太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

短歌人2017年7月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年7月号 会員2(太田青磁

パイプ椅子をたたむ早さを競いおり管弦楽団員なるわれは

ぬばための月なき夜の川面見ゆラフマニノフの二番のピアノ

藤棚が風になびくに目あげればスカイツリーは間近に迫る

333(バーバーバー)の空き瓶狭し午後九時の歌会終わりのベトナム飯店

二十三区のうち十四もの自治体が分割されて1.999倍

2017年5月号掲載歌は作品月評にもSelectionにも載らず力不足を痛感します。

髙瀬賞応募作も、予選はかろうじて通過したものの本選の6編には一歩及ばず。一首評をいただきました。

ほどけぬように祈りをこめて蝶々の羽の部分をもう一度むすぶ

東京マラソンがテーマである。抽選に当たり(これだけでもすごい!)、参加し、完走するまでを時系列で歌い継ぐ。衒いも韜晦もないが全篇に走ることの喜びが溢れていてすがすがしい一連である。(今井千草)

今井さんありがとうございました。

5月から4回連載でBook Reviewを担当しています。今月は『古歌そぞろ歩き』です。

seijiota.hatenablog.com

こちらも合わせてよろしくお願いいたします。 

 

f:id:seijiota:20170628235812j:plain デザインを一新したスタイリッシュな短歌人もよろしくお願いいたします。

書評『古歌そぞろ歩き』島田修三

著者は愛知淑徳大学学長であり、「まひる野」編集委員を長年にわたって務める古代和歌研究の第一人者である。本書は記紀万葉から近世までの古歌を広く一般読者に紹介した足掛け四年にわたる連載をまとめた一冊。「春、夏、秋、冬、賀、相聞・恋、挽歌・哀傷歌、旅、雑歌」と広く題材をとりながら、特定の時代に片寄ることなく折々の名歌、秀歌二百首を深い造詣をもって丁寧に鑑賞している。

春は志貴皇子「石(いは)走(ばし)る」の歌から始まる。「声に出して読みあげてみると、凛と張って、しかも伸びやかな調べがなんとも心地よい」と歌としての韻律の良さとともに、ひとつひとつの言葉や歌の背景を解説しており引き込まれる。春には菫、梅、桜と花の歌が多く取り上げられており、花鳥風月を愛でる古来の営みを感じさせる。

相聞・恋の歌では、百人一首でもおなじみの平兼盛「忍ぶれど」と壬生忠見「恋すてふ」の歌が並べられている。これらは「天徳内裏歌合」の題詠「恋」の二首である。判者が評を決めかねて村上天皇の気配を察し、ようやく兼盛の勝ちが決まったというエピソードも合わせて読むと、古歌がより身近なものに感じられ思わず微笑んでしまう。

著者あとがきにも「本書には万葉復興期を生きた曾禰好忠源俊頼、また田安宗武良寛、橘曙覧をはじめとする江戸の万葉ぶりの歌人が多い」とあり、万葉から連綿と伝わる歌のエッセンスを現代の歌人に伝えていきたいという思いが溢れるようである。

(短歌人2017年7月号掲載) 

古歌そぞろ歩き

古歌そぞろ歩き

 

歌会についての雑感(1. 感想と批評の違いとは)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

歌会についての雑感として、最近感じていることなどを書きたいと思います。

歌会とはどんな場なのだろうか。わたしが初めて参加した歌会は「うたの日」というインターネット歌会であった。毎日、題が出され、その題をもとに短歌を作る。作った短歌を誰かが見てくれる。票を入れてくださる。コメントを書いてくださる。そのひとつひとつがうれしくて楽しくて、半年ほど「うたの日」への投稿は続いた。

同じころ、わたしは短歌人という結社に入会した。結社がどういうところなのかは全く分かっておらず、毎月十首から十数首を編集委員の方に送り、ある歌は添削され、またある歌はそのまま結社誌に掲載された。その編集委員の方からは入会して数か月くらい経ってから、歌会に参加しませんか、とのお誘いを受けるようになっていた。歌会がどういうことをするのか全く分かっていなかったわたしは、「うたの日」に参加することで、誰かに歌を読んでもらえるという部分は満たされていたのかもしれないし、当時は不定休の勤務体系でもあり、何となく気おくれもあり、知っている人が誰もいない歌会に行くのは正直こわいと思っていた。

だが、結社の新年歌会を業務上の都合で参加できないと伝えたときは、せっかく結社に入ったのだからなんとか都合をつけて歌会に行くべきではないだろうか、という気分になっていた。そして3月の短歌人東京歌会にはじめて参加した。

はじめて参加した歌会は熱気にあふれていた。活発な話し合いが行われていて、とても楽しそうだとおもった。しかしながら、概ね文語旧仮名で書かれた詠草は「うたの日」で見ていた歌とは、まったく違うフィールドの作品であるように思われた。当時の自分が何を発言したのかはあまりよく覚えていない。また、自分が出した歌は下手であっても理解されないことはないだろうと思っていた。予想を裏切るかのように、自分の歌は自分の意図したようには読まれなかったのに衝撃を受けた。また、短歌人東京歌会では選がないのでどの歌がいい歌でどの歌がそうでないのかは、歌会の最中にはまったく手がかりすらわからなかった。

この時の衝撃は今でも忘れられない。

翻ってみると、インターネットの歌会には、日常的にインターネットを使ってコミュニケーションをしている人が集まっていて、歌の内容もある程度わかるし、いただいたコメントも多くは共感を伝えてくれるものであったと思う。そこは批評というよりは感想が飛び交う場であり、それでも自分の歌に目をとめてくれる人がいることに満足感を持って参加していたのだと思う。

歌人の東京歌会に何度か参加するうちに、結社内の勉強会へのお誘いを受けることになった。おおよそ50人があつまる東京歌会に比べて、数人から十数人で開催される勉強会での歌会はとても密度の濃いものであった。その席では、基本的にすべての歌を全員が評する形式であり、一首の構造を丁寧に解釈し、使われている言葉の斡旋や助詞・助動詞の用法に至るまで細かく読むという体験をした。自分の歌をまるで別の誰かが作っているように語るのも最初の経験だった。

このときはじめて、解釈と鑑賞の違い、感想と批評の違いを実感したのだと思う。

さまざまな形式の歌会があり、その歌会は進め方も違えば司会の裁量も違い、ひとくちに「歌会とはこういうものだ」という言葉でまとめることはできない。あるスタイルの歌会に続けて参加していると、その歌会、その進め方こそがすべての歌会のルールであるかのように感じてしまうのはとてもよく分かる。また、自分の短歌観を身につけていればいるほど、同席する参加者にも同じような熱量を期待してしまうのもまた素直な感慨なのだと思う。

ただ、一歩立ち止まってみてほしい。

もし仮にあなたが短歌をはじめて二年目、文芸部や短歌会であれば二年生、結社に所属しているならば、例月の歌会に同席している人には名前や作風を覚えてもらいはじめていた頃を思い出してほしい。そんなときに「短歌っておもしろいんですか、歌会ってどんなところなんですか」という質問を、短歌をはじめたばかりの人や歌会にあまり出たことがない人から受けたら、まず自分が参加している歌会に見学に来てもらいたいと思うのではないだろうか。

そして、その時に誘って参加してくれた人が、ある歌について精一杯の勇気を持って感想を述べたときに、あなたの上級生や先輩、ベテランの方が、「歌会は批評をするところであって感想を言いあう場所じゃない」とか「選は <優れた歌> に入れるのだから、好き嫌いで選ぶなんて誠実じゃない」などと言ったとしたらどのように感じるだろうか。同じように、自分がはじめて参加した歌会でそのように言われたらどう感じるのだろうか。

批評の言葉を覚えたてで使ってみたい、という趣旨の発言であれば、そういう時期はあるよね、とは思う。でも、何年も短歌を続けて自分の言葉で批評ができる人が、そうでない人を公の場で非難するのは、ボクシングを何年もやっている人がいきなり殴りつけてきて、「あなたもボクシングをはじめているならこんなパンチはかわせるでしょう、何なら殴り返してきてくださいよ」と言っているように感じるのである。

わたしが二年生の立場で上級生や先輩に、二年目の立場でベテランの方に期待したいのは、「感想を言ってくれてありがとう、わたしはこんな歌だとよみました。この歌はこういうところが作者の工夫だね。でもここはこの言葉だと全体に対してちょっとずれるかな」などといった、解釈と鑑賞の違い、感想と批評の違いをはじめての人でも分かるように具体的に説明してくれるような発言ではないだろうか。

批評はむずかしいし、誰もがどんな歌でも的確に批評ができるとは思わない。よく知った言葉があれば、解釈を飛ばして自分の世界に入ってしまうこともあるだろう。また、どんな歌が並んでいても、その場で本当に優れた歌を選ぶことも同じように極めてむずかしいのではないか。ある人の感想が別の人の批評を生むきっかけになることもあるし、「わからない」という発言がその歌の論点の糸口になることもある。言葉にできない「好き」のエネルギーを共有することにも意味はあると信じたい。

自分のフィールドで歌会をやっているのであれば、会の暗黙知を共有することは十分に可能であるし、同席した人の歌歴や短歌観を知りつつ深い議論をすることができると思う。ただ、その方法論がすべての場所で通じるかどうかは慎重に見定めてほしい。言葉は鋭利な武器になりうることは、短歌に限らず文芸を何年もやっている人には言うまでもないことだと思うけれども。

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歌会についての雑感

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

ゴールデンウィークから1か月半ほどを歌会強化期間として、可能な限り歌会に参加してみました。タイムラインに煽られて適当に「行きます!」と言い続けていたらこんなスケジュールになっていました。

 

4/29(祝)花咲歌会

4/30(日)短歌人埼玉歌会

5/4(休)アベンジャーズ歌会

5/7(日)短歌人勉強会

5/14(日)短歌人東京歌会

5/21(日)かりん若月集歌会

5/28(日)砂の城歌会

6/2(土)漂流歌会

6/9(土)短歌人東京歌会

 

自分で書いていてびっくりするくらいのハマりっぷりです。ジャンキーですね。短歌人の歌会が4回、かりんの歌会が1回、超結社の歌会が4回でした。はじめてお会いする方も多く、実りの多い時間を過ごせました。

 

選がある歌会が6回あり、票が入るときもあればそうでないときもあり、選はむずかしいなあと感じつつ参加していました。

 

この間、歌会についての様々な意見を聞いたり、読んだりすることもあり、自分なりに感じたことをメモしておこうと思います。

 

1. 感想と批評の違いとは

2. 自解はどこまでするべきか

3. 選をする瞬間の緊張感

4. きちんと読むということ

5. 調べることと理解すること

6. 他流試合にのぞむ

7. ポエジーと切れの合間

8. 選をいつ入れるのか

9. ホームの歌会とアウェイの歌会

 

書いているうちになんだかいろいろと出てきそうなので、不定期連載にします。伝えたいことは、歌会は楽しいなということと、こわいかこわくないかは参加しなければわからないよということです。

 

というわけで、次回に続きます。f:id:seijiota:20170620232727j:plain

短歌人2017年6月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年6月号 会員2(太田青磁

花からはこんな感じに見えるのか自撮り棒なる宴会の景

塾終えし子とプール終えし妻との夜桜をみるわずかな寄り道

あてどなく仕事のわれを鎮めんとバリスタの手の動き見ており

前職の最寄りの駅に立ちおればあの日のわれの胃液は苦く

歩一枚行方不明になりたればオセロの駒を身代わりに置く

2017年4月号掲載の歌を作品月評に選んでいただきました。

 友の誘いは断れないのが悩みだと それは遺伝だ申し訳なし

上の句は子供がお父さんに打ち明けた悩み、たぶん中高生くらいの思春期の子の。それを即座に「遺伝」だと応じる作者。「申し訳なし」にユーモアでくるんだ作者の優しさがある。(今井千草)

今井さんありがとうございました。

先月から4回連載でBook Reviewを担当しています。今月は『黄色いボート』です。

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こちらも合わせてよろしくお願いいたします。

 

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書評『黄色いボート』原田彩加歌集

書肆侃侃房新鋭短歌シリーズ第三期として出版された著者の第一歌集。やわらかな感性と対象への温かくも細やかな観察眼がひかる。

スプーンを水切りかごに投げる音ひびき続ける夜のファミレス

現代歌人協会主催全国短歌大会で朝日新聞社賞を受賞した一首。都会の夜中にはたらく人への共感を音で捉えた感受性がやさしい。

さりげなく花の記憶を分け合って路線図のごと別れていくか
嫌わずにいてくれたことありがとう首都高速のきれいなループ

都市にある人工物を、まるで生物のように描いているのもユニークな着眼である。別れのときに感じた花の記憶を路線図の複雑な図形に昇華させ、蔦のようにループするジャンクションを俯瞰して、その距離感をどこか冷めた都会の人間関係のように描いている。

岡山発南風5号ふるさとの空の青さが近づいてくる
庭中の花の名前を知っている祖母のつまさきから花が咲く

故郷の高知に帰省する一連は、ひかりあふれるような明るさが立ち上がり、読者を旅の世界へ連れていってくれるかのようだ。歌集に頻出する花の名前は故郷の祖母から受け継いだ大切な宝物なのだろう。

行列がなくなり水が腐っても撤去されない黄色いボート

歌集タイトルの「黄色いボート」の歌からは変わっていく世界に対して、変わらないものがきっとあるはずという声が伝わってくる。監修・解説も担当された東直子さんの挿画が優しく歌集をつつんでいる。

(短歌人2017年6月号掲載) 

黄色いボート (新鋭短歌シリーズ31)

黄色いボート (新鋭短歌シリーズ31)

 

 

藤を見る花咲歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

4月29日に桜望子さんの開催する花咲歌会に参加しました。

今回は亀戸天神にて藤の花を愛でる吟行でした。

ゴールデンウィークのはじめということもありすごい人出でしたが、気持ちよい風に包まれる藤棚を見つつ、屋台でおやつを食べる人あり、おみくじを楽しむ人ありと、楽しい時間を過ごしました。

市ヶ谷に場所を移して、事前に準備してあった題詠「藤」または「葛藤」一首を持ち点4点で選をしてから、合評をしました。吟行でできた歌は簡単にお互いに評をしつつ、それぞれの歌の作り方などを話しあいました。

解散後は、お濠端を散歩しながらゆったりとした時間を過ごしました。

桜さん、参加した皆さま、どうもありがとうございました。

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第11回現代の歌人を読む会を開催しました(谷岡亜紀さん、小塩卓哉さん)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

4月23日に第11回の現代の歌人を読む会を開催しました。参加者の入れ替わりもありつつ続けている読書会なのですが、今回は初参加の方が三名もいらして、どことなく始めたばかりの頃を思い出しつつ、楽しく歌を読みあいました。

今回の歌人は谷岡亜紀さんと小塩卓哉さんです。

まずは、谷岡亜紀さん。

うるとらの父よ五月の水青き地球に僕は一人いるのに

火の粉のごときが肩に絶えまなく降り来る夜をおまえに帰る

砲声の止みて静もる世界史の花を抱えて待ち人は来る

一首目、初句「うるとらの」が枕詞や地球に掛かる序詞のようでおもしろい。宇宙から地球そして自分とダイナミックにクローズアップしてゆく。一人いるのには、その先が投げ出されているようでも、孤独をヒロイックに歌い過ぎではという意見もあった。

二首目、おまえに帰るというぶっきらぼうな表現が読みどころではないか。肩に降るというのも男性らしさが出ている。火の粉は実際に火花が散るような職場とも、無理難題が次々ときているようなイメージとも取れて読みが分かれた。

三首目、時間も空間もスケールの大きな一首。「静もる世界」から「静もる世界史」となることで、歴史が花に集約されている感じがある。平和を希求する言葉に花を持ってきたのはドラマチックであるが、わかりやすすぎるとも感じられた。

続いて、小塩卓哉さん

あああきのそのふところのふかくしてくちにふふめるままのほおずき

異郷より送られ来たる歌集読む生きた証として立つ一行詩

音のみが空から振ってくるときに子は飛行機の真似して走る 

 一首目、すべてひらがなで書かれた優しい一首。「あ」「ふ」「ま」と同じ音が続いているのも、なつかしい景色を彷彿させる。ほおずきを口に含み音をたてるときの背景としてふところのふかい秋が広がりを見せている。

二首目、異郷とはどこなのか、歌集は何処から来たのだろうかと思いながら、解説を読むと「海を越えて移住した人々の短歌に、関心を持ち続けている」とあり、情景が浮かぶようになった。下の句は少し言い過ぎなのではないかとも感じる。

三首目、子どもへの目線があたたかな歌である。上の句は「振る」という表現が少しわかりにくいが、子にとっては「振る」として捉える音が、飛行機の真似をして走るという行為につながっているのがユニークである。

谷岡さんは世界や宇宙という大きなモチーフをロマンチックに描いているのに対して、小塩さんは平易な言葉で日常をスケッチしている印象を受けました。歌にとっての技巧の価値を考えさせらる会ともなりました。

 

次回は加藤治郎さんと米川千嘉子さんです。日程は少し空いてしまいますが、6月25日に開催を予定しています。

https://mailform.mface.jp/frms/seijiota/ou8ljzze9mc7

どうぞよろしくお願いいたします。

現代の歌人140

現代の歌人140

 

 

短歌人2017年5月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年5月号 会員2(太田青磁

東京駅の同じホームの掲示板「勝田」「高崎」「宇都宮」見ゆ

大宮を越えて北への車窓にはどこまでもどこまでも一軒家と畑

おとめ座のスピカ輝く春の夜 われの内なる野心を放つ

店内は通常通り営業中 外壁覆う鉄骨は告ぐ

ロキソニン一錠きめて長からん午後の会議は無言貫く

2017年3月号掲載の歌をSelectionに選んでいただきました。

 空爆をみてきたような面差しで口内炎を舌先に突く

今月から4回連載でBook Reviewを担当しています。今月は『人魚』です。

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こちらも合わせてよろしくお願いいたします。

今日は、亀戸天神に吟行に行ってきました。

花鳥風月を愛でる心も大事にしていきたいなと思っています。

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書評『人魚』染野太朗歌集

「まひる野」に所属する著者の『あの日の海』に続く五年をまとめた第二歌集。見返しの紙質やプラスチックの帯にもこだわりがみえる。

ネルボンという眠剤を処方され妻と笑いし冬もあったな
盂蘭盆は父の酒量のいや増して焼酎に氷鳴りやまぬなり

この歌集の大きなモチーフとして家族がある。冒頭に妻との関係を回想する歌、続く父を描いた二首は頭韻を踏むように置かれている。

除染とは染野を除外することなれば生徒らは笑うプールサイドに
教頭のとなりで今年六度目だサッカーボールの行方追うのは 

震災時や生徒を応援するといった職場の描写には、自らを外から観察しているような諧謔と孤独が伝わってくる。

尾鰭つかみ浴槽の縁(ふち)に叩きつけ人魚を放つ仰向けに浮く
君を殴る殴りつづける カーテンが冬のひかりを放ちはじめる
感情がなければいいなひとりだな便器掴んで吐くこの朝も

一転して、非常に強いテンションを持って迫ってくる歌が随所に現れる。表題の「人魚」は美しいものではなく攻撃の対象であり、想いを寄せる人にも暴力でしか伝えられない何かがあり、自身をもコントロールできないような感情が生々しく迫る。

もし煙草を吸えたなら今あなたから火を借りられた揺れやまぬ火を

繊細で透明感のある筆致のなかに自らの思いを綴る歌に惹かれた。

(短歌人2017年5月号掲載) 

歌集 人魚 (まひる野叢書)

歌集 人魚 (まひる野叢書)