太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

「うたの日」についての雑感

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の短歌人の談話室で村田馨さんが書かれていたように、インターネットで毎日開催されている「うたの日」という歌会があります。私も三角点で一度「うたの日」についてのエッセイを書きました。また、昨年末に開催1,000日を迎え、記念誌の作成と記念歌会がありました。わたしも年表を編纂するチームに参加し、エッセイを書きました。

うたの日の歌会 - 太田青磁の日記

うたの日とわたし - 太田青磁の日記

「うたの日」に参加したことで、得られたものが大きく3つありました。

まずは、短歌を詠む習慣ができたことです。毎日の題を見て、わずか24時間で定型にまとめることはとても大変でした。過去作を出したり、推敲しなおして出すことも多く、毎日新作を作っている人はほんとうにすごいと思いながら、歌会に参加していました。

次に、評を書く機会を得たことです。回を重ねるうちに歌会の価値は「自分の歌がどう読まれるのか」という以上に「相互に推敲の機会を共有し、歌の良さをともに味わうところにあるのだ」と思うようになりました。拙くても自分の読みを記録することで達意の方の評と比べることができました。また、読み解けない歌に向きあうことで、知らない言葉を調べたり作者の言いたいことは何なのだろうかと考えることができました。

最後に、これがもっとも大きなことなのですが、短歌を一緒に楽しむことができる仲間が増えました。お互いの歌を読みあったり、ツイッターで他愛のない会話をすることで、短歌を楽しく続けることができています。「うたの日」を入口として、たくさんの企画やイベントに参加し、また自分でもイベントを開催することができました。

「うたの日」は玉石混交だというのは間違いなくそうだと思います。また、キャッチーな歌を出した結果として多くの票を得ることが、作歌動機を安易にしてしまうこともものすごくよくわかります。評もできる限り歌に沿っていきたいと思いながら書いたつもりでしたが、言葉が足りず不快な思いをさせてしまったことも多々ありました。

個人として限られた時間のなかで、詠草を作品として磨いていく時間や、対面での歌会や読書会に参加する時間、歌集や歌書・結社誌や総合誌を読む時間を増やすためには、匿名歌会やネットプリント、タイムラインに流れる歌を読む時間を減らさなければ時間が足りないと感じています。

「うたの日」からしばらく遠ざかっていることを気にかけてくださっている方もいらしたようなので、自分の考えていることを書いておこうかと思っていました。大した結果を残しているわけではありませんが、決して草野球に飽きたわけではなく、こっそりフォームの改造をしていたり、バッティングセンターに通っているくらいの感覚で受け止めてもらえたらと。

思ったより長くなってしまいましたが、うたの日が楽しい場であり続けることを願いつつ、もうひとつくらいは変化球を覚えてから、またふらりと参加したいなと思います。