太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

短歌人2017年9月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年9月号 会員2(太田青磁

北鎌倉のホームは狭し降りたてば心太(ところてん)のごとく押し出されたり

明月院への参拝の列長ければ早々にスルーする軟弱なわたし

道の辺の紫陽花は日に褪せておりスーダンの地の前線思う

自販機に取り付けられた栓抜きで栓抜くときの壜の手ごたえ

建長寺武門の寺の面立ちに気持ち背伸びす風吹きぬけて

6月に参加した花咲歌会の鎌倉吟行を一連にしました。特集以外で連作を月詠に出すのははじめてでした。ご一緒してくださった皆さま、どうもありがとうございました。

書評が終わりひと段落ではあるのですが、読んで書くことも習慣にできればと思っています。

感想などお聞かせいただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。

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短歌人2017年8月号「20代・30代会員競詠」より

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

歌人8月号は毎年、20代・30代の特集があります。わたしは30代の終わりで短歌をはじめたため、一度しか参加できませんでしたが、題をつけて連作を出す経験は得がたいものがあるなと思います。欄頭から3首を。

無防備な笑みを浮かべているような一重の薔薇の花片にふれる
/黒崎聡美「薔薇園」

一重の薔薇はどこか危うさを感じさせる、そんな薔薇の表情を無防備な笑みとたとえて、存在を確かめるようにそっとふれる動きがスローモーションで浮かぶようだ。

 こわれてから捨てるキッチンタイマーのうさぎの顔のかたちしずかな
/大平千賀「梅雨入り」

結句のしずかなに、キッチンタイマーとしての機能を失ったときにはじめて見せる無垢なうさぎの顔を捉えてしまう主体の躊躇のような感情の動きがみえる。

わたくしを食ひ散らかして安らかに子は腹満ちて目を閉ぢている
/桃生苑子「母なる音」

一読よく分かる母になる喜びの歌。乳児に対して、わたくしを食ひ散らかして、と大仰に入るところがどこかわが子を対等に見ているようでもあって微笑ましい。

今回の特集と連動して、三角点(エッセイ欄)は特集号参加者の方々で構成されていました。また、現代短歌から好きな歌を一首紹介というのは、いい歌バトルとも連動していたのかもしれません。

誌面全体が少しずつリフレッシュしているような感じです。 わたし自身もいい流れに乗っていきたいなと思います。

短歌人夏季全国集会 いい歌バトルプレが開催されていました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

いい歌バトル@宇都宮には、短歌人以外の結社や同人などで活躍されている方々にもたくさん見学に来てくださいました。なかでも、伊舎堂仁さん、睦月都さん、伝右川伝右さんが、短歌人歌人の歌を持ち寄って

note.mu

というイベントを開催してくれていたようです。

https://note.mu/gegegege_/n/ndc565192f1c9

夏季集会のはじまる前、わたしは同じ結社の方たちと大谷資料館(大谷石地下採掘場跡)を見学し、餃子を食べて臨戦態勢を作っていたのですが、短歌が好きな人はほんとうに短歌が好きなんだなあと。

バトルの内容は伊舎堂さんが丁寧にまとめてくださっているのですが、短歌人のひとりとしてこのバトルの感想戦をしてみようと思いました。

●伝右川伝右 選歌

なめらかにくぼんだ石の箸置きが指にやさしい飲み会だった
山本まとも

こわれてから捨てるキッチンタイマーのうさぎの顔のかたちしずかな
大平千賀

●伊舎堂 仁 選歌

鳴くだけの事ぁ鳴いたらちからをぬいてあおむけに落ちてゆく蝉ナイス
斉藤斎藤

夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして
小池光 

●睦月都 選歌

うまそうな食事の匂いをつくる人はやはり男の五十代だったな
髙瀬一誌

定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジョルカの花
斎藤史  

 まず、この歌人のセレクトですが、 伝右川伝右さんが紹介した歌人は【短歌人を担うホープ】、伊舎堂仁さんが紹介した歌人は名実ともに【短歌人の顔】、睦月都さんが紹介した歌人は【短歌人の礎となった方】であるのがユニークだなと思いました。失礼ながら、敬称略で紹介をします。

山本まともは、実は先月に短歌人入会を決めたばかりの新人である。ではあるが数年前より短歌人の勉強会に精力的に参加しており、同世代の仲間からはようやく決断してくれたとの期待が高い歌人である。掲出歌は2014年の短歌研究新人賞候補作「デジャ毛」から。日常の違和を巧みにすくいあげている。

大平千賀は2017年「利き手に触れる」により第28回歌壇賞を受賞した、短歌人の今後を背負う注目の歌人である。短歌人所属歌人の総合誌新人賞は14年ぶりの快挙。掲出歌は短歌人8月号の20代・30代競詠にで発表されたまさに最新作である。ものの確かな手ざわりをつかむ実直な歌い方が持ち味。

斉藤斎藤は、NHK短歌選者や新感覚短歌としてバラエティ番組にも取り上げられる歌人。掲出歌を含む第一歌集『渡辺のわたし』では鋭い観察眼をどこかユニークな文体で包んでおり、口語短歌の可能性を大きく開いた歌人と言えよう。2017年より短歌人編集委員を務める。近作に『人の道、死ぬと町』。

小池光は、短歌人の重鎮であると同時に歌壇における影響も非常に大きい。掲出歌を含む第二歌集『廃駅』は小池光の抒情が最も先鋭な一冊である。歌材は日常的なものに移ってゆくが物事の本質を捉える視点は鋭い。1968年より現在まで編集委員、1985年から2011年まで短歌人の編集長を務めた。

髙瀬一誌は、亡きあとも髙瀬賞(短歌人新人賞)にその名を残す精神的支柱である。歌集は四冊と少ないが、句がまるごと落ちてしまうような字足らずを特徴とした口語破調は、追随ができないオリジナリティがある。掲出歌は遺歌集『火ダルマ』より。1966年より1985年まで編集人兼発行人を務めた。

斎藤史は、短歌人創刊者である軍人の斎藤劉を父に持ち、十数冊の歌集を持つ現代を代表する歌人である。掲出歌は第一歌集『魚歌』。短歌人はまだ発刊前ではあるが、結社を設立しようとする父への思いも現れていると言えよう。初代編集委員を務めるも、1962年に短歌人を退会し「原型」を創刊した。

これらの歌を読み返すと、やはりいくつかの傾向があって、どの歌も主体の認識で成り立っている感じを受けました。少し長くなりますが、掲出歌を読み返した感想です。

斎藤史の歌は、地中海の花に寄せて自分自身が定住という感覚を持てないでいることを、髙瀬一誌の歌は、食事の匂いからある世代の持つ感覚を再認識しまうことを、小池光の歌は食事という行為を通じて魚の生と死を実感していることを、斉藤斎藤の歌は蝉の生涯の力の入れ加減と死後の蝉への心寄せを、大平千賀の歌は、機能を失ったキッチンタイマーの形状を、山本まともの歌は、宴席での箸置きに触れた体感覚を、それぞれ歌っていて基本的に自己完結している(二人称の不在)があげられるのかと感じました。

昨年の短歌人20代・30代競詠評(2016年11月号)で塔の大森静佳さんが指摘していた「現実の渇きにむきあう」で、職場や家庭など日常生活の息苦しさに向き合う、恋や愛の歌がほとんどないことにも驚く。と書かれていたように、短歌人の社風なのかもしれません。

また、破調の歌が多いなという印象もあります。斎藤史の歌は58687。髙瀬一誌の歌は58679(珍しく字余りです)。小池光は魚を「うを」と読めば57577の定型ですが、個人的には余らせても皿と合わせて「さかな」で57677と読みたいです。斉藤斎藤の歌は57787。大平千賀の歌は67577。山本まともの歌は入会前なので比較してよいのか分かりませんが57577の定型です。ただ、髙瀬一誌と比較した議論で、結句を「だったな」と入れて57578と読んでも、かえって落ち着くような印象も受けます。

これらの字余りは、それぞれの歌の主体がどこか共通して持つ、日常生活に対する屈託であったり、対象に対する微妙な距離感であったりして、リズムを溜めることによる心の留保を読者に示しているという印象を受けました。

さらに加えると、都市生活者としての視点がどの歌にもあるように感じます。短歌人は「現代を生きて、現在を詠うーー。」という文言を広告に載せているのですが、斎藤史の歌は戦前の歌ながらにして非常にモダンです。他の作者の歌も自己の認識を俯瞰する視座があって、落ち着いた印象を受けるのです。感情は「やはり」「ほのか」「ナイス」「しずかな」「やさしい」と主体のなかにある空間を作って置かれています。

年代も世代も異なる6人の歌から、何かを感じてしまうのは、自分自身が短歌人という結社にいて、その空気を非常に好ましく思っている、といえばそれまでなのですが、図らずもこういう歌をよしとする結社があるということが、外部の方に伝わればうれしいなと思います。

あらためまして、伊舎堂さん、睦月さん、伝右川さん、素敵なバトルをありがとうございました。また、この内容を記録して公開してくださったことにも深く敬意を表します。

長くなりましたが、最後まで読んでくださった方にもありがとうございました。

短歌人夏季全国集会(2017)に参加しました。(2)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

引き続き、夏季集会の話題をいくつか。

「いい歌バトル@宇都宮」では、台本のない進行はやはり盛り上がるものだなあと思いました。運営については、外部の方にいらしていただくのであれば、受付は準備しましょうとか、リハーサルはしておきましょう、とかあるのですが、短歌人のイベントに来てくださる方はきっとその辺のゆるさを受け入れてくれる方々なので、ほどよく場が馴染んでいく感じも楽しめました。

内山さんは別格として、角山さん、黒崎さん、大平さんの選歌・選評が実直な感じがして、同じ結社のすこし前を走っている方々の歌への向き合い方がよくわかる会だったのをうれしく思いました。全体的には「いい歌」について語る会なので、ビンテージチームの「この歌人がこんな歌をこんな媒体で」というのはアンフェアかなと思ったのですが、フレッシュチームがそこを突き破るにはちょっと勢い負けしてしまったのかもしれません。

宇都宮さんの重みのあるジャブは速すぎて、捉えきれなかったところは自分の中の土壌が足りない感じもありました。服部さんの素敵な衣装と全能感のある語り口を聞けたのはよかったです。十二者十二様の短歌観が重なり合って、短歌人らしいイベントになりました。

続いて、パーティーと授賞式です。髙瀬賞は浪江まき子さんの「光のあわい」、評論・エッセイ賞は桑原憂太郎さんの「高瀬一誌のエロス」と泉慶章さんの「「歌よみに与ふる書」が問いかけるもの」となりました。あらためましておめでとうございます。今年は両方に応募したのですが、どちらも力及ばずでした。また応募しようと思います。髙瀬賞に応募した短歌は編集委員の今井さんと紺野さんから激励を受けました。この方向で自分のスタイルを作りあげていこうと思いました。

パーティーでは、神戸の西橋さんが、兵庫県歌人クラブの批評会にわたしの書いた南輝子さんの書評を紹介してくださったとのことを伺って、何事も経験だなと実感しました。定期的に書評や歌評を書いていこうと思いました。

買い出しに出かけたあとの深夜サロンでは、小池さんを囲んでいい歌バトルの講評や短歌実作の方法論を熱く語っていただき、それだけで十分すぎるほどぜいたくな時間となりました。各地の方々ともお話ができるとても貴重な時間でした。

二日目は120首を超える数の歌会でした。20首ずつ6回の歌会を繰り返すというめちゃくちゃヘビーな歌会でしたが、東京歌会では普段はしない選歌についての感覚や先行批評や総評をしっかり聞くという体験はやはり結社ならではのもので、新しく入会してくれた方も満足度も高かったらしく、歌会の素晴らしさをあらためて感じました。大きな会でしたが、けっこう発言もできました。服部さんは歌会にもご参加くださって、短歌人にはない読みをたくさんして盛り上げてくれました。

そして、さよならパーティーです。蒔田さくら子さんからも今がいちばんいい時だと伺ってますます楽しみな短歌人です。大平さんと「いい歌バトル」の選歌の話などして盛り上がりました。

新幹線で帰るつもりでいたのですが、多数決に押されるように宇都宮始発の普通電車で、せめてもの贅沢でグリーン車に乗って帰りました。帰りの車内でも歌会の話や連作の話、ネット歌会のあり方などざっくばらんに話しながら東京にたどり着きました。

運営してくださった皆さま、ご参加された皆さま、楽しい時間をありがとうございました。

短歌人夏季全国集会(2017)に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

8月5日・6日の2日間、短歌人の夏季全国集会が宇都宮で開催されました。

初日は「いい歌バトル」と称した、参加者(短歌人所属歌人10名+ゲスト宇都宮敦さん、服部真里子さん)がここ一年に出版・販売された歌集、総合誌、結社誌、同人誌、新聞などから、自分がいいと思う歌を紹介して、そのいいと思う理由をベテラン(ビンテージチーム)と若手(フレッシュチーム)に分かれて戦う、というエキサイティングな企画でした。

企画の詳細は、短歌人の集会記などで紹介されると思いますので、掲出歌について自分の鑑賞を書いておこうと思います。

老けてゆくわたしの頬を見てほしい夏の鳥影揺らぐさなかに
/大森静佳「鳥影」(角川「短歌」2016年7月号) 

自分の生の変化をありのままに共有してほしいという気持ちが伝わってくる。揺らぐさなかという短い時間の流れは認識の瞬間であり、その認識の連続を老けると表現しているのかと思う。

敗荷(やれはす)をふかくしづめて秋晴れは池のかたちに空を嵌めたり
/都築直子「水のある風景」(「短歌往来」2016年12月号)

空から池を見るという視点の逆転があざやか。池のかたちに切り取られた空が、ジグソーパズルのように蓮の沈む池に嵌まる瞬間をどこから見ているだろうか気になる。

犬がね、とあなた言うたび駆けてくるばくぜんと透明な四つ足
斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』(短歌研究社2016) 

あなたは犬の話を何度も繰り返すのだろう。それを聞く主体の中に、じわじわと具体的なイメージを持ちつつある犬を「ばくぜんと透明な四つ足」という不思議な感覚で認識している。

あかねさす紫野ゆきゆきゆきて、神軍けふをとどまらざらむ
水原紫苑ヘブンリーブルー」(「東京新聞」2017年6月24日夕刊) 

映画「ゆきゆきて、神軍」のタイトルを額田王本歌取りかつ掛詞で示す。現代の世相を切りとっているのは事実だろうが、20年前の映画は読者を選ぶ歌でもある。

この世から少しずつ指が消えてゆくようなひもじさに春雨が降る
/花山周子「季節の歌 4月」(角川「短歌」2017年6月号) 

春雨の日のひもじさという感覚を指が消えるという茫漠とした身体感覚で表す。二句から四句にゆるやかに句またがりがあり、五音の重なりが複層的なリズムを生んでいる。

悔しさのひとつふたつと詰めゆけば蛍袋が満席といふ
/大森益雄「整理袋」(「短歌人」2016年8月号) 

日々の悔しさをひょうひょうとした口調でひとつふたつと数えている主体には、確かに満席と言っている蛍袋のようなものがある。とはいえ、何かもっと大きな袋があるような懐の広さを感じる。

きみならもっとうまくやれるさ藻のなかから雛人形を取り出すように
/小田島了「春の形骸」(同人誌「よい島」2017年)

絡みあった藻の中から雛人形を取り出すという地道で繊細なことができるきみ。そんなきみへのエールなのか。マ行とナ行のこもる音の連なりが三句の字余りを一気に読ませる。

ひとり居のひとなき日向もしもしとわれにでんわす何してゐます
/馬場あき子『渾沌の鬱』(砂子屋書房2016年) 

ヒの頭韻の五、四、三音から電話のもしもしにつながる上句。事実を文語で、発話を口語でスの脚韻の対句で示す下句。自分に電話するという自己認識の喪失の不安を明るく描いている。

 

秋空に秋空大の穴をみきすなはちわれは失神をしぬ
渡辺松男「夕枯野」(角川「短歌」2017年3月号) 

空をみる自分、穴をみる自分、失神をしている自分、それを認識している自分がコマ送りにつながる。秋空と秋空大の穴という表裏一体の景に失神したときの世界が反転する感覚の重なりがある。

九十(ここのそぢ)なかばに近く身は老いて なほぞかなしく 人を思へり
岡野弘彦「恋も桜も おのづからなる」(「歌壇」2017年3月号) 

感覚としては、ほんとうかよという気持ちとそうありたいなという気持ちが半々だろうか。一字空けはゆったりと間を取って、なほぞの強調を味わいたい。

〈おかえり〉がすき 待たされて金色のとおい即位に目をつむるのさ
/井上法子『永遠でないほうの火』(書肆侃侃房2016年) 

〈おかえり〉は概念として繰り返される挨拶だろうか。一字空け以降は、待つ主体の感覚か。軽い口調から、金色のとおい即位は帰ってきた瞬間の高揚感なのかもしれない。

爪楊枝のはじめの一本抜かんとし集団的な抵抗に会ふ
/花山多佳子『晴れ・風あり』(短歌研究社2016年)

誰でも一度は経験するであろう日常の気づきを、あたかも社会における個人への抵抗とも取れるような書き方で示す。物理的にはもちろん、同調圧力の非常に高い近年の肌感覚にも感じられる。

 

(各歌の鑑賞はわたしが個人的に書いたものであり、参加者の発言ではないことご留意ください)

対戦カードの詳細はこちらをご覧ください。

【再掲】 2017年夏季全国集会 講演一般公開のお知らせ | 短歌人告知板 | 552

短歌人2017年8月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年8月号 会員2(太田青磁

納会は納涼船なり桟橋に職責順に社員居ならべり

舳先にて橋をくぐりぬ その橋の横顔しばし見つめていたり

スマートフォンの激しく割れた画面見るわれのからだは無傷なれども

壜でくるビールをひとり手酌せり歌会の選の是非を問いつつ

この階段を下りてきたのか違うのか中二階のある居酒屋に迷う

 

5月から連載していたBook Reviewは最終回です。今月は南輝子さんの『WAR IS OVER!百首』です。

seijiota.hatenablog.com

 

ご一読いただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

書評『WAR IS OVER! 百首』南輝子歌集

ふめば肉体につたはるうおんうおん桜花ふみしむ父踏むやうに
しやりしやりと舎利骨片の音させてこよひ喪の戸へ銀河ふりしく

南輝子の第四歌集は、一冊を通じて亡き父への挽歌であり、平和をこいねがう鎮魂歌で構成されている。桜や骨といった失われた命を彷彿させる言葉を、オノマトペを多用した純度の高い韻律でまとめあげているが、父を失った悲しみは癒えることなく作品に翳を残している。

父がゆする南十字星は夜を越え極東亞細亞に悲しみを生む
あの時もきつと青空はちぐわつのジャワ・ジャカルタの父の青空

赤道を照らす南十字星と抜けるような青空が時空を越えて突き刺さってくるような二首。併録されたエッセイ「イカニツナゲシヤ」によると、南の父は戦時中ジャカルタの軍需工場の責任者を務めており、終戦後、侵略の報復として蜂起した地元住民により虐殺された。また、その死は国の極秘事項として三十五年間隠蔽されていたという。

ROY‐CWRATONE命がゆらぐ水面から輪廻転生譚のはじまるや
三十六年のちも母を恋ふ邦雄味覚歳時記ゆすらうめの章

玲瓏への入会も作風に大きく影響を与えているのだろう。あとがきで語られるロイクラートンは東南アジアの精霊流しの曲であり、母を恋ふる青年塚本への心寄せからも戦争を強く憎む思いが伝わってくる。

はちぐわつの帽子かぶればいつせいに遠き呻きが駆けよつてくる

この歌集を八月号で紹介できることに不思議な縁を感じている。

(短歌人2017年8月号掲載) 

短歌人東京歌会にて研究会発表をしました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

7/9(日)の東京歌会に参加しました。
詠草は56首とけっこう多めでしたが、活発に歌の批評ができました。
今回は月詠のを選をお願いしている方に批評してもらうことができて、視点や構成などの基本的な要素をもっと意識していきたいなと感じました。
また、新たに入会してくださった方も参加してくれて賑やかな会になりました。

歌会のあとには研究会です。今回はレポーター(デビュー戦)を担当しました。染野太朗さんの『あの日の海』と『人魚』です。
構成は、「日常詠」「職場詠・社会詠」「相聞歌」「家族詠」「病中詠・感情の発露」という切り口に、それぞれの歌集から歌を引用して話すというスタイルでレジュメを作りました。
普段の研究会は20~30名くらいなのですが、今回は40部用意したレジュメがすべてはけるくらいの方に残ってくださり、発表者としても大きな経験ができました。

島田修三の影響がある、私小説的な私を受けとめる覚悟がある、一首一首の言葉が丁寧につながっている、病気によって失ったものと得られたものがあるのではないか、自分のなかの出せなかった部分を出し切った印象がある、率直さの良さはわからない、暴力的な歌は整えられた形式で提示されている、などなど多くの意見をいただきました。

歌会のあとは、懇親会です。出掛けに子どもに釘を刺されていたので、ビールを飲みたい気分をぐっとこらえてジンジャーエールで乾杯です。
渡さん、斉藤さん、葉山さん、山本さんと同じテーブルになり、短歌人のこれまでを教えていただいたり、ベーシックな技術を学ぶ方法を教えていただいたり、口語短歌の方向性を考えるなど、刺激的な時間を過ごしました。

東京歌会は人数が多いゆえにどうしても読みの軸がぶれやすくなるのですが、まずはできるところからボトムアップをしていきましょう、ということを意識して望みたいと思います。最近は、毎月のように見学の方や新入会の方が来るので、いい意味で刺激を受けます。

次回は宇都宮での夏季集会です。いい歌バトルというイベントもあり参加が楽しみです。イベントは一般公開となりますので、ご興味のある方はこちらをご参照ください。

【再掲】 2017年夏季全国集会 講演一般公開のお知らせ | 短歌人告知板 | 552

 どうぞよろしくお願いいたします。

歌集 あの日の海 (まひる野叢書)

歌集 あの日の海 (まひる野叢書)

 
歌集 人魚 (まひる野叢書)

歌集 人魚 (まひる野叢書)

 

サラダ記念日(本歌取り風パロディ)

「この味がいいね」と君がゑゑゑゑゑゑゑゑゑもとは唐揚げだった

にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった

 加藤治郎ハレアカラ』(砂子屋書房

 

「この味がいいね」と君が言ったから「並にサラダをおつけしますか?」

「お客さん」「いえ、渡辺です」「渡辺さん、お箸とスプーンおつけしますか?」

斉藤斎藤『渡辺のわたし』(港の人)

 

「この味がいいね」と君が言ったからすこしづつ液化してゆくサラダ

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

塚本邦夫『水葬物語』(書肆稲妻屋)

 

「この味がいいね」と君が言ったからえーえんとくちからサラダ

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

笹井宏之『えーえんとくちから』(PARCO出版

 

「この味がいいね」と君が道を説く寂しからずやサラダ記念日

柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君

与謝野晶子『みだれ髪』(新潮文庫

 

「いいね」と君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつてサラダ記念日

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

河野裕子『森のやうに獣のやうに』(沖積舎

 

佐野朋子のばかころしたろと言ったから七月六日はサラダ記念日

佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

小池光『日々の思い出』(砂子屋書房『続小池光歌集』)

 

サバンナの象のうんこよ聞いてくれ七月六日はサラダ記念日

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

穂村弘『ラインマーカーズ』(小学館

 

咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をサラダ記念日

咲き終えし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり

黒瀬珂瀾『黒耀宮』(ながらみ書房)

 

3番線快速電車が通過します理解できないサラダ記念日

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

中沢系『uta0001.txt』(双風舎

勝手なパロディにて申し訳ありません。何かあればすぐに削除いたします。

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

第16回髙瀬賞受賞作「光のあわい」浪江まき子さん

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

歌人7月号は髙瀬賞(短歌人新人賞)の発表がありました。

今年の受賞作「光のあわい」は一首一首に独自の観察眼があり、自分の視野と自分を俯瞰的に捉える視野の重なりをうまく描きとった歌が多く、都市に生きる生活者の実感が伝わってくる連作でした。浪江まき子さん、あらためて受賞おめでとうございます。

駐車場の〈空〉のドットを意識して見る8時間労働のあと

〈空〉は空車ありであり、ドットから電光掲示板であることがわかる。日常の些末な光景であるが、仕事を終えた主体の目に〈空〉はこの駐車場にはまだ仕事があるのだと捉えたのかもしれない。

夜明け前電子レンジの明るさで昨日のグラスをかるくすすいだ

寝つけなかった夜なのか、起きてしまった朝なのか。タイトルを想起させる光のあわいの明るさである。とりとめのない日常を点描的にスケッチしており、かるくが早朝らしさを導いている。

サイコロにならない展開図のように満員電車でまぶたを閉じる

サイコロにならないというところにラッシュと正面から戦わない主体の軽い自虐がある。下の句の頭韻には、そんな自分と世界とのずれを静かに能動的に遮断する主体の思いが伺える。

よく笑いよく相槌をうちながらマウスをぬぐう除菌ティッシュ

この歌にも外に見せる自己と潔癖な内面のギャップがうまく出ている。意識は除菌ティッシュに向きながらも、あえて笑顔の仮面をつけることで社会と自己のバランスを取っているようだ。

スマホの隅の豊胸サプリの広告をせっかくなのでしっかりと読む

まずこの広告に歌材として目がいくという作者の観察眼がひかる。サ行の韻律、特に「せっかく」、「しっかり」の韻が、メタ的な自己への視点を重たくせずに提示している。

先方の社名と同じタイトルの映画のfinのあとの暗闇

仕事の前後の世界が映画のタイトルでつながっているという、都市生活の皮肉な発見がある。それを映画が終わったときにあらためて暗闇で感じるところに、世界の繋ぎ目を示す透徹な視点がある。

本題を切り出す前に保留され「夢見る人」を途中まで聴く

保留音のフォスターが待たされる時間を現実から引き剥がすようである。本題、保留という固めの頭韻の言葉と「夢見る人」の浮遊感のギャップに驚く。現実に戻った主体の違和も浮かぶようだ。

父になる友、独立をする友の喉を通ってゆくレモンハイ

同窓会だろうか。久しぶりに同世代との気兼ねない時間を、喉を通ってゆくという細かな描写で描く。レモンハイに、ビールやウィスキーでは得られない若さとの決別のようなアイテムの選択が手柄である。

ラッセンの覚悟を思う 絵を描いてお金もらって生活をして

この一連に唯一の主体の内面だけを吐露した一首。ラッセンに代表される大衆芸術というジャンルに対する揶揄とも憧憬ともとれる複雑な心情を「て」の口語で、あくまでも軽く歌っている。

もう酔ってもタトゥーの話はしないよね飲み屋のトイレがちゃんと汚い

友人との飲み会の光景であろうか。一連定型の歌が多いなか、68587とあえて言葉をしっかりとこめている。下句の一転して露悪的な場面の描写に現実感が据えつけてられる。

手触りの現実的な夢は覚め知らない名前の野菜を買った

現実感と浮遊感の捉え方がタイトルの光のあわいにもあらわれているのだろう。一見何ともない歌なのだが、生活・仕事・友人との交流と構成された一連を、ひとりの生活に戻す転換の歌でもある。

母に叱られそうな時間の入浴の終わりに窓をわずかにひらく

大胆な句またがりが、母の不在を暗示しているようでもある。「時間の入浴の」とさりげない倒置がリズムを保っている。結句のわずかにひらくに親との関係を暗示しているようでもある。

背表紙を順に読みあげ待っている再配達の再配達を

あてどない時間をどのように過ごすか、そこをいかに客観的に描くか、に作者の自己を見つめる透徹な視座と磨かれた技術を感じる。下の句のリフレインは都市生活の日常を巧みに切り取っているよう。

ベランダに洗濯物を干すごとに視界から消えてゆくせまい墓地

見えるものと見えなくなるものを時間の変化とともにグラデーションのように描いたユニークな一首。下の句の555のリズムとイ段音の重なりが、結句の狭い墓地にリアリティを持たせる。

そこにある光をたしかめるようにネガをかざした朝のひかりに

表題作でもあり、一連を締めくくる一首。写真と短歌の共通点と相違点をあざやかにまとめあげている。たくさんのネガの中から作品を選びとるような手つきも伺える光のリフレインである。