第8回現代の歌人を読む会を開催しました(俵万智さん、荻原裕幸さん)(2)
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
10月30日の日曜日に第8回現代の歌人を読む会を開催しました。後半は俵万智さんの『かぜのてのひら』以降の歌と、荻原裕幸さんの歌です。
俵万智さんの続きです。
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ
子の友のママが私の友となる粘土で作るサンタの ブーツ
一首目『チョコレート革命』。主体と少女は同じ席で会話をしているのだろうか、それとも子どもの好みを無自覚に話す父なのだろうか。焼き肉とグラタンという具体的なアイテムの並べ方に、少女への嫉妬が透けて見えるようである。
二首目『プーさんの鼻』。ストレートな喜びが三回も繰り返されるバンザイに表れている。子育てのなかにほっと一息をつく瞬間があるのだろう。「そうだ」「生まれて」という発見は子どもの目を通した生命への無条件の肯定を感じさせる。
三首目、上記以降の作品より。子どもを中心とした交友関係の拡がりの中から、自分と価値があう友人ができるという経験は、親ならば一度はあるものだと思う。下句との距離感が程よく温かさを感じさせるようで、何かを作ることへの共感がよく出ている。
続いて、駆け足になってしまいましたが荻原裕幸さん。
ぎんいろの缶からきんの水あふれ光くるくるまはる、以下略
わたくしの犬の部分がざわめいて春のそこかしこを噛みまくる
新緑を着て新緑のなかを行くどこにもゐないひととして行く
一首目、ひとしきりぎんいろの缶ときんの水の比喩はなんだと議論したのちに、スーパードライ説が浮上。ぎんいろのアルミ缶から注がれるきんの水も納得。酩酊して記憶すら怪しくなる様子を「以下略」とぶったぎっているのも気持ちよく読める。
二首目、春は発情期なのでしょうか。ひしひしと伝わってくる春が来たぞ感は、自覚すらできない欲望を、いやらしさを感じさせることなく解き放つ解放感がある。下句の句またがりに頻出するカ行音が、上句のなだらかなリズムと対比していて面白い。
三首目、新緑のリフレインは同化してゆく自己の喪失感が感じられる。「新緑を着て」はあえて同じ格好をすることの暗喩なのだろうか。「行く」のリフレインも、比喩と実景のあわいに浮かぶ主体の逆説的な明るさを浮遊感が包んでいるようだ。
三時間の長丁場でしたが、短い休憩中にもアドレス交換など交流がありました。
解散後も、お互いの結社誌を読み比べたりして楽しかったです。お昼まで付き合ってくださった皆さまもありがとうございました。
次回は12月に開催予定です。穂村弘さんと林和清さんです。
よろしくお願いいたします。