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太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

とちおとめ歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

3月5日に宇都宮で開催された、とちおとめ歌会に参加しました。

普段都内で歌会をすることが多いので、遠征は楽しみでした。あわよくば紀行詠など作れればと思いながら、北関東へ向かったのですが、車窓の風景は思ったより地味でした。。。

昼前に行って餃子でも食べればよかったのですが、改札でカードを持つなどしていたらあっという間に集合時間になりました。

バスに乗って会場へ向かいます。二荒山神社を横目に見ながら、近隣する市の会館の会議室へ行きます。

参加者は東京、神奈川、埼玉からの遠征組と地元栃木、そして隣県の茨城の方の12名、詠草参加の2首を含めて14首の歌会となりました。

題は「パイプ」または「煙」です。各自2首選をして、選の多い順に披講と評が薦められます。わたしは若きの頃の煙草を吸い始めたきっかけ(違法です)を詠んだ歌を出したのですが、共感いただける方と、ありきたりと言われる方が割れたのですが、いろいろと得るものがありました。

選のある歌会はどうしても初読のイメージを補強するような固定概念にとらわれることが多いのですが、選んだ/選ばなかった理由を言語化することも、大事な読みの姿勢だなと感じました。

歌会はなごやかに進行し、散会となったのですが、牧水の歌碑が近くにあるということで、見学をしつつ、牧水といえばお酒が飲みたくなってしまうのも否めない感じです。

遠征なので早めに引き上げようと思いながらも、バーでウイスキーやカクテルを飲みつつ、バーテンダーの方からいろいろと話を聞くことができて、楽しい時間となりました。とちおとめ23号にも認定いただきました。

帰りはほろ酔いの勢いに任せて、贅沢にもグリーン車に乗ってしまいました。短歌の話をしているとあっという間に東京に戻ってくることができ、世代はともかくとして持つべきものは友なのだと幸せなひとときでした。

宇都宮は短歌人の夏季集会の開催地なので、また訪れることができるといいなと思っています。次回は餃子と、そしておいしいお酒をゆっくりと堪能したいと思います。

河野さん、参加者の皆さま、楽しい時間をありがとうございました。

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『洞田』批評会に参加しました。(4)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

『洞田』について、構成や詞書について触れてきたのですが、やはり歌集なので気に入った歌をいくつか引いてみたいと思います。

振りむけばあのひと冬の出来事が綺麗な駅として建っていた
/洞田明子『洞田』(佐々木遥) 

あのひ(あの日)あのひと(あの人)あのひと冬と、イメージが重層的に立ち上がる。冬の硬質な景が綺麗な駅となる様を、振りむいた瞬間に浮かびあがらせるようだ。振りむく、冬の韻も叙情を感じさせる。

イヤホンのLとRを気にしない人も一緒にこれからも駅
/洞田明子『洞田』(佐藤仕事) 

イヤホンの左右が気になる人は音楽を空間的に把握しているのだろうが、気にしない人のおおらかさが伝わってくる。人も一緒にこれからも駅、という時間のとらえ方がどこか明るく感じられて気持ちがよい。

人に貸す本を電車で読み直すときにはじめて見つける言葉
/洞田明子『洞田』(斎藤見咲子) 

本が好きな人ならば誰もが共感してしまう一首。自分の本、読んだはずの本が違う顔を見せるそのときを切り取っている。

本を/電車で、ときに/はじめて

二か所の句割れが独特のリズムを生んでいる。

いちにちの最もながき階(きざはし)を人は昇れり駅という朝
/洞田明子『洞田』(大平千賀) 

通勤の朝を階段の長さに感じている主体が丁寧に描かれている。視点の変化を、四句で切って「駅という朝」という結句で歌いなおしているのがよい。「きざはし」という言葉に重みが感じられる。

四桁の切符の数字たしながらひきながらわりながらなほ待つ
/洞田明子『洞田』(千住四季)

切符を券売機で買って、印字された四桁の数字を組み合わせるという行為にノスタルジーを感じてしまう。「かける」ではなく「わる」を持ってきているのが、待つ時間のあてどなさを巧みに表現している。

改めて、「駅」という題に対して、多くの素敵な歌をまとめてくださった洞田明子の皆さまと、太朗のお二方に感謝です。

図らずも、批評会という場を通して、「私とは」「成りかわりとは」「仮名遣い」とはといった、なかなか正面から考えにくいテーマを考えることができました。

斉藤さん、阿波野さん、大辻さん、花山さんの刺激的な議論を聞くことができたことも、スリリングな体験でした。

拙いながら、『洞田』を読み直した記録です。お時間のある方は下記も合わせて読んでくださると嬉しいです。感想などあればおきかせください。どうぞよろしくお願いいたします。

『洞田』批評会に参加しました。(1) - 太田青磁の日記

『洞田』批評会に参加しました。(2) - 太田青磁の日記

『洞田』批評会に参加しました。(3) - 太田青磁の日記

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『洞田』批評会に参加しました。(3)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

前回からすこし時間があいてしまいましたが引き続き、『洞田』を読んでいきます。

Ⅰ部・Ⅱ部はこちらから

『洞田』批評会に参加しました。(1) - 太田青磁の日記

『洞田』批評会に参加しました。(2) - 太田青磁の日記

 

■Ⅲ部(主に文語旧仮名)

阿波野さん:文体的に短歌に馴染んだ「洞田」が東京・大阪の往還の中で富士(=駿河/戸綿)のことを思う。
大辻さん:文体・修辞の「私」。人の体温を感じる。
花山さん:意味性が後退する。動詞によってバックグラウンドの「私性」を立たせる。 短歌が共有する私。

【富士】

冒頭の一首、車窓に富士を見る。Ⅱ部の【静岡】を受けるような導入。

「大阪」郷愁を誘う歌が並ぶ。リフレインやどこか欠落感のある文体。

「東京」雨や傘をモチーフとした歌が並ぶ。父のイメージ。

「大阪」駅や電車を動きとして描いている。母のイメージ。

「東京」ひかりをイメージして少し明るくなる。富士へのアンビバレントな思い。

「大阪」日の入る、火、待つ、耐える。夏の思いへの追想。

「静岡」父母ではなくきみとわれの世界。「洞田」はひとりではない。

Ⅲ部は文語旧仮名で、一首一首が際立つというよりは、大阪に母を、東京に父を、静岡に戸綿を思い起こさせるようにまとめられている。詞書は地名のみであり、歌を歌として自然に連が作られている。

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ここまで、Ⅰ部からⅢ部の構成を、主にタイトルと詞書から受ける感想を述べた。批評会当日、また事後のタイムラインなどで、いくつかの論点があったと思うので簡単に振り返る。

①「洞田」はひとりの人格なのか。

②「洞田」と「戸綿」の関係性はどうなのか。

③主に仮名遣いの違いで章を構成しているが、どのような効果があるのか。

何かの論拠をみつけだして、こうだと言い切るのはむずかしいが、わたしなりに読んだ感想を記しておく。


①「洞田」はひとりの人格なのか。

100名以上の不特定多数の投稿歌の主体をひとりに決めてしまうというのは、さすがに無理があると思う。一人称の表現(わたし、母、わたくし、わたしたち……)は無数にあり、三人称的な歌もいくつも交じる。「洞田」が見聞きしたものとして、引きの視点を意識した方が読みやすいと感じた。結局、「洞田明子」歌集という装丁でなければ、この歌集をひとりの作品と捉えることはどうしてもむずかしい。

 


②「洞田」と「戸綿」の関係性はどうなのか。

土佐日記「をとこもすなる日記といふものを をむなもしてみんとてするなり」
戸綿日記「洞田(をんな)もすなる短歌といふものを、戸綿(をとこ)もしてみむとするなり」 

男性が女性の文体を借りた『土佐日記』とはジェンダーの逆転があり、「洞田」が「戸綿の目線」になりかわって作品を作っていると読むことができるのだと思う。(石川美南さんも同様の見解を持たれていたようである)

「戸綿日記」の冒頭、「続戸綿日記」の終わりに旧仮名の歌が出てくるのは、この間がフィクション(洞田の脳内世界)とも取れるのではないか。

戸綿日記の「冬」が一首だけ、というのは冒頭の歌と呼応しているのではないだろうか。

視点の変化による構成をイメージしてみた。

Ⅰ部【ほんとうは】
洞田が、自身の過去を回想している。

【戸綿日記】
洞田が、「戸綿の視点で」ふたりの出会いと別れの予感を想像している。

【黄色い線の内側】
洞田が、「戸綿の目に映ったであろう洞田」を回想している。

【続戸綿日記】
洞田が、「戸綿の視点で」洞田と別れたのちの戸綿の姿を想像している。

Ⅱ部
洞田が、いくつかの自分のルーツに関わることを思い起こしている。

Ⅲ部
洞田が、文体を変えてゆったりと父母や昔の恋人のことを懐かしんでいる。

強引に設定を置けば、「洞田」と「戸綿」は入れ子構造になっていると読むことができる。そうするとあまり雄々しくない言葉遣いや、紀行詠が緻密でないことも説明がつかなくはない。伏線の回収のタイミングも、プロット上に置いたのであれば、成否はともかくとしてチャレンジと取れるのではないだろうか。

もちろん、太朗が「洞田」と「戸綿」を並列的に登場させていると読むことも可能なのだが、あくまでも「洞田明子」歌集であり、「戸綿」は「洞田」との関係性によって生み出された「なりかわりの人物」として捉えるのがよいのではないだろうか。詞書やストーリー展開からも、こちらの説を持ちたい。

 

③主に仮名遣いの違いで章を構成しているが、どのような効果があるのか。

明確に旧仮名遣いの歌とそうでない歌(新仮名および表記の差がない歌)を分けるのは、それほどむずかしくはないだろう。だが、明確に新仮名遣いの歌とそうでない歌を分けるのは相当大変だと思う。よって、明確に旧仮名の歌を用いてⅢ部を構成していつつ、キーになる歌を抜粋してⅠ部、Ⅱ部に置いたのではないだろうか。

旧仮名を使う(それを正しく使いこなす)ということは、短歌の基本的なフォーマットに乗って作品を作るというオーセンティックな方法論を意識的に選んでいるように思う。この歌集でも実験的な歌は比較的口語新仮名の歌に表れていた。

短歌のモードに従って文語や旧仮名遣いを調べながらひとつひとつの言葉を選んで作られた歌は、発想をそのまま歌にできる口語の新仮名遣いに比べると、まとまって読みやすいという意見は確かにうなずけるものであった。完成度という観点からも、Ⅲ部の粒が揃っているのは、旧仮名遣いを使いこなせる作者の作品が並んでいるからともいえるのではないか。文語でゆったりと歌うことによって、単語そのものの意味からの解放があるということは、「太朗」がⅢ部に意味的な詞書を付与していないことも、傍証となるのではないだろうか。

これは、あくまでも『洞田』の作品中の比較であって、一般的な仮名遣いと文体の違いについてはより丁寧なアプローチが必要であろう。

 

まとまりのない感想となってしまいましたが、ここまでお読みくださった方に感謝です。改めてタイトルや詞書をひとつずつ見返すことができたのは、批評会のパネリストの皆さまと「太朗」のお二方のおかげだと思っています。

 どうもありがとうございました。

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『洞田』批評会に参加しました。(2)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

引き続き、『洞田』を読んでいきます。

Ⅰ部はこちら

『洞田』批評会に参加しました。(1) - 太田青磁の日記

 

■Ⅱ部(主に口語新仮名)

阿波野さん:「洞田」が就職してからの時間は流れるが、大きな物語はなく、モードの似た歌で連作を構成。
大辻さん:トポスと「私」(「祝福の鈴」「明子の明」「止まり木」)場所を立脚させ定点観測しているかのよう。
花山さん:前半から後半へ、歌の質の変化がある。成熟のごとき変化。(根本的には同じなのに)

【列】
「就職」通勤風景を描いたと思われる都会の歌で構成されている。異彩を放つ歌も含まれる。比較的息が長い一連となっている。

「大阪、伊万里筋線」中澤系のオマージュ、一字空けを使ったライトな表現の歌をまとめる。

「ネームプレートに「ヤスヨ」とある」二度目のヤスヨはさらにパワーを増している。

「東京、千代田線」戸綿への心寄せととれる雰囲気のある景を立ち上がらせる。

「母方の祖母が亡くなる」この詞書は説明的に感じる。最後の四首のうち三首も詞書がつくと、どうしても編者のストーリーに持っていかれてしまう。

【明子の明】

「母に聞いた話である」関西の駅、昭和な郷愁を感じさせる一連。

「昭和60年10月16日、阪神タイガースが二十一年ぶりにセントラル・リーグ優勝」
「一番真弓、二番北村ときて、三番バースの代わりに道頓堀川へ投げ込まれたカーネル・サンダース人形、そして父も……」
飛び込みの歌をコミカルに仕立てるための仕掛けがきいている。わかる人にはすごくわかるけれども、わからない人にはさっぱりわからないと思う。編者がいちばん楽しんだところだろう。

「明子の明は、当時の阪神の一番打者で、その後監督も務めた真弓明信の明から取ったという」ルビのある歌の個性をうまくまとめたなと感じる。

【祝福の鈴】

詞書はない。比較的ローカルな駅の抒情のある歌をあえてストーリーにのせない形でならべている。祝福の鈴ではじまり、祝福の鐘で終わる。白いホームではじまり、白木蓮と白杖で連をまとめている。

【静岡】

一首のみ。戸綿の故郷のうた。きみは戸綿を思ってなのだろうか。

【止まり木】

人生を感じる一連。死をモチーフとした歌や死を海に仮託した歌が並ぶ。

平成27年3月14日、北陸新幹線開業」
平成28年1月31日、阪堺電車上町線住吉公園駅が廃止となった」
「前日の運行日は、例によってマニアが殺到したそうだ」
後ろの二首は鉄道に詳しい作者につけられた詞書。それをうけて、日付入りで北陸新幹線が描かれる。一首だけだと弱いので、富山や柿の葉寿司など北陸の歌を集めてもよかったかも。

「こんな夢をみた」ブラックな内容をシュールにまとめるための詞書と思われる。旧仮名が一首混ざるが、海と墓のテーマが大きくここに置きたかったのだろうと思われる。

「向こう側から森山直太朗間宮祥太朗が手をつないで歩いてくる」太朗への挨拶歌。これを洞田の夢として読むのは少しつらいのではないか。

「君と旅行」前の歌からの流れとは思うが、ここはチープな印象。Ⅰ部に「日本中を旅した」とあるのでどうしても既視感を感じてしまう。

「ネームプレートに「ヤスヨ」とある」三度目のヤスヨはどうだろうか。旧仮名が入るとテイストが変わってしまう。なぜここなのか。突き抜けた感がないと物足りなく感じてしまう。

ICOCAの歌で結ばれる。やはりⅡ部のテーマは関西なのだろう。I部の終わりをSuicaにするというまとめ方もあったのではと思う。

 

Ⅲ部に続きます。

――駅に始まり、駅に終わる、洞田明子の第一歌集。231首を収録。――

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『洞田』批評会に参加しました。(1)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

2月25日に洞田明子として、『洞田』批評会に参加しました。

染野太朗さんと吉岡太朗さんが立ち上げたユニット「太朗」が、題詠「駅」を募集して、集まったすべての歌を一首も落とすことなく再構築された歌集が『洞田』です。

歌集批評会は司会に斉藤斎藤さん、パネリストに阿波野巧也さん、大辻隆弘さん、花山周子さんというとてもぜいたくな顔ぶれで開催されました。

批評会当日は、近代短歌の「私」に対する果敢な検証というテーマを深く理解できませんでした。歌集が参加型の「エンターテイメント」だと無条件に思っていたところがあったので、今回自分の感想を書くにあたり、レジュメや発表の内容をもとにして、もう一度『洞田』を読み返してみました。

 

■Ⅰ部(主に口語新仮名)

阿波野さん:「洞田」(女性)と「戸綿」(男性)が思春期に出会い、恋愛し、別れるまでが一連の主題。
大辻さん:キャラと「私」(「ほんとうは」「黄色い線の内側で」)他者との関係性における「私」(「戸綿日記」「続戸綿日記」)
花山さん:「ほんとうは」とても読みづらい。詞書/外部からのストーリー。一首一首は意味性の強い完結型。回路のチューニングが合わない

(まとまりなく長くなってしまったので、Ⅱ部以降は次回に続きます。)

 

【ほんとうは】
「洞田家に生まれる」「少しだけそのときの記憶がある」「五歳の誕生日」「母は商社勤務」文体もバラバラであり、母親の視点で書かれた歌は洞田明子の歌として読んでよいのだろうか、という疑問がある。花山さんが指摘した「チューニング」の合わない感じはしばらく続く。

「中学生」男子たち、わたくし、わたしたち、ポムポムプリンと主体がずらされていく感覚に包まれる。

「東京の高校に入学、父の家に住む」東京という地名が提示される。地下鉄をモチーフとした歌は響き合っている感じがある。

「父の書斎の宮沢賢治全集」星の駅、ミヤザワケンジ。ここは何首かまとめてストーリーを作れたと思う。

「駅で見かけたK高の制服」一首一首がつかみにくい歌が続く。詞書の間隔が短くて、編者のメッセージに分断されている印象。

「父の手ほどきを受け、はじめて作った短歌の連作「乙女の駅」」乙女という言葉を使った歌を使って、突きぬけた連作としてまとめている。大辻さんの指摘のとおり、どうみてもはじめてと思えない作品を集めているのは、意図的な諧謔があるがあまり成功していないように思える。

「K高の戸綿君と電車で話をするようになる」ここから相聞のテイストになる。

「喧嘩するときはだいたい帰る間際、いつも私の圧勝」これは説明しすぎだろう。

「三年間の日々」一転してざっくりとしたまとめになる。

「卒業、わけあって大阪に戻ることに」別離をいうために地名を出しているのではないか。

【戸綿日記】
「洞田(をんな)もすなる短歌といふものを、戸綿(をとこ)もしてみむとするなり」突然、旧仮名の歌が一首だけ提示されている。これがやりたかったというのは伝わってくるが、かなり唐突な感じを受ける。

「高校生、親の転勤で東京に来た」出会いのシーンを朝のホームから始まるストーリーにのせているのだが、文体のガチャガチャした感じはやはり気になる。

「もちろん腰に手を当てて」これは作者のつけた詞書らしい。ここに置いたのはコミカルなテイストを戸綿に持たせたかったのだろうか。

「大学生、日本中を旅した」阿波野さんが指摘していた通りざっくりとしたまとめで各地の地名を吸収している。地名が続くのであれば、配置にもう少し工夫がほしい。(自分の歌を含めて)特急が続くとやはりうるさい。渋谷と四ツ谷はここに置くのがよかったのだろうか。

「大学二年、夏」なぜ二年の夏に限定したのかはわからない。新宿、小田原、阿佐ヶ谷、高田馬場という固有名詞がぶつかっているように感じる。

「冬」一首のみ。別れの予感を提示させるが、冬はつきすぎではないか。

【黄色い線の内側で】
再び洞田の視点に戻ってくる。下の句の「黄色い線の内側で待つ」が重なった二首を連作の最初と最後に置いて、相聞テイストの似た歌を集めている印象。

横須賀線横須賀線は「冬」の逗子行きを受けているのだろう。別れの予感が実感になる。クレイジーケンバンドに「せぷてんばあ」という曲があり、失恋をした主体が横須賀線の最終で海に来ました、というのを思い起こす。

「山手線」東京にいた頃に出会いと別れがあったことを暗示させている。離別や死という重みのある歌が並ぶ。

【続戸綿日記】
ここも横須賀線から始まる。戸綿日記と続戸綿日記を同じ路線でつなぐことで、洞田の歌を回想のように見せているのではないかと思う。

「社会人」通勤風景を切り取った歌を並べている。

「ネームプレートに「ヤスヨ」とある」ここからコミカルな歌が並ぶ。この歌の主体は男性らしくないのではとの指摘があった。

「大阪出張」「大阪は洞田の生まれ故郷」コミカルな流れで、編者の作った設定を思い出させるような歌が並ぶ。

「おれの生まれ故郷は静岡」「静岡から姉が来る」もう一つの設定である戸綿の出身地が明かされる。

「花柄の傘を提げて」ようやくK高の制服の歌の伏線が回収される。さすがに引っ張りすぎな感じ。

「洞田がいまどこにいるのかはわからない」旧仮名の歌が再び出てくる。だが、最後の歌は新仮名に戻る。最後の歌の無常観を出したかったのだと思うのだがやはり仮名遣いの変化の違和感は大きく、この一首だけに絞ったほうがインパクトはあったと思う。

 

次回に続きます。

――駅に始まり、駅に終わる、洞田明子の第一歌集。231首を収録。――

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短歌人2017年3月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年3月号 会員2(太田青磁)

二〇一七年一月一日うるう秒 一秒ながく初夢をみる
十四歳五ヵ月が七十六歳の「神武以来の天才」倒す
軽やかに腕をしならすチェリストは樵(きこり)のごとく組曲を弾く
空爆を見てきたような顔をして口内炎を舌先に突く
木魚を叩く坊主のリズムが斎場全体を支配している

2017年1月号掲載の歌をSelectionに選んでいただきました。

「21じゃきついんだよね」上履きを買い替えるたび口調大人びて

関浩子さん選歌をありがとうございました。

 

短歌の感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

柴田葵「生活をする」を読みました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。
柴田葵さんの歌壇賞応募作「生活をする」30首にを4名の評者が書いた評が、ネットプリントで配信されました。
それぞれの違う角度から寄せられた評は読みごたえがあり、楽しく読むことができました。
せっかくなので、わたし自身も拙いながら、一連を読んだ感想を記しておこうと思います。

いずれにしても私の席は無いのだと四角から成るビル群を見る(1) 

 ビジネス街を外から俯瞰するような視点である。席は無いことを自覚するということは、ある種の諦念があるようで、違う生き方を選択するということを選んだことが一連に読者をひきつけるようでもある。

旧姓の印鑑は保存するべきか 土に埋めたら何か生えそう(2)

 旧姓のもつどこかウェットな感覚が「何か生えそう」というユニークな視点を見せてくれる。一首目と対になる社会と家庭の対比はややステレオタイプな印象もある。

大空のような男に「ついてきて欲しい」と言われ 私が女(5)

 私が女という結句に主体の矜持が垣間見える。配偶者を大空のようであり、ついてきて欲しいという願いを受け入れることを選んだという決して流されているだけではないと主張しているようでもある。

正円の小皿を濯ぐ細い水 流れるように明日ここを発つ(6)

 この一連で、主体の感性が最も表れている印象を持った。様々な葛藤はあるのだろうが、あくまでも水のように自分を処するということはなかなかできないことであろう。配偶者に対する信頼と新たな世界への好奇心が、きれいに描かれている。

 3首目の魚類のリフレイン、4首目のヒカリモノである鯵の描写は表現としてはユニークながら、新たな世界に対する現実の世界を描くには少し散漫な印象を受ける。7首目から10首目の母との別れの歌も、回想と予感という時系列の見えなさに戸惑う。9首目「夜夜中(よるよなか)」には工夫はあるものの「予感が曇る」は読者を混乱させている。

腰掛けた姿勢のままで九時間飛んでいく私の下にひろびろと青(11)
グッモーニンカリフォルニア! 寝室の窓を壊して刺し込む光(12)
アメリカの広くて広いアパートの洗濯機動かないじゃんかもう(13) 

 日本を離れ、アメリカ西海岸へと舞台が移る。「ひろびろと青」「刺し込む光」からは配偶者の「大空のような男」のイメージと重なるようである。細い水の世界とは明らかに異なる解放感がある。だからこそ、生活という観点でのおおらかさといい加減さは、繊細な主体にとっての違和を伝えるようである。

破かれるための包装紙きらきらひとまき三ドルふたまき五ドル(16)

 微妙にリズムを崩しながら、包装紙というつかの間のきらめきを表現している。具体的な数字も光るが、実際は違っても「ひとまき二ドルふたまき五ドル」など下句の韻律を定型にはめると上句の句跨りがより効果的になるのではと感じた。

 14首目(鳩が汚い)18首目「鳩の集団に加えてもらえず」19首目「悲しい獣になりたい」「象はだめ」20首目「電線をリスが齧って」21首目「揺れる蜘蛛」と生き物に自分の気持ちを投影している歌が中盤に並ぶ。外国でのコミュニティに対する違和感は、ものを言わぬ生き物へのまなざしに向けられるようである。

不意に你好と言われて曖昧に会釈するだって日本人だし(20)

 この歌に込められた感情をテキストから読み解くのは難しい。当然、欧米人からアジア人の国籍を正確に把握するのは難しいから、最も多いであろう中国人と誤解して挨拶をしてきたシチュエーションであろう。ここでの対応は、いかにも日本人らしいとも言える。アイデンティティをことさらに主張しない生き方は「細い水」の精神にも通じるものがあるのかもしれない。

あの友は私の心に生きていて実際小田原でも生きている(22)

 突如、日本に住む旧友に思いを馳せる。21首目で住所や名字が変わる人々を思ったなかの一人でもあるのだろう。小田原は具体的であるが、関係性が見えないことで、祖国に住む友人を案じるのはどうしてなのだろうか、23首目の回想もあの友との記憶なのだと読めるのだが、場面転換は少し強引に感じた。

きっぱりと異国の空に塞がれて地べたを見ればいきものの影(24)

 異国での閉塞感を強く表現している歌で、一連のなかでも良いと感じる歌である。異国の空は大空のような男でもあるだろう。いきものの影は一連に出てくる動物たちを思い起こさせる。

麦笛のその空洞のおおらかさ これから先も生活をする(28)

 タイトルを背負った一首である。意欲は伝わってくるものの「その空洞」がどうしてもわからない。閉塞感を打ち破る何かが起こったのか、それでも生活をするという覚悟を決める心境の変化があったのか、ここはクリアに決めてほしいと願うのは読者の勝手な思いなのかもしれない。

幾人も私の内に住まわせて、いいの、全部を連れていくから(30)

 そして、すべてを受け止め切った形で一連は終わる。幾人は誰なのか、全部は何を指しているのか、連れていくのはどこへなのか、疑問は残されたままである。「私の内に」は10首目の「新しい命を宿している」を回収しているととることもできるが、異国の空に塞がれた主体と配偶者の関係が描かれていないのは、どうにも落ち着きがないように感じた。

 14首目の「誰からも嫌われない」、21首目の「誰それ」のリフレイン、26首目の「誰か」27首目の「選ぶ」「選ばない」「何か」と大事なことを言わないという作品の作り方は疑問が積み重なってしまい読み進めるのに苦労した。なかなか作中世界に入り込めなかったのは、性別の問題なのか、経験の違いによるものなのか、否定形の多用なのか、それとも抽象的な表現がリアリティを結ばないからなのか。どうにも評価を定められない感じが残ってしまいこのようなまとめ方になってしまったのは、読みの経験が浅いからゆえにご寛恕いただきたい。

 国際結婚での(もしくは海外に赴任する配偶者との)海外生活が織りなす希望と違和というテーマ設定は非常にユニークで面白く感じた。「生活をする」というタイトルも前向きが伝わってきて、ひとつひとつのエピソードにも細かいところを観察する主体の心の動きが感じられた。表現の工夫も随所にあって力量を感じる連作であったと思う。

 30首をまとめたことのないわたしの感想は一方的なところも多々あると思うし、読みの実力のなさが作者の意図を十分にくみ取れ切れなかった大きな原因でもあると思う。4名の評者の方の意見に賛成するところもあれば、自分とはスタンスが違うなと思うことも、そういう風にも捉えられるんだ、と思うところも多々あった。

 あかみさんの評のポイントを押さえたまとめ方はわかりやすく「アメリカの人々より母や小田原に生きる友と、迷いなく日本の方へ軍配をあげている」という評価や「最後三首の感情の上向きがすこし唐突なように感じてしまった」はまさにその通りとひざを打つように感じた。

 うにがわえりもさんの分析的な読み方はまさにそうだよね、と思いながら読んだ。2首目、6首目の評価は全く同感で、前半の読みはかなり重なっていた。中盤の不安や憤り、諦めはわたしも重要なモチーフであると感じた。ラストのまとめ方は少し意見の違うところもあったが、30首の構成の組み方に対する着眼がさすがだなと感じた。

 椛沢知世さんは、生きることの逃れられなさを正面から捉えて等身大の主体を評価している。女性としての細やかな感覚は14首目の受動態に対する反転性を指摘している。20首目の日本人としてではなく、個人としての生き方を歌うべきという指摘は的を射ており、純粋にほめるだけではない批評として成立している。

 山城周さんは、作品のストーリーを受け入れながら、ジェンダー論として読み応えがあった。あえて(書いていてつらい)と本音を挟みつつ、また日本人のアイデンティティにも触れていて、自分自身の読みの甘さを突きつけられるようにも感じた。会話体の持つ韻律感については、大きな示唆をいただいたように思う。

 改めて、皆さんの評と重なるところもあり、異なるところもあり、読みの数だけ歌の幅が広がるという経験を感じる機会でもあった。この企画によって、いずれわたしも30首の連絡を作りたいというモチベーションが高まったのは事実です。

柴田葵さんと4名の評者の方に改めて御礼を申し上げます。

第10回現代の歌人を読む会を開催しました(大塚寅彦さん、大辻隆弘さん)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

現代の歌人を読む会もついに二桁の回数を開催しました。参加してくださる人がいてくれてこその読書会なのですが、皆さんの鑑賞を聞きあいながら、読みが拡がり深まっていくのが楽しいです。

今回の歌人は大塚寅彦さんと大辻隆弘さんです。

まずは、大塚寅彦さん。

聴診器もてみづからの心音を聞きゐる医師のごとき深秋

マンションの窓モザイクに灯る夕(ゆふ)家庭とはつひに解き得ぬパズル

生きのびてその彩(いろ)ふかし朝の湯の蹌踉たる老人(おいびと)の刺青

一首目、四句までのすべての言葉が結句の比喩として深秋にかかる。深秋のもつ内省的な世界観が孤独な医師の姿として描かれる。「聴診器」「心音」「医師」「深秋」と繰り返されるシの音は「死」のイメージとも重なり、深みを持って伝わってくる。

二首目、マンションを眺めた景を窓のモザイクと切り取っている。部屋の灯りの有無や色味をパズルに喩えているのも面白い。二句の句割れ、三句の切れと音としてもパズルのようにも聞こえる。個々の家庭の問題は解き得ないという感慨が「ついに」にある。

三首目、湯上りの老人の刺青をあざやかに捉えている。蹌踉たるという形容動詞が際立っているが、老人と作者の関係は明かされることはない。いろ、おいびと、とルビで読みを限定しているが、刺青はシセイともイレズミとも読めるのも技巧なのだろうか。

続いて、大辻隆弘さん

あけがたは耳さむく聴く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ

受話器まだてのひらに重かりしころその漆黒は声に曇りき

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき

一首目、 雨だれのオノマトペから、カンボジアの恐怖政治家の名前を引き出している。耳さむくは実景ともとれるが、ポル・ポトの事件を耳にした主体が心を冷たくしているのではないかと読むこともできるのかも。あけがた、雨だれの頭韻も静かに響く。

二首目、黒電話の触感そして漆黒の色が重さを伝えて来る。まだ重かりしころという幅のある時間を、声に曇りきと限定しているところにフォーカスが絞られていく。触覚、視覚、聴覚と五感に訴えてくる。主体の吐く息の熱量まで感じられるようだ。

三首目、アメリカに対する日本人の持つ屈折した感覚を濾過したような思いが伝わってくる。「原爆の図」のアンチテーゼを「壮快よ」と透徹に問題提起をしており、読み手の覚悟が求められる。テロリストの視点から読むこともできるのではという意見もあった。

 

「美意識」をどのように表現するのかという観点で、「中部短歌」と「未来」、春日井建と岡井隆の影響の違いをも感じる会となりました。大塚さんの「死」の歌と大辻さんの「雨」の歌に注目して、もう一段ふかく読み進めてみたくなりました。

次回は、小塩卓哉さんと谷岡亜紀さんの歌を読みます。どうぞよろしくお願いいたします。

現代の歌人140

現代の歌人140

 

 

短歌人2017年2月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2017年2月号 会員2(太田青磁)

お客様の社屋に通う お客様の社食に通う またしても朝
日付だけ更新されるスケジュール 動く歩道を逆に走って
先月も先々月も協定に決められた通り残業しました
眠剤をバーボンロックで流しこむたかぶる脳を鎮めるために
眠れない夜を数える 眠らない夜を数える 闇の中にひとり

 2017年2月号には落とされていたのですが、同じモチーフで作った歌が歌会記に乗りました。

会社など燃えてしまえばいいのだと皇居の淵にカルガモの列

 上の句の心境と結句の取り合わせが面白い。

浪江まき子さん評をありがとうございました。

 

短歌の感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

『66』を読みました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

昨年出版された、超結社の同人誌『66』を紹介します。

66は、様々な結社に属する女性歌人の相互研鑽の場として発生した「六月六日の歌会」が発展したものをまとめられた冊子です。

発表作品、合評、題詠歌会の詠草となっています。まずは作品15首よりそれぞれ3首を。

ゆふがほの蔓伸び続けつやつやと育ついのちの太さを持てり
ガリレオ温度計われのうちなるガラス玉沈んでゐたり秋は遠くて
生クリームを盛り上げてゐるカウンターに「アイス・ラテ三つ」の注文をせり
/晩夏『66』浦河奈々 

二首目、初句の大胆な字余りはガの頭韻に回収され、結句の距離を導く。

黙しつつなにかを見つめているような秋の朝顔こちらを向けり
秋陽さす部屋に五本の刃を並べ父はしづかに包丁を研ぐ
御茶ノ水駅のカーブに差し掛かる心が軋むのを感じつつ
/紺色のベスト『66』遠藤由季

三首目、カーブの体感覚を心の軋みに巧みに重ねている。カ行の韻律も心情を屹立させる。

夜たつた一人で歩くこの道を知つてゐるつひに暗渠のままの
底知れぬ森に時折見失ふ夫はけふも裸足のままで
けふどこで傷ついたのか穿きかへて脱ぎ捨ててゆくナイロンの脚
/筐体『66』岸野亜紗子 

一連に不安な自己と向きあう主体の矜持を感じる。三首目、ナイロンの脚と言い切った比喩が巧み。

ほそく鳴く猫を呼びよせ抱き上げるために伸ばした腕までが夢
マタニティマークを揺らす足早のひとに抜かれし坂の途中に
鍋底に粉ふく芋をつぶしつつドヴォルザークのあかるさを聴く
/地に種を『66』後藤由紀恵

ゆったりとした豊穣な時間を感じさせる歌が並ぶ。ドヴォルザークは8番だろうか。

広辞苑よりかさりと落つる押し花の紅褪せて思い出せぬ春の日
ひらきはじめのはなびらにしわあることの羞しさに木蓮は沈思す
ふくしまの子ども、すなわち漉きあがり初夏のひかりに濡れている和紙
/天心『66』齋藤芳生 

二首目、ゆったりとひらかれたひらがなにより木蓮の羞と沈思黙考が浮かぶ。

日付ありし葉書の文字はそのかみの暗緑のいろ滲みゐるやう
降り出でし雨をおそれてうつしみは駆け去りゆけり犬のごとくに
しろがねに芒充ちたりみちのへに刈るひとなくて秋をありたり
/銀芒『66』高木佳子 

一首目、初句の字余りに時間の経過を暗緑色の滲みには差出人への静謐な思いを感じる。

水をかく腕の確かさ今日よりも明日を信じる心はあらず
こころなるやっかいなもの抱えたる生物の呼気なまあたたかし
ぺージから煙草の匂いこぼれきて人より人の記憶が痛む
/どんぐりたち『66』鶴田伊津 

三首目、痛みを呼び起こす煙草の匂いと在りし日の記憶は深いところで結びついているのだ。

うす蒼き静脈透けるまぶたもち少女はねむるはつ秋の繭
わたくしを脱出できないたましいは公孫樹黄葉をひたすらに恋う
みどりごの眉を残してしんけんに朝の髪梳くわがプラタナス
プラタナス『66』富田睦子 

一首目、繭に眠る少女の姿に自らの少女時代を重ねるような丁寧で優しい眼差しがある。

熊を狩る犬でありしを長く飼う庭にうつむき水を飲みおり
黒髪のごとくうねりて満ちてくる夜のほとりにきみとたちおり
丸薬の白ふくみつつまなぬるき水を飲みたり本番の朝
/まぼろしの舟『66』錦見映理子 

一首目、猟犬の鋭さは長き時を経て穏やかになるのか。水を飲む愛犬への視線がやさしい。

アクリルの小さき籠に透けていし鈴虫 書店の景品として
深更の籠をひらきて霧吹きに潤ばしめたり土と羽とを
長月の長雨のはざま庭なかの何処とも知れぬ鈴の音を聞く
/脚の一本『66』沼尻つた子 

鈴虫がユニークな一連。長月の長雨のリフレインが心地よい。何処は余らせてもいずこと読みたい。

学生の頃の時間の底をかき混ぜてひと夜に垂らしてみたし
墨の筆浸けたるような空のあり関ヶ原越えゆく一人旅
もたないと思いつつする仕事あり 朝ひらきたる萩がゆれている
/半透明の馬『66』山内頌子 

一首目、混沌とした時間が句跨がりのリズムに引き立され思わず学生時代の景色が浮かぶ。

わが神は藤紫の鉄耀を四肢へ施す創造の日に
睡魔へと差し出す命、C4H10FO2P 耳骨に雪踏む音の響くころには
戦場に打ち立つ旗を引き剥がし旗の数だけ止血するなら
/萬骨枯『66』玲はる名 

二首目、サリンの化学式が表すものは何だろうか。睡魔、差し出す、雪踏む音の連想があるのか。

後半は、座談会として各自が持ち寄った一首を相互鑑賞するパートに続きます。

葛原妙子さんの歌、江戸雪さん、大森静佳さんの鑑賞を興味深く読みました。引用したい内容もたくさんあるのですが、まずは掲出歌を自分なりに読むところから始めようと思います。

結社誌でも総合誌でもない読み応えのある同人誌にも注目していきたいです。