書評『黄色いボート』原田彩加歌集
書肆侃侃房新鋭短歌シリーズ第三期として出版された著者の第一歌集。やわらかな感性と対象への温かくも細やかな観察眼がひかる。
スプーンを水切りかごに投げる音ひびき続ける夜のファミレス
現代歌人協会主催全国短歌大会で朝日新聞社賞を受賞した一首。都会の夜中にはたらく人への共感を音で捉えた感受性がやさしい。
さりげなく花の記憶を分け合って路線図のごと別れていくか
嫌わずにいてくれたことありがとう首都高速のきれいなループ
都市にある人工物を、まるで生物のように描いているのもユニークな着眼である。別れのときに感じた花の記憶を路線図の複雑な図形に昇華させ、蔦のようにループするジャンクションを俯瞰して、その距離感をどこか冷めた都会の人間関係のように描いている。
岡山発南風5号ふるさとの空の青さが近づいてくる
庭中の花の名前を知っている祖母のつまさきから花が咲く
故郷の高知に帰省する一連は、ひかりあふれるような明るさが立ち上がり、読者を旅の世界へ連れていってくれるかのようだ。歌集に頻出する花の名前は故郷の祖母から受け継いだ大切な宝物なのだろう。
行列がなくなり水が腐っても撤去されない黄色いボート
歌集タイトルの「黄色いボート」の歌からは変わっていく世界に対して、変わらないものがきっとあるはずという声が伝わってくる。監修・解説も担当された東直子さんの挿画が優しく歌集をつつんでいる。
(短歌人2017年6月号掲載)
藤を見る花咲歌会に参加しました。
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
4月29日に桜望子さんの開催する花咲歌会に参加しました。
今回は亀戸天神にて藤の花を愛でる吟行でした。
ゴールデンウィークのはじめということもありすごい人出でしたが、気持ちよい風に包まれる藤棚を見つつ、屋台でおやつを食べる人あり、おみくじを楽しむ人ありと、楽しい時間を過ごしました。
市ヶ谷に場所を移して、事前に準備してあった題詠「藤」または「葛藤」一首を持ち点4点で選をしてから、合評をしました。吟行でできた歌は簡単にお互いに評をしつつ、それぞれの歌の作り方などを話しあいました。
解散後は、お濠端を散歩しながらゆったりとした時間を過ごしました。
桜さん、参加した皆さま、どうもありがとうございました。
第11回現代の歌人を読む会を開催しました(谷岡亜紀さん、小塩卓哉さん)
4月23日に第11回の現代の歌人を読む会を開催しました。参加者の入れ替わりもありつつ続けている読書会なのですが、今回は初参加の方が三名もいらして、どことなく始めたばかりの頃を思い出しつつ、楽しく歌を読みあいました。
今回の歌人は谷岡亜紀さんと小塩卓哉さんです。
まずは谷岡亜紀さん。
うるとらの父よ五月の水青き地球に僕は一人いるのに
火の粉のごときが肩に絶えまなく降り来る夜をおまえに帰る
砲声の止みて静もる世界史の花を抱えて待ち人は来る
一首目、初句「うるとらの」が枕詞や地球に掛かる序詞のようでおもしろい。宇宙から地球そして自分とダイナミックにクローズアップしてゆく。一人いるのには、その先が投げ出されているようでも、孤独をヒロイックに歌い過ぎではという意見もあった。
二首目、おまえに帰るというぶっきらぼうな表現が読みどころではないか。肩に降るというのも男性らしさが出ている。火の粉は実際に火花が散るような職場とも、無理難題が次々ときているようなイメージとも取れて読みが分かれた。
三首目、時間も空間もスケールの大きな一首。「静もる世界」から「静もる世界史」となることで、歴史が花に集約されている感じがある。平和を希求する言葉に花を持ってきたのはドラマチックであるが、わかりやすすぎるとも感じられた。
続いて、小塩卓哉さん
あああきのそのふところのふかくしてくちにふふめるままのほおずき
異郷より送られ来たる歌集読む生きた証として立つ一行詩
音のみが空から振ってくるときに子は飛行機の真似して走る
一首目、すべてひらがなで書かれた優しい一首。「あ」「ふ」「ま」と同じ音が続いているのも、なつかしい景色を彷彿させる。ほおずきを口に含み音をたてるときの背景としてふところのふかい秋が広がりを見せている。
二首目、異郷とはどこなのか、歌集は何処から来たのだろうかと思いながら、解説を読むと「海を越えて移住した人々の短歌に、関心を持ち続けている」とあり、情景が浮かぶようになった。下の句は少し言い過ぎなのではないかとも感じる。
三首目、子どもへの目線があたたかな歌である。上の句は「振る」という表現が少しわかりにくいが、子にとっては「振る」として捉える音が、飛行機の真似をして走るという行為につながっているのがユニークである。
谷岡さんは世界や宇宙という大きなモチーフをロマンチックに描いているのに対して、小塩さんは平易な言葉で日常をスケッチしている印象を受けました。歌にとっての技巧の価値を考えさせらる会ともなりました。
次回は加藤治郎さんと米川千嘉子さんです。日程は少し空いてしまいますが、6月25日に開催を予定しています。
https://mailform.mface.jp/frms/seijiota/ou8ljzze9mc7
どうぞよろしくお願いいたします。
短歌人2017年5月号
書評『人魚』染野太朗歌集
「まひる野」に所属する著者の『あの日の海』に続く五年をまとめた第二歌集。見返しの紙質やプラスチックの帯にもこだわりがみえる。
この歌集の大きなモチーフとして家族がある。冒頭に妻との関係を回想する歌、続く父を描いた二首は頭韻を踏むように置かれている。
除染とは染野を除外することなれば生徒らは笑うプールサイドに
教頭のとなりで今年六度目だサッカーボールの行方追うのは
震災時や生徒を応援するといった職場の描写には、自らを外から観察しているような諧謔と孤独が伝わってくる。
尾鰭つかみ浴槽の縁(ふち)に叩きつけ人魚を放つ仰向けに浮く
君を殴る殴りつづける カーテンが冬のひかりを放ちはじめる
感情がなければいいなひとりだな便器掴んで吐くこの朝も
一転して、非常に強いテンションを持って迫ってくる歌が随所に現れる。表題の「人魚」は美しいものではなく攻撃の対象であり、想いを寄せる人にも暴力でしか伝えられない何かがあり、自身をもコントロールできないような感情が生々しく迫る。
もし煙草を吸えたなら今あなたから火を借りられた揺れやまぬ火を
繊細で透明感のある筆致のなかに自らの思いを綴る歌に惹かれた。
(短歌人2017年5月号掲載)
短歌人4月東京歌会に参加しました。
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
毎週、何かしらのイベントに足を運んでいるものの、気がつくとレポートをため込んでしまい反省の日々です。
4月9日に短歌人4月東京歌会に参加しました。
この日も多くの方が集まり50首を超える歌を活気を持って評をしあいました。また、新編集委員の4名の方が一堂に会するという意味でも、充実した会となりました。
わたしはその前の週に行ったお花見の景を詠んでみましたが、着地に少し無理があるなと思っていたことを、きちんと指摘していただき、やはり歌会の場に歌を出すことの大切さを実感しました。
発言は、前半は食いついていく姿勢を見せたものの、自分の担当の第一評がうまく読めなくて、気勢をそがれた感じで終わってしまいました。時間が押してきていますと言われたときに、端的な評ができるようになりたいです。
そして、研究会のテーマは『震災のうた』という河北新報(宮城県の地方紙)に寄せられた投稿短歌をまとめた歌集でした。生死をあつかう非常に重い歌、大変な中にもささやかな喜びをうたう歌などあり、また昨年の歌から震災は現在進行形なのだということを改めて突きつけられました。
被災地に住めども我は被災せず避難所の前足早に過ぐ
励ましの言葉ですよね「頑張ろう」はテレビ画面に耐えられず切る
「大川小」の文字目にするとき教師らの判断責め得ず元教師の吾は
変わり果てた町となりしもカーナビは津波で消えた店へと案内す
受け入れを拒否され帰り来る瓦礫人も東北を出てはならぬか
漂流物を医院のテレビで見し少女「じいちゃんもカナダにいるかも」
震災を風化させてはならぬとか観光バスからデジカメさげて
仮設にて戦争知るは吾一人テレビで安保の行方見詰める
海の街は海見えてこそ海の街防波堤はほどよき高さに
読んでいていくつか気になったことです。
①事実・実景の重さが付きつけるものと詩型の持つ浄化作用の相互関係。
②心情・本音が出てくるまでのタイムラグは人それぞれである。
③被災地にいながら被害が少なかった人には負い目がある。
④安否がかかわる映像はすべて編集でカットされていたということ。
被災者に成り代わって詠んだ歌の歌意を汲もうとして、震災当時のリアリティを追体験するためにVTRを見て検証したという試みは、もしかすると根幹の部分で本質にはたどり着けなかった可能性があるかもしれないと感じました。
夏韻集首都歌会とお花見に参加しました。
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
今朝は9時から夏韻集首都歌会でした。
3か月に一度、大辻さんが上京して開催してくださる歌会に参加しています。夏韻集の方々はもちろん、未来のほかの欄の方々、さまざまな結社や無所属の方々との交流も楽しみな時間です。記名詠草を各自が持参して、お互いの評を聞きあうスタイルなのですが、緊張の中にも読みへの信頼が感じられて、評をすることの価値を思い返す機会となっています。
今回は新しい歌を出そうと思っていたのですが、エッセイや書評などに追われて、攻めてない歌を置きにいってしまった感があって反省でした。
歌会全体を通して、焦点を絞ることと雰囲気に頼りすぎないことが大事だと改めて実感しました。やはり自分自身の言葉で文体を作っていきたいものです。
普段は歌会のあとはご飯を食べつつ延長戦となるのですが、今日は漂流歌会の皆さまと井の頭公園でお花見をしてきました。ゆるゆると短歌の話やいろいろな話をするのもまたよい時間でした。はじめてお会いした方とも和やかに話ができるのは、開催してくださったショージさんの人柄だなあと改めて感謝です。手ぶらで遅れてきて片づけもせず帰ってしまい、何ともすみません。
歌会もお花見も楽しくて、あっという間に時間が経ってしまいました。お会いした皆さま、素敵な時間をありがとうございました。
短歌人2017年4月号
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
今月の月詠です。
短歌人2017年4月号 会員2(太田青磁)
雨の日は一回休みというサイン(心の声はいつもただしい)
不安にて眠れぬ夜は辛けれど起こされる妻はさらに辛かり
どうして早く寝ようとしないとまっとうな怒りの声にうずくまるわれは
言い返すことはできずに激高を自動改札に叩きつけるわれは
友の誘いは断れないのが悩みだと それは遺伝だ申し訳なし
2017年2月号掲載の歌をSelectionに選んでいただきました。
眠れない夜を数える 眠らない夜を数える 闇の中にひとり
エリさん選歌をありがとうございました。
(教えるは数えるの誤植です)
短歌の感想などお聞かせいただけるとうれしいです。
第4回漂流歌会に参加しました。
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
3月25日土曜日に漂流歌会に参加しました。漂流歌会は3回目の参加なのですが、比較的自分と作風が違う方が集まり、和やかにスイーツを楽しめる歌会なので、今回も楽しく参加しました。
今回は「全角英数字を含む歌」という題でした。参加者の評でも題の使いこなし方が話題になりました。
卒業をともに祝わん講堂に「G線上のアリア」響かせ(太田青磁)
3月ということもあり、自分の卒業式でオーケストラの友人たちと弾いた演奏シーンの回想を出してみたのですが、主体がどこにいて、何をして、どんな気持ちなのか、がうまく伝わらず、焦点のぼやけた歌になってしまいました。
出すときにどうかな、と思ったところはきちんと指摘してくださるので、歌会に出るのはとてもよい経験になります。事前に詠草を確認してからの歌会だったので、曲名を調べてくださった方がいたのもうれしかったです。
スイーツは「キャラメルバナナパフェ」という暴力的に甘いやつを頼みました。
歌会のあとは懇親会で楽しくのんでから紀伊國屋書店に寄って解散という贅沢な一日となりました。
ショージサキさん、ご参加された皆さま、どうもありがとうございました。
北原白秋『桐の花』
こんにちは、短歌人の太田青磁です。
最近、近代の短歌を読みなおそうという気運が高まっており、友人数人と読書会をしています。
『桐の花』は白秋の第一歌集ですが、すでに二冊の詩集を出しているということもあり、短歌という詩形で歌いたいモチーフが明確にあるような印象を受けました。リリカルでくっきりとした景が浮かぶ歌は、物足りないと感じる人も多いのでしょうが、その愛唱性はやはり際立っていると思います。好きな歌をいくつか。
■動物
春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に火のいる夕べ
日の光金糸雀(カナリヤ)のごとく顫ふとき硝子に凭(よ)れば人のこひしき
アーク灯点(とも)れるかげをあるかなし蛍の飛ぶはあはれなるかな
青柿のかの柿の木に小夜ふけて白き猫ゐるひもじきかもよ
梟はいまか眼玉(めだま)を平くらむごろすけほうほうごろすけほうほう
■植物
ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日
魔法つかひ鈴振花の内部(なか)に泣く心地こそすれ春の日はゆく
君と見て一期(いちご)の別れする時もダリヤは紅(あか)しダリヤは紅(あか)し
烏羽玉(ぬばたま)の天竺牡丹咲きにけり男手に取り涙を流す
■楽器
銀笛のごとも悲しく単調(ひとふし)に過ぎもゆきにし夢なりしかな
すずやかにクラリネツトの鳴りやまぬ日の夕ぐれとなりにけるかな
にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出
病める児(こ)はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(はた)の黄なる月の出
■色彩・比喩など
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり
金口(きんぐち)の露西亜煙草のけむりよりなほゆるやかに燃ゆるわが恋
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
美しく小さき冷たき緑玉(エメラルド)その玉掏らば哀しからまし
時計の針Ⅰ(いち)とⅠとに来るときするどく君をおもひつめにき