太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

短歌人3月東京歌会に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
東京歌会に参加しました。今日の詠草は40首でした。少し遅れていったのですが、ちょうど自分の歌の評に間にあってよかったです。複数の方の読みを聞くといろいろな発見がありました。一方で歌の読みを自分の経験にだけ基づいて固定するのはどうかと思う評もあり、気持ちのよい場を維持していかなければと思う瞬間もありました。
歌会のあとの研究会はミニシンポジウム形式で、前衛短歌について話を聞きました。2時間でパネリスト4人は時間が足りない感じはありましたが、当時の時代背景や方法意識を聞くと読み方が変わってきそうです。塚本自身の人間がにじみ出る歌がやはりあるようで、時間を掛けて第一歌集から読みすすめてみたくなりました。
諸々あって懇親会はパスして、甘いものだけ食べて帰ります。
歌人東京歌会にご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、メッセージなどいただければご案内します。どうぞよろしくお願いいたします。

参加者、パネリストのみなさまどうもありがとうございました。

字空けの効果について

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
このところタイムラインに流れてくる歌になんとなく一字空けがたくさん使われているように感じています。その一字空けが本当に必要なのかなあ、と余計なことを感じたりしているのですが、では何が効果的な一字空けなのかと考えてみます。一字空け(二字空けや句読点との組み合わせを含め)が効果的に決まっていると思う歌を引用します。

ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて
永田紅『日輪』

ああきみが
とおいよつきよ

したじきを
はさんだままの
のおとかたくて

5-7-(1)-5-7-7

距離を示す一字空けである。物理的なのか心理的なのかは示されないが、遠い君を思う気持ちは、月夜の冴えわたるような空気と下敷きの硬質な感じに遮られて、切なさを伴って訴えてくる。整った韻律のなか「ああ」という詠嘆の入りに対して、一首全体のオ段音の籠もった音がもどかしさを伝えてくる。

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり きて
東直子『春原さんのリコーダー』

はいそんを
つげるかつじに
もものかわ
ふれればにじみ
-ゆくばかり きて

5-7-5-4-8-(1)-2

場面の転換となる一字空けである。新聞の上で桃の皮を剥いているのであろう。桃の果汁によって文字が滲む、その濃密さが主体の何かに訴え、思わず「きて」と声を発したのかもしれない。空虚な廃村の記事から桃、そして主体の心へと一気にテンションが高まっているのが、句またがりと一字空けで示される。

この春のあらすじだけが美しい 海藻サラダを灯の下に置く
吉川宏志『夜光』

このはるの
あらすじだけが
うつくしい

かいそうさらだを
ひのしたにおく

5-7-5-(1)-8-7

意味の一意性のための一字空けである。美しいは海藻サラダに掛かるのではなく、終止形で独立している。上句の抽象的なイメージを下句の具体的な主体の行為で受ける構造であるが、上句は「この」「だけが」とふたつも限定の言葉が使われているが、下句との呼応や「あらすじ」をどう捉えるかは読者に委ねられている。

月を見つけて月いいよねと君が言う  ぼくはこっちだからじゃあまたね/永井祐『日本の中で楽しく暮らす』

つきをみつけて
つきいいよねと
きみがいう


ぼくはこっちだから
じゃあまたね

7-7-5-(2)-9-5

月をみつけた君の声によって主体も上を向く。そしていっしょに月を見たあとで、自分の帰り道をこっちだからと示す。二字空けというたっぷりとした時間の中に、視線が上から後ろへまわるような感覚がある。そして、下句の三連符のような9音ののちの5音の欠落感にも、二字空けが余韻として効いている。

うつむいて並。 とつぶやいた男は激しい素顔となった
斉藤斎藤『渡辺のわたし』

うつむいて
なみ    と
つぶやいた
おとこははげしい
すがおとなった

5-(2+4+1)-5-8-7

一字空けが1音のモーラになることは韻律の感覚としてよくわかる。句点はほぼ倍の効果がある。この歌では、句点+一字空けを4音のモーラと捉えるとほぼ定型として読むことができる。声だけの男が激しい素顔に変わるその瞬間を、無音の時間として示すことで、牛丼屋の日常風景を浮かびあがらせている。

合同批評会「羊歯とボート」に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月3日のひな祭りの日に、原田彩加さんの『黄色いボート』と國森晴野さんの『いちまいの羊歯』の合同批評会に参加しました。

前半は『黄色いボート』『いちまいの羊歯』のそれぞれについて、3名のパネルディスカッション形式で、一冊を丁寧に読みすすめて行きました。

『黄色いボート』のパネルはまひる野の今井恵子さん、率の平岡直子さん、塔の花山周子さんでした。

原田さんの短歌は、きれいで読みやすくすっと心に入ってくる歌が多かったです。働く女性として共感の高い歌が多く、3名のパネリストの持つ感覚が比較的近いように思えました。表題の歌をどう読むかについては意見がいろいろと出ました。

『いちまいの羊歯』のパネルはかばんの佐藤弓生さん、短歌人の内山晶太さん、pool ・[sai] の石川美南さんでした。

國森さんの歌は、言葉の持つモチーフに乗れるかどうかで大きく読みが分かれるのかなと感じました。専門用語をもとの意味と比べたり、身体のイメージを擬人化していたり、概念がそのまま比喩になっていたりと、きちんと読もうとすると読みきれないというのは言われて納得でした。

後半は6名のパネリストが、お互いの作品についての評を述べたり、使われる語彙の相似性など東直子教室の特徴などが指摘され、時間があっという間に流れていく感じでした。

会場からの発言、監修者のあいさつ、著者お二方の感謝と抱負が述べられ、あたたかい空気につつまれた、居心地の良い時間を過ごすことができました。

東さんのもとに集まっている方々のホスピタリティの高さに誘われるままに懇親会と3次会にまで参加してしまいましたが、作者の持つ文体と一首の持つフォルムの違いなどパネルディスカッションで聞ききれなかった話や、結社・同人・カルチャーセンターの違いなどをたくさん話すことができました。

楽しい時間をありがとうございました。

無いものは無いとせかいに言うために指はしずかに培地を注ぐ

終わらせたこころをひとつD列の鳥卵標本箱におさめる

切りすぎた前髪のまま追いかけるわたしは雨のはじまりに立つ

/國森晴野『いちまいの羊歯』

いちまいの羊歯 (新鋭短歌シリーズ36)

いちまいの羊歯 (新鋭短歌シリーズ36)

 

嫌わずにいてくれたことありがとう首都高速のきれいなループ

岡山発南風5号ふるさとの空の青さが近づいてくる

庭中の花の名前を知っている祖母のつまさきから花が咲く

/原田彩加『黄色いボート』

 短歌人2017年6月号に『黄色いボート』の書評を書きました。

seijiota.hatenablog.com

 

 

短歌人2018年3月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

フィルムに色うかびゆく二十秒 おのれの顔におののくむすめ

初売りのロールケーキを二本買い子のなきいもうとの家へと集う

家の話とクルマの話は注意深く避けつつ薄きハイボール舐める

母だけには歌をつくると告げており祖母(おおはは)にだけ伝えてと頼む

坂多き横浜をぬう いもうとの家も実家も斜面にあって

ぬばたまの大黒埠頭にみはるかすみなとみらいが車窓に消える

1月号の作品がSelection(具体的で情景がよく見えるうた)に掲載されました。

点滅が近づいてきて点滅はロードバイクとともに去りゆく

室井忠雄さん、どうもありがとうございました。

 

感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

推し歌人アンソロジー②(好きな歌人編)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

①影響を受けた歌人に続いて、②好きな歌人をあげてみます。

美術史をかじったことで青年の味覚におこるやさしい変化

/笹井宏之『ひとさらい』

骨盤のゆがみをなおすおかゆです、鮭フレークが降る交差点

単純な和音のままでいましょう、とあなたは朝のひかりの中で

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

影だって踏まれたからには痛かろう しかし黙っている影として

天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜

 

長くながくひこうき雲の引かるるを二足歩行は見上げていたり
/染野太朗『あの日の海』

休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます

海を見に行きたかったなよろこびも怒りも捨てて君だけ連れて
/同『人魚』

川で子ども海で子どもと遊ぶような不安を今日もいじめぬきたり

もし煙草を吸えたなら今あなたから火を借りられた揺れやまぬ火を

手水舎を囲む手のみな濡れびかりはづかしきまで動いてゐたり
/同「恋」(「文學界」2017年7月号)

 

かの人も現実にありて暑き空気押し分けて来る葉書一枚
/花山多佳子『空合』

〈あの人つて迫力ないね〉と子らがささやくあの人なればわれは傷つく

〈柿死ね〉と言つてデッサンの鉛筆を放り出したり娘は
/同『春疾風』

大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり
/同『木香薔薇』

つぎつぎに「おじやましました」と言ふ声の聞こえて息子もゐなくなりたり

爪楊枝のはじめの一本抜かんとし集団的な抵抗に会ふ
/同『晴れ・風あり』

 

ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
/永井陽子『なよたけ拾遺』

べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
/同『樟の木のうた』

あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
/同『ふしぎな楽器』

十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり
/同『モーツァルトの電話帳』

ぬけぬけと春の畳に寝てゐたり御伽草子の長者のごとく  

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり

 

うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う

/高瀬一誌『喝采』

カメを買うカメを歩かすカメを殺す早くひとつのこと終わらせよ

「半熟卵は半殺し」どこからかこの唄がきこえて来たる

ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり

/同『レセプション』

リュートを吹く女こそ横たえてみよ暮らしてもみよ

吊るす前からさみしきかたちになるなよおまえトレンチコート

 

みづからを縊死せし枯れ葉こなごなになりて天へと開けり風よ

/「慈母蛆期」藪内亮輔『率』9号

引き絞るあなたを見てゐた引き絞られてつひにはなたれぬ涙を

唇あまた滅びてのちに一度だけふれし夜雨に海がけぶれり

水は水、風は風へと落ちてゆきたましひの辺の枯れ葉を絞る
/「心酔をしていないなら海を見るな」同『率』10号

白鷺が遠くかなたに目覚めたりわたしはミルクをあたためてゐる
/「雨と光と海」同『京大短歌』21号

草原の下に昨日の雨ありて抱くなよふかく雨は地を刺す
/「くち」同22号

 

入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で

/鳥居『キリンの子』

水筒の中身は誰も知らなくて三階女子トイレの水を飲む

鉄棒に一回転の景色あり身体は影と切り離されて 

指先でひかりを剥いでゆくやうにあなたのしろいページを捲る

/「bibliophile」『短歌研究』2017年2月号

余白より文字はしづかで青杉の翳のさやげる季節に入りぬ

その胸をひらきゆくとき仰向けに花の名前を教えてくれる

ひとさらい 笹井宏之第一歌集

ひとさらい 笹井宏之第一歌集

 

 

推し歌人アンソロジー①(影響を受けた歌人編)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

タイムラインに流れてきた、推し歌人アンソロジーの企画に合わせて、①影響を受けた歌人、②好きな歌人、③最近のイチ推し歌人をあげてみます。まずは影響を受けた歌人です。

砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている

俵万智『サラダ記念日』

「寒いね」と話かければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

シャンプーの香をほのぼのとたてながら微分積分子らは解きおり

四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら

/同『風の手のひら』

優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる

/同『チョコレート革命』

焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き

 

自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに

斉藤斎藤『渡辺のわたし』

雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁

あいしてる閑話休題あいしてる閑話休題やきばのけむり

宗教も文学も特に拾わない匙を医学が投げる夕暮れ

/同『人の道、死ぬと町』

静岡の長さに負けて三〇〇円コーヒーを買う行きも帰りも

二日後の河北新報朝刊の「生きてほしい。」ではじまる社説

 

つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり

/小池光『バルサの翼』

廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり

/同『廃駅』

佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

/同『日々の思い出』

機械山羊に紙食はしむるたのしみや機械山羊とはシュレッダーなり

/同『草の庭』

経験は命題の意味をものがたりせず命題の真偽を教えくるるのみ

銀杏が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道

/同『静物

 

疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより

/大辻隆弘『水廊』

ドリブルの音の絶えたる真昼間はふかぶかと夏を待つ体育館

青春はたとへば流れ解散のごときわびしき杯をかかげて

あけがたは耳さむく聴く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ

/同『抱擁韻』

受話器まだてのひらに重かりしころその漆黒は声に曇りき

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき

/同『デプス』

 

次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く

奥村晃作『三齢幼虫』

不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

/同『鴇色の足』

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文房具店に行く

転倒の瞬間ダメかと思ったが打つべき箇所を打って立ち上がる

/同『ピシリと決まる』

権太坂完全舗装されたれどその道の持つ傾斜変わらず

/同『キケンの水位』

フセインと生年が近いオクムラはフセインを見るオクムラの眼で

/同『スキーは板に乗ってるだけで』

 

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

千歳烏山歌会に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

未来の嶋稟太郎さん主催の千歳烏山歌会に参加しました。

メンバーは未来の方が中心で、銀河集、夏韻集、彗星集の方々に加えて、塔、短歌人、所属なしの方と幅広い感じですが、夏韻集首都歌会でご一緒している方が多く、安心して参加できました。

記名5首を各自持参し披講のうえ批評を受けるというスタイルで、夏韻集首都歌会をより深くしたような形式で進みました。

5首あるとそれぞれの文体やテーマ、言葉の選び方に特徴が出ていて、読み手としても楽しめる会でした。

わたしは作成中の連作の一部を出したのですが、たくさんのフィードバックをいただき、得られるものがとても多かったです。

5首あると、手癖のようなものも如実にあらわれるもので、この部分も客観的にみることができる歌会でした。

夕方の早い時間に解散し、有志で二次会へ。

刺身や貝などをつまみながら、フランクに歌の背景などを振り返り、それぞれのスタイルを大切にできる場を大切にしたいな、と感じました。

嶋さん、参加者の皆さま。どうもありがとうございました。

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短歌人2018年2月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

音本番入(はい)りますの声にヒロインはヒールを脱いで告白を受く

医者・歯医者・医者・医者・ミーシャ 聞きおればいしゃばかりなるMISIAの家族

「主役1」と呼ばれる権利を勝ち取って吾子はひとりでステージに立つ

こんにちはって言ったらこんにちはって言ってね 言ったのに声が大きくて叱られる

舞台ではまったく緊張しなくとも相手がいると緊張するらし

菓子ならばどら焼きがよしどら焼きはうさぎやがよし兎年われは

感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

「勝手にふるえてろ」を観ました

勝手にふるえてろ」を3回観てきました。同じ映画を上映期間中に繰り返して観ることはあまりないので、感想を書きます。たぶんネタバレ的なことも書くので、映画を観ていない方や原作を読んでいない方はスルーしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初回は「綿矢りさ」の作品として観ていました。デビュー作から気になっていた作家で、『夢を与える』では世界の光と闇をとても痛々しく書いていたのが印象的でした。『勝手にふるえてろ』ももちろん読んでいました。と言っても、数年前に読んだくらいで細かいところまでは覚えていなくて、でもわりとダークなモノローグがどういうふうに映画になるのかなと思っていました。なので、最初の演出はもちろんオカリナさんのキャラクター構成とかすごいなと思いつつ、原作の筋はきちんと踏襲されていてとてもいいなと感じました。何はともあれ主演の松岡茉優さんの圧倒的なこじらせ具合に惹きこまれていました。そして、映画を観た直後に原作をKindleで買って、そういえばこんな話だったなあと思い返したのでした。

2回目は「松岡茉優」の演技をもっと観たいと思って行きました。ヨシカの振れ幅の大きさをあそこまで体現できるなんてむちゃくちゃすごいなと。ウェイトレスの金髪やアンモナイトやくるみのまつげをうっとり眺める感じ。イチを脳内で召喚するときの根拠のない全能感。ニのウザさを的確に見下す視線や口をついて出る罵り言葉のタイミング。海老天をくわえながら必死にイチとの距離を詰めていこうとするきょどった感じ。おろしたてのヒールのある靴を履いて颯爽と家を出るシーン。淡い期待が打ち砕かれたときの悄然とした表情。「絶滅すべきでしょうか」とまで落ちていく感覚など、あげていくときりがないのですが、ここまで不器用な人が、ここまではじけて、ここまで落ち込んで、ここまで笑えるのかと、ヨシカと一緒に泣いて、ヨシカと一緒に元気になる感じでした。天然王子を描くシーンや卓球のシーンや産休届を殴り書きにするシーンでは左利きの不器用さ加減が突き付けられる感じもありました。そしてシナリオをAmazonで買いました。

3回目は「大九明子」監督のやりたいことを観たいと思って行きました。ストーリーもセリフもわかっているので、安心して楽しもうという感じです。イチやニやくるみがどういうふうに描かれているのかとか、オリジナルキャラクターとのやりとりとか、電卓や拳でリズムを作るところや劇中歌を含めた音楽とか、衣装や小道具のこだわりとか。何よりセリフに勢いのあるリフレインがたくさんあって、テンポのよい掛け合いが絶妙でした。大九監督は人力舎に所属されていたらしく、ヨシカとニとの掛け合いの細かさとか、シリアスになりきりそうなところでの絶妙のタイミングのユーモアが素晴らしかったです。火事に慌てふためくところとか、奥多摩での願掛けとか、犬の散歩とか、動物園で走るところとか、写真の変な構図とか、雨合羽を着たオカリナさんとコンビニ店員の出し方とか、こちらもあげるときりがないです。二の過去にはあえて触れないところとか、ヨシカが休んでいるときの両親とのやりとりが割愛されているところとか、原作では冷酷に描かれていたフレディがわりとあたたかみのある人間に描かれているところとか、東京でのヨシカが思っている以上に愛されキャラになっているのが伺えたのもよかったです。

イチにはイチなりの世界との距離感があって、それを侵食してくる人たちからは常に心理的なバッファを持つのですね。いじられたら乗っかる、内心はいやでも誘われたら断らない、ふたりになったら記憶にない同級生からも話を聞き出すところなど、彼なりの処世術を背負わずにはいられない感じは、原作にはなかったイチ像でした。LINEを交換しつつ名前がわからんとはどういうことなんだろうとか思ったりするのですが、「俺を見て」とか「中学の頃に友だちになりたかった」とか、自己完結的に思わせぶりなところが罪作りだなあと感じました。

一方でニはかなりウザいんだけど、原作よりもファニーな憎めなさをまとっていたように思います。口下手だし、ストーカーまがいの絡み方とか、せっかく聞き込んだ情報を簡単に漏らしてしまって振られてしまうところとか、おいおい何やってんだよと、もどかしさを感じてしまいました。でも、釣りとか卓球とか角打ちとか動物園とか、自分の居心地のよい世界をしっかり持っていて、どんなにウザがられても自分の好きをちゃんと相手に向けて、包容力がある感じが魅力的でした。動物園や屋上で喜びを体全体で表現する姿も素敵だなと。

くるみは、たぶんよかれと思ったことを隠せないタイプの女性なのかなと思いました。ヨシカは二に知られたくないって言っているのに、ふたりを思っていろいろと助言して、結果としては裏目に出るのだけれど、それでもコミュニケーションをあきらめないところが優しさなんだろうな。ヨシカの心の声がダダ漏れしているときは、かなりひどいことを言われていたのに、ヨシカがひとりで引きこもっているときも、彼女なりの勇気をもってメッセージでお祝いと謝罪が言えるのは、ヨシカとの関係を修復したいという愛を感じました。

ラスト前の録音メッセージの一連がすごく好きなのですが、二につながらず4文字言葉を叫びここであきらめるのかと思わせて、まさかの紫谷がもう一回出てくるのにはむちゃくちゃしびれました。

ラストシーンは、ヨシカの強烈な自意識が生み出す暴力的な言葉の応酬を受け止めつつも、自分の気持ちに本当に正直に生きる二の格好良さが光りました。そしてヨシカのふくらはぎと扇情的に濡れる赤いふせんがぐっときました。

最後の「ベイビーユー」を聴きながらあたたかな気持ちで会場を出ました。とにかくほんとうに細かいところまで気を配っていて何度も観にいきたくなるの人がたくさんいるのも分かるなあという感じでした。パンフレットを買って、劇場に貼られていた綿谷さんと松岡さんの対談を読んで、松岡茉優さんが活字好きというところもいいななどと思って帰りました。

素敵な作品をありがとうございました。

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

 
 
 

夏韻集首都歌会に参加しました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

新年最初の歌会は未来の大辻さんの開催する夏韻集首都歌会でした。3か月に一度東京で開催されている歌会なのですが、記名の歌を目の前で丁寧に読んでもらう場は案外と少なく、作歌はもちろん批評の方法をじっくりと味わう場でもあります。

また、未来夏韻集の方々に加えほかの選歌欄の方や様々な結社の方が集まる場でもあり、いろいろな視点からの意見が交わされる歌会です。

一首の景の切り取り方から言葉の用法や語法の細かいところまでいろいろと気づきの多い歌会でした。

歌会のあとはお昼を食べて、さらに歌会の会場のルノアールに戻り、短歌の話をたくさんした一日でした。

大辻さん、夏韻集の皆さま、同席してくださった皆さま、どうもありがとうございました。

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