太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

第16回髙瀬賞受賞作「光のあわい」浪江まき子さん

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

歌人7月号は髙瀬賞(短歌人新人賞)の発表がありました。

今年の受賞作「光のあわい」は一首一首に独自の観察眼があり、自分の視野と自分を俯瞰的に捉える視野の重なりをうまく描きとった歌が多く、都市に生きる生活者の実感が伝わってくる連作でした。浪江まき子さん、あらためて受賞おめでとうございます。

駐車場の〈空〉のドットを意識して見る8時間労働のあと

〈空〉は空車ありであり、ドットから電光掲示板であることがわかる。日常の些末な光景であるが、仕事を終えた主体の目に〈空〉はこの駐車場にはまだ仕事があるのだと捉えたのかもしれない。

夜明け前電子レンジの明るさで昨日のグラスをかるくすすいだ

寝つけなかった夜なのか、起きてしまった朝なのか。タイトルを想起させる光のあわいの明るさである。とりとめのない日常を点描的にスケッチしており、かるくが早朝らしさを導いている。

サイコロにならない展開図のように満員電車でまぶたを閉じる

サイコロにならないというところにラッシュと正面から戦わない主体の軽い自虐がある。下の句の頭韻には、そんな自分と世界とのずれを静かに能動的に遮断する主体の思いが伺える。

よく笑いよく相槌をうちながらマウスをぬぐう除菌ティッシュ

この歌にも外に見せる自己と潔癖な内面のギャップがうまく出ている。意識は除菌ティッシュに向きながらも、あえて笑顔の仮面をつけることで社会と自己のバランスを取っているようだ。

スマホの隅の豊胸サプリの広告をせっかくなのでしっかりと読む

まずこの広告に歌材として目がいくという作者の観察眼がひかる。サ行の韻律、特に「せっかく」、「しっかり」の韻が、メタ的な自己への視点を重たくせずに提示している。

先方の社名と同じタイトルの映画のfinのあとの暗闇

仕事の前後の世界が映画のタイトルでつながっているという、都市生活の皮肉な発見がある。それを映画が終わったときにあらためて暗闇で感じるところに、世界の繋ぎ目を示す透徹な視点がある。

本題を切り出す前に保留され「夢見る人」を途中まで聴く

保留音のフォスターが待たされる時間を現実から引き剥がすようである。本題、保留という固めの頭韻の言葉と「夢見る人」の浮遊感のギャップに驚く。現実に戻った主体の違和も浮かぶようだ。

父になる友、独立をする友の喉を通ってゆくレモンハイ

同窓会だろうか。久しぶりに同世代との気兼ねない時間を、喉を通ってゆくという細かな描写で描く。レモンハイに、ビールやウィスキーでは得られない若さとの決別のようなアイテムの選択が手柄である。

ラッセンの覚悟を思う 絵を描いてお金もらって生活をして

この一連に唯一の主体の内面だけを吐露した一首。ラッセンに代表される大衆芸術というジャンルに対する揶揄とも憧憬ともとれる複雑な心情を「て」の口語で、あくまでも軽く歌っている。

もう酔ってもタトゥーの話はしないよね飲み屋のトイレがちゃんと汚い

友人との飲み会の光景であろうか。一連定型の歌が多いなか、68587とあえて言葉をしっかりとこめている。下句の一転して露悪的な場面の描写に現実感が据えつけてられる。

手触りの現実的な夢は覚め知らない名前の野菜を買った

現実感と浮遊感の捉え方がタイトルの光のあわいにもあらわれているのだろう。一見何ともない歌なのだが、生活・仕事・友人との交流と構成された一連を、ひとりの生活に戻す転換の歌でもある。

母に叱られそうな時間の入浴の終わりに窓をわずかにひらく

大胆な句またがりが、母の不在を暗示しているようでもある。「時間の入浴の」とさりげない倒置がリズムを保っている。結句のわずかにひらくに親との関係を暗示しているようでもある。

背表紙を順に読みあげ待っている再配達の再配達を

あてどない時間をどのように過ごすか、そこをいかに客観的に描くか、に作者の自己を見つめる透徹な視座と磨かれた技術を感じる。下の句のリフレインは都市生活の日常を巧みに切り取っているよう。

ベランダに洗濯物を干すごとに視界から消えてゆくせまい墓地

見えるものと見えなくなるものを時間の変化とともにグラデーションのように描いたユニークな一首。下の句の555のリズムとイ段音の重なりが、結句の狭い墓地にリアリティを持たせる。

そこにある光をたしかめるようにネガをかざした朝のひかりに

表題作でもあり、一連を締めくくる一首。写真と短歌の共通点と相違点をあざやかにまとめあげている。たくさんのネガの中から作品を選びとるような手つきも伺える光のリフレインである。