結社と添削について思うこと
12月号の短歌人が届きました。作品欄はもちろんなのですが、連載を楽しみしているコーナーもあり、その中でも「インタビュー短歌人」は毎月毎月楽しみにしています。
今月は西村美佐子さんのインタビューが掲載されていたのですが、結社という仕組みを考える大きな気づきがありました。一部を抜粋します。
――短歌を作り始めたのはいつですか。
「うた短歌会」という玉城徹主宰の結社に入ってからです。
――「うた短歌会」入会はすんなりと?
とりあえず歌会に参加して、そこで自分にとっては決定的な出来事がありました。(略)「そんなこといってないだろう、この歌は、尻尾が揺れている、そこがいいでしょう」って声がして、首に手ぬぐい巻いたそれが玉城徹だったんです。あ、わたしと同じことを思ってるって、ドキドキしました。同時に、これでいいんだとも感じました。
――なぜ「うた短歌会」をやめたのですか。
明確な理由がないんです。(略)ただいえるのは、郵送じゃなくて目の前で歌を添削していただく機会もしばしばあって、ほんとうに見事に、私がそうあろうとする作品に変身するんです、手品みたいでした。とても感動したし、でも、そのたびに、これは玉城徹の作品になってると思いました。見事すぎます。それに添削には、その歌人の傾向がもろに出ます。私は「短歌人」に入ってから第一歌集を出したんですけど、玉城徹の結社にいた時の歌はすべて除外しました。
また、編集室雁信(短歌人編集後記)には斉藤斎藤さんが、文体を野球のフォームになぞらえて文章を寄せています。
●権藤博は「新人だろうが、ベテランだろうが、投球フォームというのは、その投手の個性であり、主張である。それに安易に手を入れるのは、厳に慎むべきだ」と述べている。●私もその方針だ。壁にぶち当たったと本人が思うまでは、フォームに手を入れない。●会員各位も、他人の歌の添削には、慎重であってほしい。
添削についてなのですが、わたしは短歌をはじめてしばらくして結社に入ろうと思った理由のひとつに「短歌の型を身につけたい」という意識がありました。いくつかの結社のなかから短歌人を選んだのは、決まった選者に定期的に添削を受けられるということも大きな理由のひとつでした。
しばらくは歌会にも行かず、ひたすら歌を作っては選歌と添削を受けるという時期が半年ほどありました。はじめて歌会に参加したときは、なんでこんなに歌が「わからない」と言われるのかが不思議でした。
添削では助詞の変更・追加・削除、語順の整理、言葉の斡旋、具体と抽象の度合い、用例が日本語として適切か、など細かく見てもらいました。端的に言うこと、助詞ひとつが歌を立ち上げているということ、ここでこう引き締めればいいのか、具体的に手わたすようにすれば伝わるのだ、ということを学んでいたのだと思います。
添削を受け続けているうちに、月評などをいただく機会も増えたのですが、まさに添削された助詞のひとつが「いい」と評されていて、けっこう複雑に感じたときもありました。
また、自分自身で好きな歌集を読んだり、同世代の人の歌を知るようになってくると、自分なりに工夫したレトリックが消されてしまったり、意識的に入れた破調が整えられてしまうことがたびたびありました。
岡井隆さんの『今はじめる人のための短歌入門』に、初心の頃は添削を受けることも有益だが、期限を区切ることが大事だ。という趣旨の文章があるのを読み「添削は二年」と決めました。このことを添削をしてくださる方に相談したところ、いい決断だと言ってくださいました。
そして、選歌のみを受けるようになりましたが、機会があり現在は口語短歌の編集委員の選を受けるようになりました。という流れで今のような感じのスタイルになってきたという経緯です。
ざっくりまとめると
①添削に何を求めるのかをぼんやりとでも持って臨んだほうがいいです。
②添削を受けることによって、自分のテキストを例題とした批評の言葉を知ることができます。
③一方で添削を長く続けると、八割くらいの歌で満足してしまい、最終稿を生み出す推敲力がつかない危険性があります。
あともう一つ。添削を受けていると、ひとの作品を安易に添削したくなりがちです。ここは改めて自戒を込めて書いておきます。
短歌人2017年12月号
今月の月詠です。
青いひとのいのちのゲージは徐々に減り点滅ののち 赤いひと
海ほたる東京湾にぬっと出でて次から次へ車を吐けり
地下鉄が地上の橋をわたるときやけにあかるい叫びをあげて
やたら長いエスカレーターの奥底に充填される一発となる
全国瞬時警報システム(ジェイアラート)が鳴っても電車は止まらない原子力発電所も止まらない
ひさしぶりに欄頭を取りました。送った歌にばらつきがあり、自信を持って出せた歌は最後の歌くらいでしたが、チャレンジしたところを見てくださっていて、とてもありがたいです。
今月号の三角点は、評論・エッセイ賞を受賞された、泉慶章さんと桑原勇太郎さんの文章が、かなり長めに載っており読みごたえがありました。西村美佐子さんのインタビューもたくさんの気づきがありました。
感想などお聞かせいただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。
文学フリマ東京に「真砂集」を出展しました。
11月23日(木・祝)に開催された文学フリマ東京に、はじめて出展者として参加しました。1975年生まれ短歌アンソロジー「真砂集」を発行しました。
同年代アンソロジーはいろいろなところで見かけますが、総じて同じ時期に歌集を出していたり、同じ地域で集まっていたり、学生が中心だったりと、わりとテイストが似た作品が多いなと感じていました。
というわけではないのですが、結社の方々とインターネットを作品発表の場としている方々とが一緒になったらおもしろいものができるのではないか、というくらいの感覚でまずはいろいろな方に声を掛けるところから始めました。
今回の編集は短歌人の生沼義朗さんに手掛けていただいて、評論やエッセイ、アンケートなどの企画を進めていくと同時に、人づてに紹介をいただきながら参加者や制作スタッフをお願いしたのが半年くらい前の出来事でした。
挿画に森笛紗あやさん、表紙デザインに嶋田さくらこさん、校正と販売に中家菜津子さんと柳原恵津子さん、ようやくメンバーがそろって、原稿もそろって、さまざまな手配をしているうちにあっという間に当日を迎えました。
(当日のブースの様子、左隣のきれいなブースは「心の花」の皆さま)
1975年生まれのスタッフはいろいろな企画にも参加していて、当日は志稲さんと北城さんと深町さんに設営と販売を手伝ってもらい、たくさんの方へ「真砂集」を届けることができました。
■当日よかったことをいくつか
・北城さんの設営と接客が神対応だった。
・志稲さんが開場と同時に来てくれて、一瞬でブースが完成した。
・面識のない方が、自分の作品を目の前で読んでから買ってくださった。
・深町さんがいちばん大変な時間帯に来てくれてなごんだ。そして休みが取れた。
・読書メーターの雪さんと華ちゃんが来てくれてたくさん話せた。
・休憩してたら海老茶さんがハイテンションで声を掛けてくれた。
・柳原さんと中家さんが楽しそうにブースに入ってくださった。
・コーヒーを飲みに二階に行ったら偶然とりこさんのブースに辿りついた。
・家族が梱包と発送を遅くまで手伝ってくれた。
・子どもがポップを作ってくれた。
・予想以上に多くの方が手に取ってくださった。
・戦利品の写真にウサギがたくさんいた。
・打ち上げのお店が美味しかった。
・売上記録が間に合わなかったが部数と金額が一致した。
■そして反省をいくつか
・前日夜に梱包作業に追われて、当日の準備が全然できてなかった。
・売上管理表とシフト表を作る予定だったのに力尽きた。
・大雨だったのでタクシーに乗ったら、思いっきり遠回りされた。
・委託商品の部数と価格を事前に確認していなかったため、設営時に混乱した。
・ブースの裏側が雑然としてしまい、両隣のブースにご迷惑を掛けてしまった。
・明らかにテンパった顔で接客をしてしまった。
・ほかのブースをまわるときに、秒に読まれている感じであまりお話しできなかった。
・段取りが悪くてちゃありぃとご飯を食べに行く予定が流れた。
・ほかのブースの出展状況をまったく把握しておらず、何を買って何を買い忘れたのか未だに分かっていない。
・ブースに戻ったら、わたしに会いに来てくださった方がいたらしい。ごあいさつしそびれた皆さま失礼いたしました。
・ふたつに分けても荷物を家に送るべきだった。
ブースにいらしてくださった皆さま、真砂集をお手に取ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
感想などお聞かせいただけるとうれしいです。
買いそびれたけど気になっている方はこちらから(通販もあります)
1975年生まれ短歌アンソロジー「真砂集」(まなごしゅう)を発行します。
短歌人2017年11月号
さまよえる歌人の会で『人魚』を発表しました。
10月21日にさまよえる歌人の会で染野太朗さんの『人魚』のレポーターをしました。
7月の短歌人の研究会でも『あの日の海』と『人魚』の発表をしたので、今回は聞き役に回ろうと思っていたのですが、せっかくなのでもう一度発表の機会をいただくことにしました。
さまよえる歌人の会は、二人が事前にレジュメを作って発表する形式で進められるのですが、今回はおなじ短歌人の相田さんが発表されていて、短歌人の参加率も高かったです。
相田さんは、目次の構成から丁寧にまとめてくださっていてとてもわかりやすく興味深い論点を挙げてくださいました。わたしは「家族」「相聞」「職場」「感情」「日常」とシチュエーション別に比較的多めに歌を紹介しました。
タイトルの『人魚』をどう読み解くのかということと、歌集の構成における作者と主体の位置づけ(私性の問題)というところが大きな話題になりましたが、特徴的な文体や、繰り返し使われるモチーフを会場の皆さんの発言にも触発されながら味わってみると、やはり一人で読んでた時には気が付かなかった側面が浮かび上がるような、貴重な時間を過ごすことができました。
最後に気になった歌を一首ということで、レジュメを作っていた時には気が付かなかったけれど、改めてぐっと来た一首を挙げました。
川で子ども海で子どもと遊ぶような不安を今日もいじめぬきたり
/染野太朗『人魚』
レポーターをするたびに、随所に読めてないなあと思うことが多々ありつつも、よい歌集をじっくり味わうという楽しく過ごせました。相田さん、参加者の皆さま、どうもありがとうございました。
こちらは短歌人2017年5月号に寄せた『人魚』の書評です。 あわせてお読みいただけると幸いです。
短歌人2017年10月号会員2欄(2)
短歌人2017年10月号会員2欄から
ボタニカルアートといふ語を知らぬまま飽きず図鑑を眺めてゐたり
/柊慧
もう死んでいるので冷房は十八度にしてください水と綿
/国東杏蜜
切りたくないものも切りつつ勝ちにゆき緑一色にもうすぐ届く
/北城椿貴
人波のとぎれてエスカレーターは意識を失うみたいに止まる
/相田奈緒
ラの音の濁音部分震え合う覚悟のようなラ・カンパネラ
/高良俊礼
全国の中学生の答案に明るいばかりの未来を見おり
/佐々木あき
緩慢な小説を読みよく食べてよく寝ることを試してみてる
/笹川諒
ジャパニーズテクノロジーと言いながらロマンスカーの椅子まわすひと
/山本まとも
たそがれをまた一頭の馬がゆくかへらぬ時をその背に乗せて
/鈴木秋馬
遠花火音なくあがるをみてゐたりこの世に母のもうゐない夏
/古川陽子
夜な夜な短歌集2017年秋号に参加しました。
わたしが短歌をはじめるきっかけとなった、読書メーターの夜な夜な短歌のメンバーが季刊誌を発行しました。今回もこの季刊誌に参加しています。
夜な夜な短歌集第12巻2017年秋号の題は「燃」です。
「炎上案件」
プロジェクトとう大波にさらわれてもがけどももがけども景色変わらず
慣性の力は強し 眠れなきわれをも満員電車に押しこむ
カルガモは今日も列なし歩みおり 会社なんかは燃えていいのだ
こちらのリンクの「この本の詳細はこちら」から作品を読むことができます。
この歌集には、書肆侃侃房「新鋭短歌シリーズ」4期にて歌集を上梓されるちゃありぃこと小坂井大輔さんとティさんこと戸田響子さんも参加しています。
あわせてお楽しみいただけると嬉しいです。
短歌人2017年10月号会員2欄(1)
短歌人2017年10月号会員2欄から
『富士日記』を読んで夜明けに家を出る車のトランク静かに閉めて
/柳橋真紀子
ドイツ館の屋根にドイツのまぼろしや俘虜が第九を歌いしところ
/福永文子
不機嫌な朝にはねらるるパスワード次はゆっくり八桁たたく
/円弘子
アンコールはチャイコフスキーのセレナーデ ティンパニ奏者鼻掻きており
/植松豊
ドヴュッシーとラヴェルの違ひ?音色の固さだよねえ ピアスが揺れる
/杉本玲子
終曲はバーンスタイン・メモリアル若者称えて総立ちとなる
/矢田敏子
木炭を消しつつかじる食パンに口の周りを黒くせし午後
/蒼あざみ
人間の眼をして嘆くゲルニカの牛の心を癒してやれぬ
/桃林聖一
左右の手がシマからシマへ火を運ぶ 原爆忌にもひまわりは燃え
/葉山健介
海水に身体を溶かしいつの日かあなたを濡らす雨になりたい
/鈴掛真