持論と、他者の意見を悪意と取るのではなく意見の異なる人の話もまず聞いて、それでも話が違う人とはうまく距離をとるという、誠実で懐の広さを感じました。

前川さんの愛読書が、斎藤茂吉の『万葉秀歌』ということを聞いてとても親近感がわきました。また、基本的人権が奪われた人を社会がどのようにすくい上げることができるのかという命題と、文学は生きる力となり得るのだという事実に、畏敬の念を感じました。

鳥居さん、前川さん、企画を立ててくださったみなさま、このイベントを教えてくださった岸原さんに感謝いたします。

キリンの子 鳥居歌集

キリンの子 鳥居歌集

 
これからの日本、これからの教育 (ちくま新書)

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短歌人3月東京歌会に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
東京歌会に参加しました。今日の詠草は40首でした。少し遅れていったのですが、ちょうど自分の歌の評に間にあってよかったです。複数の方の読みを聞くといろいろな発見がありました。一方で歌の読みを自分の経験にだけ基づいて固定するのはどうかと思う評もあり、気持ちのよい場を維持していかなければと思う瞬間もありました。
歌会のあとの研究会はミニシンポジウム形式で、前衛短歌について話を聞きました。2時間でパネリスト4人は時間が足りない感じはありましたが、当時の時代背景や方法意識を聞くと読み方が変わってきそうです。塚本自身の人間がにじみ出る歌がやはりあるようで、時間を掛けて第一歌集から読みすすめてみたくなりました。
諸々あって懇親会はパスして、甘いものだけ食べて帰ります。
歌人東京歌会にご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、メッセージなどいただければご案内します。どうぞよろしくお願いいたします。

参加者、パネリストのみなさまどうもありがとうございました。

字空けの効果について

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
このところタイムラインに流れてくる歌になんとなく一字空けがたくさん使われているように感じています。その一字空けが本当に必要なのかなあ、と余計なことを感じたりしているのですが、では何が効果的な一字空けなのかと考えてみます。一字空け(二字空けや句読点との組み合わせを含め)が効果的に決まっていると思う歌を引用します。

ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて
永田紅『日輪』

ああきみが
とおいよつきよ

したじきを
はさんだままの
のおとかたくて

5-7-(1)-5-7-7

距離を示す一字空けである。物理的なのか心理的なのかは示されないが、遠い君を思う気持ちは、月夜の冴えわたるような空気と下敷きの硬質な感じに遮られて、切なさを伴って訴えてくる。整った韻律のなか「ああ」という詠嘆の入りに対して、一首全体のオ段音の籠もった音がもどかしさを伝えてくる。

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり きて
東直子『春原さんのリコーダー』

はいそんを
つげるかつじに
もものかわ
ふれればにじみ
-ゆくばかり きて

5-7-5-4-8-(1)-2

場面の転換となる一字空けである。新聞の上で桃の皮を剥いているのであろう。桃の果汁によって文字が滲む、その濃密さが主体の何かに訴え、思わず「きて」と声を発したのかもしれない。空虚な廃村の記事から桃、そして主体の心へと一気にテンションが高まっているのが、句またがりと一字空けで示される。

この春のあらすじだけが美しい 海藻サラダを灯の下に置く
吉川宏志『夜光』

このはるの
あらすじだけが
うつくしい

かいそうさらだを
ひのしたにおく

5-7-5-(1)-8-7

意味の一意性のための一字空けである。美しいは海藻サラダに掛かるのではなく、終止形で独立している。上句の抽象的なイメージを下句の具体的な主体の行為で受ける構造であるが、上句は「この」「だけが」とふたつも限定の言葉が使われているが、下句との呼応や「あらすじ」をどう捉えるかは読者に委ねられている。

月を見つけて月いいよねと君が言う  ぼくはこっちだからじゃあまたね/永井祐『日本の中で楽しく暮らす』

つきをみつけて
つきいいよねと
きみがいう


ぼくはこっちだから
じゃあまたね

7-7-5-(2)-9-5

月をみつけた君の声によって主体も上を向く。そしていっしょに月を見たあとで、自分の帰り道をこっちだからと示す。二字空けというたっぷりとした時間の中に、視線が上から後ろへまわるような感覚がある。そして、下句の三連符のような9音ののちの5音の欠落感にも、二字空けが余韻として効いている。

うつむいて並。 とつぶやいた男は激しい素顔となった
斉藤斎藤『渡辺のわたし』

うつむいて
なみ    と
つぶやいた
おとこははげしい
すがおとなった

5-(2+4+1)-5-8-7

一字空けが1音のモーラになることは韻律の感覚としてよくわかる。句点はほぼ倍の効果がある。この歌では、句点+一字空けを4音のモーラと捉えるとほぼ定型として読むことができる。声だけの男が激しい素顔に変わるその瞬間を、無音の時間として示すことで、牛丼屋の日常風景を浮かびあがらせている。

合同批評会「羊歯とボート」に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月3日のひな祭りの日に、原田彩加さんの『黄色いボート』と國森晴野さんの『いちまいの羊歯』の合同批評会に参加しました。

前半は『黄色いボート』『いちまいの羊歯』のそれぞれについて、3名のパネルディスカッション形式で、一冊を丁寧に読みすすめて行きました。

『黄色いボート』のパネルはまひる野の今井恵子さん、率の平岡直子さん、塔の花山周子さんでした。

原田さんの短歌は、きれいで読みやすくすっと心に入ってくる歌が多かったです。働く女性として共感の高い歌が多く、3名のパネリストの持つ感覚が比較的近いように思えました。表題の歌をどう読むかについては意見がいろいろと出ました。

『いちまいの羊歯』のパネルはかばんの佐藤弓生さん、短歌人の内山晶太さん、pool ・[sai] の石川美南さんでした。

國森さんの歌は、言葉の持つモチーフに乗れるかどうかで大きく読みが分かれるのかなと感じました。専門用語をもとの意味と比べたり、身体のイメージを擬人化していたり、概念がそのまま比喩になっていたりと、きちんと読もうとすると読みきれないというのは言われて納得でした。

後半は6名のパネリストが、お互いの作品についての評を述べたり、使われる語彙の相似性など東直子教室の特徴などが指摘され、時間があっという間に流れていく感じでした。

会場からの発言、監修者のあいさつ、著者お二方の感謝と抱負が述べられ、あたたかい空気につつまれた、居心地の良い時間を過ごすことができました。

東さんのもとに集まっている方々のホスピタリティの高さに誘われるままに懇親会と3次会にまで参加してしまいましたが、作者の持つ文体と一首の持つフォルムの違いなどパネルディスカッションで聞ききれなかった話や、結社・同人・カルチャーセンターの違いなどをたくさん話すことができました。

楽しい時間をありがとうございました。

無いものは無いとせかいに言うために指はしずかに培地を注ぐ

終わらせたこころをひとつD列の鳥卵標本箱におさめる

切りすぎた前髪のまま追いかけるわたしは雨のはじまりに立つ

/國森晴野『いちまいの羊歯』

いちまいの羊歯 (新鋭短歌シリーズ36)

いちまいの羊歯 (新鋭短歌シリーズ36)

 

嫌わずにいてくれたことありがとう首都高速のきれいなループ

岡山発南風5号ふるさとの空の青さが近づいてくる

庭中の花の名前を知っている祖母のつまさきから花が咲く

/原田彩加『黄色いボート』

 短歌人2017年6月号に『黄色いボート』の書評を書きました。

seijiota.hatenablog.com

 

 

短歌人2018年3月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

フィルムに色うかびゆく二十秒 おのれの顔におののくむすめ

初売りのロールケーキを二本買い子のなきいもうとの家へと集う

家の話とクルマの話は注意深く避けつつ薄きハイボール舐める

母だけには歌をつくると告げており祖母(おおはは)にだけ伝えてと頼む

坂多き横浜をぬう いもうとの家も実家も斜面にあって

ぬばたまの大黒埠頭にみはるかすみなとみらいが車窓に消える

1月号の作品がSelection(具体的で情景がよく見えるうた)に掲載されました。

点滅が近づいてきて点滅はロードバイクとともに去りゆく

室井忠雄さん、どうもありがとうございました。

 

感想などお聞かせいただけるとうれしいです。