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太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

柴田葵「生活をする」を読みました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
柴田葵さんの歌壇賞応募作「生活をする」30首にを4名の評者が書いた評が、ネットプリントで配信されました。
それぞれの違う角度から寄せられた評は読みごたえがあり、楽しく読むことができました。
せっかくなので、わたし自身も拙いながら、一連を読んだ感想を記しておこうと思います。

いずれにしても私の席は無いのだと四角から成るビル群を見る(1) 

 ビジネス街を外から俯瞰するような視点である。席は無いことを自覚するということは、ある種の諦念があるようで、違う生き方を選択するということを選んだことが一連に読者をひきつけるようでもある。

旧姓の印鑑は保存するべきか 土に埋めたら何か生えそう(2)

 旧姓のもつどこかウェットな感覚が「何か生えそう」というユニークな視点を見せてくれる。一首目と対になる社会と家庭の対比はややステレオタイプな印象もある。

大空のような男に「ついてきて欲しい」と言われ 私が女(5)

 私が女という結句に主体の矜持が垣間見える。配偶者を大空のようであり、ついてきて欲しいという願いを受け入れることを選んだという決して流されているだけではないと主張しているようでもある。

正円の小皿を濯ぐ細い水 流れるように明日ここを発つ(6)

 この一連で、主体の感性が最も表れている印象を持った。様々な葛藤はあるのだろうが、あくまでも水のように自分を処するということはなかなかできないことであろう。配偶者に対する信頼と新たな世界への好奇心が、きれいに描かれている。

 3首目の魚類のリフレイン、4首目のヒカリモノである鯵の描写は表現としてはユニークながら、新たな世界に対する現実の世界を描くには少し散漫な印象を受ける。7首目から10首目の母との別れの歌も、回想と予感という時系列の見えなさに戸惑う。9首目「夜夜中(よるよなか)」には工夫はあるものの「予感が曇る」は読者を混乱させている。

腰掛けた姿勢のままで九時間飛んでいく私の下にひろびろと青(11)
グッモーニンカリフォルニア! 寝室の窓を壊して刺し込む光(12)
アメリカの広くて広いアパートの洗濯機動かないじゃんかもう(13) 

 日本を離れ、アメリカ西海岸へと舞台が移る。「ひろびろと青」「刺し込む光」からは配偶者の「大空のような男」のイメージと重なるようである。細い水の世界とは明らかに異なる解放感がある。だからこそ、生活という観点でのおおらかさといい加減さは、繊細な主体にとっての違和を伝えるようである。

破かれるための包装紙きらきらひとまき三ドルふたまき五ドル(16)

 微妙にリズムを崩しながら、包装紙というつかの間のきらめきを表現している。具体的な数字も光るが、実際は違っても「ひとまき二ドルふたまき五ドル」など下句の韻律を定型にはめると上句の句跨りがより効果的になるのではと感じた。

 14首目(鳩が汚い)18首目「鳩の集団に加えてもらえず」19首目「悲しい獣になりたい」「象はだめ」20首目「電線をリスが齧って」21首目「揺れる蜘蛛」と生き物に自分の気持ちを投影している歌が中盤に並ぶ。外国でのコミュニティに対する違和感は、ものを言わぬ生き物へのまなざしに向けられるようである。

不意に你好と言われて曖昧に会釈するだって日本人だし(20)

 この歌に込められた感情をテキストから読み解くのは難しい。当然、欧米人からアジア人の国籍を正確に把握するのは難しいから、最も多いであろう中国人と誤解して挨拶をしてきたシチュエーションであろう。ここでの対応は、いかにも日本人らしいとも言える。アイデンティティをことさらに主張しない生き方は「細い水」の精神にも通じるものがあるのかもしれない。

あの友は私の心に生きていて実際小田原でも生きている(22)

 突如、日本に住む旧友に思いを馳せる。21首目で住所や名字が変わる人々を思ったなかの一人でもあるのだろう。小田原は具体的であるが、関係性が見えないことで、祖国に住む友人を案じるのはどうしてなのだろうか、23首目の回想もあの友との記憶なのだと読めるのだが、場面転換は少し強引に感じた。

きっぱりと異国の空に塞がれて地べたを見ればいきものの影(24)

 異国での閉塞感を強く表現している歌で、一連のなかでも良いと感じる歌である。異国の空は大空のような男でもあるだろう。いきものの影は一連に出てくる動物たちを思い起こさせる。

麦笛のその空洞のおおらかさ これから先も生活をする(28)

 タイトルを背負った一首である。意欲は伝わってくるものの「その空洞」がどうしてもわからない。閉塞感を打ち破る何かが起こったのか、それでも生活をするという覚悟を決める心境の変化があったのか、ここはクリアに決めてほしいと願うのは読者の勝手な思いなのかもしれない。

幾人も私の内に住まわせて、いいの、全部を連れていくから(30)

 そして、すべてを受け止め切った形で一連は終わる。幾人は誰なのか、全部は何を指しているのか、連れていくのはどこへなのか、疑問は残されたままである。「私の内に」は10首目の「新しい命を宿している」を回収しているととることもできるが、異国の空に塞がれた主体と配偶者の関係が描かれていないのは、どうにも落ち着きがないように感じた。

 14首目の「誰からも嫌われない」、21首目の「誰それ」のリフレイン、26首目の「誰か」27首目の「選ぶ」「選ばない」「何か」と大事なことを言わないという作品の作り方は疑問が積み重なってしまい読み進めるのに苦労した。なかなか作中世界に入り込めなかったのは、性別の問題なのか、経験の違いによるものなのか、否定形の多用なのか、それとも抽象的な表現がリアリティを結ばないからなのか。どうにも評価を定められない感じが残ってしまいこのようなまとめ方になってしまったのは、読みの経験が浅いからゆえにご寛恕いただきたい。

 国際結婚での(もしくは海外に赴任する配偶者との)海外生活が織りなす希望と違和というテーマ設定は非常にユニークで面白く感じた。「生活をする」というタイトルも前向きが伝わってきて、ひとつひとつのエピソードにも細かいところを観察する主体の心の動きが感じられた。表現の工夫も随所にあって力量を感じる連作であったと思う。

 30首をまとめたことのないわたしの感想は一方的なところも多々あると思うし、読みの実力のなさが作者の意図を十分にくみ取れ切れなかった大きな原因でもあると思う。4名の評者の方の意見に賛成するところもあれば、自分とはスタンスが違うなと思うことも、そういう風にも捉えられるんだ、と思うところも多々あった。

 あかみさんの評のポイントを押さえたまとめ方はわかりやすく「アメリカの人々より母や小田原に生きる友と、迷いなく日本の方へ軍配をあげている」という評価や「最後三首の感情の上向きがすこし唐突なように感じてしまった」はまさにその通りとひざを打つように感じた。

 うにがわえりもさんの分析的な読み方はまさにそうだよね、と思いながら読んだ。2首目、6首目の評価は全く同感で、前半の読みはかなり重なっていた。中盤の不安や憤り、諦めはわたしも重要なモチーフであると感じた。ラストのまとめ方は少し意見の違うところもあったが、30首の構成の組み方に対する着眼がさすがだなと感じた。

 椛沢知世さんは、生きることの逃れられなさを正面から捉えて等身大の主体を評価している。女性としての細やかな感覚は14首目の受動態に対する反転性を指摘している。20首目の日本人としてではなく、個人としての生き方を歌うべきという指摘は的を射ており、純粋にほめるだけではない批評として成立している。

 山城周さんは、作品のストーリーを受け入れながら、ジェンダー論として読み応えがあった。あえて(書いていてつらい)と本音を挟みつつ、また日本人のアイデンティティにも触れていて、自分自身の読みの甘さを突きつけられるようにも感じた。会話体の持つ韻律感については、大きな示唆をいただいたように思う。

 改めて、皆さんの評と重なるところもあり、異なるところもあり、読みの数だけ歌の幅が広がるという経験を感じる機会でもあった。この企画によって、いずれわたしも30首の連絡を作りたいというモチベーションが高まったのは事実です。

柴田葵さんと4名の評者の方に改めて御礼を申し上げます。