太田青磁の日記

There's no 'if' in life… こんにちは、短歌人の太田青磁です。

第9回現代の歌人を読む会を開催しました(穂村弘さん、林和清さん)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

第9回現代の歌人を読む会を開催しました。この読書会も多くの方に参加いただきながら一年が経ちました。

今回の歌人穂村弘さんと林和清さんです。「かばん」と「玲瓏」のお二方の歌を7人で味わうように読みました。

まずは、穂村弘さん。

はんだごてまにあとなった恋人のくちにおしこむ春の野いちご

ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。

おやすみ、ほむほむ。LOVE(いままみの中にあるそういう優しいちからの全て)。

一首目、「はんだごて」はわかるけれど「はんだごてまにあ」とはなんだろうかと。このひらがなの使い方が穂村弘の世界であるのかもしれない。「春の野いちご」との圧倒的な意味の飛び方を、語感の近さで着地させる技は真似したくてもできないだろう。

二首目、なめらかな韻律にのせて「ハロー 【名詞】。」の組合せを三回繰り返すコピーのような文体。夜、静かな霜柱、カップヌードルの海老たちのつながりは明示されませんが、どことなくひんやりとした孤独が伝わってくる。

三首目、「ほむほむ」へのメッセージという形式ではあるが、この名称を自分の作品中で登場させるのはやはり凄い。初句が「おやすみ、ほむほむ。」そして、二句目の句割れから括弧のなかへアクロバティックに展開してゆくLOVEの強さがひかる。

 

続いて、林和清さんです。

淡雪にいたくしづもるわが家近く御所といふふかきふかき闇あり

いつぽんの桜の不安が桜へと伝染してゆくやがて爛漫

参道に玉砂利を踏むこの石のいくつかはかつて誰かの眼球

一首目、しづもるは、静まる(鎮まる)の意と取れるが、雪が静かに積もるようなイメージを想起させ、静謐な印象がある。ふかきふかきのリフレインに加えて、三句・四句と続く字余りが、雪が降る時間と御所の持つ歴史の流れを感じさせるようだ。

二首目、桜のつぼみから結句の爛漫に至る時間が映像ようにのイメージできる。いつぽんはソメイヨシノのクローンが各地に伝わる感じであろうか。「いつぽん」「不安」「伝染」「爛漫」と「ン」の脚韻も美しく響く。

三首目、玉砂利を踏む瞬間のわずかに沈む体感覚を、眼球を踏むという非現実的なイメージに回収している。三句以下、「いくつかは」「かつて誰かの」という曖昧なぼやかせ方が、カ行音の連なりと相まって目に見えない怖さを湿り気なく伝えて来る。

 

対称的な作風ではあるものの、同じ年に生まれた二人の歌人のそれぞれに透明感のある世界観を感じる貴重な機会でした。

現代の歌人のアンソロジーを読みはじめて1年が経ちました。巻末から歴史を遡るように、少しずつ年上の歌人に出会うのが楽しく、毎回新しい発見があります。塔、短歌人、心の花、コスモス、かりん、未來、かばん、玲瓏、と結社や同人の持つエネルギーに触れることができるのも大きな収穫です。

次回は、大塚寅彦さんと大辻隆弘さんの歌を読みます。どうぞよろしくお願いいたします。

現代の歌人140

現代の歌人140

 

 

2016年自選五首

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

2016年に発表した歌から、五首を紹介します。

 原発を再稼働します 防災は各自治体にお任せします

/短歌人2016年5月号

社会詠をしておかなければという思いが先走っている感じでした。結社の方に好意的な評をいただき励みになった歌でした。

午後五時にドボルザークを口ずさむ 帰れる家のあるあたたかさ
/うたの日2016年6月11日「17時」

うたの日が5ルームになった日の最初の薔薇です。のちに「濁音」でこの歌を思い出してくださった方がいたのもうれしかったです。

ティンパニをかかえて降りる階段が最初の試練 コンクールの朝
/2016年7月24日うたの日「階段」

うたの日で初めての秀歌でした。岩手県にある中学校の黒板に吹奏楽部への応援メッセージとして書いていただいた歌です。

居留地にテニスボールの音はずむ山手の丘を風吹きぬけて
/短歌人2016年8月号

結社の吟行で横浜を訪れたときに作った歌です。日本テニス発祥の地にて在りし日を思う歌は、現地に行かなければできなかったと思います。

夕暮れのスカイツリーはあでやかにうす紫のひかりこぼせり
/短歌人2016年11月号

個人的にお気に入りの叙景歌です。スカイツリーは毎日のように見ているのですが、時々見とれてしまうことがあります。

 

今年は足元を固めるのがせいいっぱいでなかなか媒体への投稿ができずにおりましたが、来年はもう少し活動の場を拡げていきたいと思っています。

瀬戸際レモン(蒼井杏)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

少しずつブックレビューのような記事もはじめていきたいと思っています。

今回は蒼井杏さんの『瀬戸際レモン』を紹介します。

蒼井さんは第6回中城ふみ子賞受賞、第57回短歌研究新人賞佳作、と輝かしい経歴を持ち、満を持して第一歌集を上梓されました。未来彗星集という綺羅星が集まる欄にて、独特の対象との距離感や繊細な観察眼を軽やかなリズムに乗せて歌っている印象を受けます。

まずは表題ともいえる「檸檬」との関係性から。

リプトンをカップにしずめてゆっくりと振り子のように記憶をゆらす
レモンパイなど食べながら わかってる もう檸檬には戻れないこと
てのひらの心臓としてくるむレモンふりさけ見てもため池がない
ここがたぶん瀬戸際でしたゆっくりとレモンの回転している紅茶
いちまいのきおくのたどりつくとこ瀬戸際レモン明るんでゆく 

レモンの出てくる歌には、レモンティをゆったりと淹れるイメージと、追い詰められた瀬戸際でも自分を失わず、酸いも甘いも受け入れるのだという、矜持のようなものが合わせて伝わってきます。

なんといってもこの歌集は、詩歌のもつリズムを感じる歌が随所にあって、目で読んでも口ずさんでも心地よさが感じられるところがとても好きだなあと感じます。

ひとりでに落ちてくる水 れん びん れん びん たぶんひとりでほろんでいくの
18-10 STAINLESS STEEL JAPANの字を見ているわたしをみつめているスプーン 
あたしもうだめかも なんて かめパンの首・尾・手・足 順番にもぐ
とらんぽりん ぽりんとこおりをかむように月からふってくるのだこどくは
あぶらぜみかたぶらぜみととなえつつ駅で時計をさがしています

 一首目の「れん びん れん びん」はここだけ楽譜の繰り返し記号がついているようなゆったりとした時間を、四首目は、とらんぽりんに飛び込んだ主体が半分だけ跳ね返ってくる様子が、こおりをかむ音のイメージに回収されていてとても好きな歌です。下句の「ふってくるのだこどくは」という箴言のような物言いも好きです。

そして、主に冒頭の一連「空壜流し」から、繊細な自己を、硬質なイメージによる外界と距離を感じさせる壜もモチーフとして大きな意味があるようです。

音のない夢でした透明な唇つめて空壜ながす 
君を見た。すべての音を飲み干して空壜になる駅コンコース。 
空壜が笛になるまでくちびるをすぼめるこれはさみしいときのド
百色の色鉛筆を窓際の空壜に活ける ここは春の森
地球壜の画像をさがすわたくしはむかしあるところかたまりでした

三首目の壜をフルートのように吹く主体のひとり遊びのような感覚と出てきた音を音階で聴き分けて、さびしいときのドと感情を音程に語らせるのが巧みです。五首目は地球壜というボトルシップのようなものでしょうか。なにか自分と地球のサイズ感が入れかわるような不思議な感覚があります。 

そして、「多肉少女と雨」の連作で執拗に繰り返される結句の「読点+雨」

ピーターの絵本のように函入りの記憶がありますひもとけば、雨
はなびらをうまく散らせぬ木があってもう少しだけ見ています、雨
8Fのシネマフロアの自動ドア開けば空中庭園は、雨
七色のボールペンには七本のばねがあるのでしょうね、雨
この人はもういないのだと思いつつあとがき読めば縦書きは、雨。

一首目、雨の日に幼いころの記憶を追想するかのひととき。函入りの絵本は宝物のようだったのでしょう。四首目、リフレインを使って細かいところ細かく歌っていながら、結句の字足らずがリズムを巻き取るようで好きです。五首目、下の句のあとがき、縦書きと迫りながら、最後に置いた句点が歌そのもの、そして一連を物語るかのようです。

このほかにも、体感覚に訴える歌、とくに足先や鼻といった、詩情から一歩離れた部位に対する執着のような感覚もひかります。

靴下の穴からのぞく親指のようにわたしをはみだしてゆく
おおいなるわすれたいことかさぶたをひざ折り曲げてはがしています 
だってもう消えたい湯ぶねの靴下のゴムのあとをたどって
ものすごく鼻がかゆくて部屋中の時計を三分進めています
に、してもひざにだれかの耳をのせ穴をのぞいてみたい夜長だ

そして、表記を大胆に使った実験的な作品

本だなの/ななめの本を/いつの日か/ここに    ///おさまる本のあること

コンタクトレンズ)をこする)あのひとが)きらい)だとかもう)言えない)のです。

スラッシュの歌は、スペースをもっと韻律に乗せて、「おさまる」を言わずに語らせるやり方もあったのかもしれません。少し下句が流れてしまった印象です。コンタクトの歌はやはり縦書きで読んでほしいのですが、ブツ切れの感じが、主体を守るバリアのような感じがあっていいなと思いました。

主体は自分の生き方(一人の世界)を割と肯定的に捉えつつも、世界との距離感をうまくつかんでいて、その観察眼が詩的跳躍を生んでいるのだなと気づかされます。

こんなにもわたしなんにもできなくて饂飩に一味をふりかけている 
でもきっとなにもしないのがいいのでしょう くつひもほどくどんどんほどく
おめでとうございましたの帰り道いちばん上までファスナーあげて 
わたくしをほうっておいてくれましたあしたの日記のように雨だれ 

 一首目、髙瀬一志さんの〈うどんやの饂飩の文字が混沌になるまでを酔う〉という歌をイメージしました。うどんのもつやわらかさにはどこか許されてしまう感じがあります。四首目も雨の歌なのですが、雨が降っていることによって、ひとりの時間がかえっていとおしさを感じるようでもあり、「あした」「雨だれ」と続くことで、どこか救われるような印象があります。

 駆け足気味でしたが、内面と外界の境界にあるはずの何かを感じさせてくれる一冊です。

瀬戸際レモン (新鋭短歌シリーズ27)

瀬戸際レモン (新鋭短歌シリーズ27)

 

 

文さんのブログで短歌が紹介されました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

文さんのブログ「f_blue な日々」にて、私の短歌が紹介されました。

眼の遠くなりし上司に頼まれて細かなメモの文字音読す(太田青磁)

fumikohblue.at.webry.info

 

文さん、ありがとうございました。

一歌談欒 vol.3(笹井宏之「まちがえて図書館を建てたい」追記しました)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

各自が自分のメディアで一首評をする「一歌談欒」の3回目です。今回は笹井博之さんの透明感にあふれる歌を取り上げます。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
/笹井宏之『ひとさらい』(『えーえんとくちから』)  

平明な言葉遣いで、意味の分からない言葉はまったくない。「軍手」「売って」「暮らしたい」「図書館」「建てたい」とたたみかけるタ行の音のつながりが、軽やかな韻律を伴ってすうっと心に入ってくる。

また、願望の「~たい」が上句、下句の対句を示しており構造としてもしっかりとバランスを持ってくみ上げられている。

しかし、なんといっても「まちがえて」をどのように取るのかが、この歌を解釈するうえで欠かせない論点になるのであろう。

ひとつめは軍手を売るというささやかな生活を繰り返して、ためたお金を好きなものに一気に投入ずるという無謀な試みこそが「まちがえて」で、図書館を建てるという本当の願望を手に入れたいということが考えられる。

もうひとつは、ほんとはしたくない軍手売りをしつつも、心の中の真の願望は図書館を建てることにあるのだという、逆転の視野をイメージづけるための反語のように「軍手を売って暮らしたい」を「まちがえて」と捉えることもできるであろう。

 

軍手は作業用の手袋というイメージが強いが、もとは「軍用手袋」が縮まったもので、「軍手を売る」という行為は、ある意味で軍需産業に身を投じるというメタファーにもとれる。

一方、図書館は知の集積であり、文芸に身を置く者であれば、やはり自ら本を集め、コレクションした蔵書を何らかの形で、社会に還元したいという気持ちもよく分かるのだ。

 

実はこの歌を読んだとき、頭の中によぎった考えは、憲法第22条であった。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

また、憲法第25条の条文も同じく浮かんできた。

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

この一首を取り上げて、笹井の歌を無理に社会詠と決めつけるのは暴論だと思う。病床の笹井が、日常生活もままならぬ中で、仕事というものに目を向けていたのだと思うと切なさでいっぱいになる。また、歌集を通して読むと、韻律を突き詰めたことによる意味上の跳躍は、数えきれないほど出てくるのだ。しかし、笹井の本心が「図書館を建てたい」に力点が置かれているのだとしたら、彼自身の内面にある、書物への敬意をできるだけ汲みとって鑑賞したいと思うのである。

 

意味よりも音の調べや、言葉の衝突が生みだす不思議でたおやかで透明な世界に、短歌をはじめたばかりの私は魅了された。彼の歌集がなければ、 口語短歌の可能性に気がつかずに短歌から離れていたかも知れなかったとも思う。あらためて追悼の想いに変えたい。

 

追記(2016/12/18)

大辻隆弘さんの歌論集『近代短歌の範型』にて、この歌が引用されているのを読んだ。三つの「私」と称された、私論(わたくしろん)をテーマに近代と現代短歌を比較して論じている稿である。

大辻は、 短歌の私性には3つの要素があると解説している。

①…一首の背後に感じられる「私」(=「視点の定点」「作中主体」)
②…連作・歌集の背後に感じられる「私」(=「私像」)
③…現実の生を生きる生身の「私」(=「作者」)

笹井の歌は「私①」への興味だけが突出し、「私②」「私③」にはほとんど興味を示さない。

とあるが、これはほんとうにそうなのだろうか。笹井の作る短歌の透明性、内面世界を巧みに計算された韻律に乗せて作られたしなやかな広く文体が受け入れられたのは、決して一首一首が個別に突出して評価されたのではなく、笹井の歌の持つ世界観を作る文体、つまり笹井自身の私像を確固として受け止めながら、歌集の多くの歌に魅了されたのではないかと思う。

作者の笹井が、病と向き合う自らをモチーフとして作品をを作る「私③」のタイプの歌人ではなかったというのは、晩年の笹井を知らない私には評価することはできないが、事実そうだったのだろうと思う。しかしながら、必ずしも「私②」がひとりの人格であるとは言えないのを承知の上で、残された3冊の歌集と1冊のアンソロジーからは、「笹井宏之」という作者が作る、透明感にあふれる「私②」の世界を「私①」切り離すことはできないのではないかと考えている。

一首一首を並べて読んだときに、一連の連作と読み切れない作品群であることはとてもよくわかる。アンソロジーである『えーえんとくちから』はどこからでも読める作りになっていて、「私②」などないと言われれば、きちんと理論的に反論できずもどかしい。だが、笹井宏之という歌人が世界をどうとらえていたか、また、笹井宏之本人の生き方、考え方を丁寧に一首から追うことで、「私②」のみならず「私③」の痕跡を探してみたいと思うのである。

えーえんとくちから 笹井宏之作品集

えーえんとくちから 笹井宏之作品集

 

 

ひとさらい 笹井宏之第一歌集

ひとさらい 笹井宏之第一歌集

 

 

近代短歌の範型

近代短歌の範型

 

 

 

長谷川知哲さんのブログで短歌が紹介されました

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

長谷川知哲さんのブログ「切磋琢磨Blog」にて、私の短歌が紹介されました。

 

有隣堂の文庫カバーをひとつずつ集めて作る本棚の虹(太田青磁)

切磋短歌Blog 短歌人会員2 その3 2016/12

 

長谷川知哲さん、ありがとうございました。

短歌人東京歌会に参加しました。

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

12月11日に短歌人の東京歌会に参加しました。
年内最後の歌会とあって、見学の方も含め50首の歌を読みあいました。
先月は東京歌会に参加できず、勉強会や読書会、文学フリマなどに参加していたので、遠征を終えてホームに戻るような感覚がありました。

今回は「眠」の題詠でした。
楽しい眠りも苦しい眠りもあり、サスペンスのような眠りもファンタジーのような眠りもあって、いい題詠でした。

歌会のあとは忘年会でした。
忘年会も30人ものメンバーが集いにぎやかな会でした。
歌会のうたはもちろん、歌集の話や賞の話なども盛り上がりました。

来年から新たな体制となる短歌人にぜひ期待をお寄せください。

短歌人10月号 Selection(おのでらゆきお選)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

10月号に投稿した作品をSelectionに掲載いただきました。

 

歌人2016年10月号会員2欄Selectiion  おのでらゆきお選

想像がふんわりとふくらむ、詩情豊かな新鮮味のある、うた

 

茂吉、鉄幹、晶子、文明の碑が並ぶ草津にゆかりの百人として

 

選をくださいまして、どうもありがとうございました。

短歌人2016年12月号

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

今月の月詠です。

歌人2016年12月号 会員2(太田青磁)  

 

エクセルに埋め込まれたる関数をほどきて半期決算となす

目の遠くなりゆく上司に頼まれて細かなメモの文字音読す

有隣堂の文庫カバーをひとつずつ集めて作る本棚の虹

手元の本に時間をすべて奪われて地下鉄(メトロ)に遠く運ばれてゆく

二人乗り二輪車禁止の標識がやけに明るく光る首都高 

新しく入会された方も月評欄に掲載されていて刺激を受けますね。
短歌の感想などお聞かせいただけるとうれしいです。

さまよえる歌人の会に参加しました(中山俊一『水銀飛行』)

こんにちは、短歌人の太田青磁です。

11月26日(土)にさまよえる歌人の会に参加しました。

先月の会で染野太朗さんから、中山俊一さんの歌集を薦められて一気に読んでしまった勢いで、はじめてのレポーターとして発表の機会をいただきました。

もう一方のレポーターは、稀風社の鈴木ちはねさんでした。緊張している私に先攻を譲ってくださいました。

『水銀飛行』の巧みで多彩な場面設定と浮遊感のある文体について、当日の発表と会場からいただいたご意見をもとに、いくつか紹介します。

■季節

息継ぎのように今年も現れて夏の君しか僕は知らない

それは音もたてずに秋のセグウェイはぼくをひとりにしないだろうか

春の夜はビオフェルミンの薬瓶へぽぽれぽぽろと沸く春の夜は

ひとすじの地平線を内包する紙飛行機は冬風を越え

 季節の歌がたくさんあって場面を際立させていると感じました。

一首目、クロールの息継ぎのように「夏」だけ水面に顔を出して、秋・冬・春は水面に潜っているかのようなイメージ。二首目、秋の歌は歌集にわずか二首なのですが、一人乗りのセグウェイに孤独を重ねてしまいます。三首目、不思議なイメージのオノマトペを春の夜のリフレインで包んでいます。四首目、紙飛行機と地平線を冬の澄んだ風に乗せた巻末の歌です。

■天候・気候

七の段くちずさむとき七七の匂いに満ちる雨の土曜日

あゝぼくのむねにひろがるアコーディオン抱けば抱くほど風の溜息

マニキュアは咳止めシロップの味に似て雪の微熱に埋もれていたよ

予備校を終えて少女ら自転車のサドルを拭いた。銀河は晴夜

続いて、天候や気候のもつ体感覚を描いた歌です。湿度も感じました。

一首目、七七とくちずさむときのくちびるの動きを匂いと雨の感覚に寄せています。二首目、アコーディオンの音に心地よい風を溜息として響かせています。三首目、雪の冷たさと相反する微熱をマニキュアと咳止めシロップのカタカナで切り取っています。四首目、雨上がりの風景を遠くはなれた銀河から見ているかのようです。

■色彩

青い犬走れよ 絵の具が渇いても筆洗バケツの水でありたい

海沿いのバス停にある橙の(おそらく不法投棄の)ソファー

恋人のかたちが好きだ赤い螺旋階段を生む林檎とナイフ

色彩のコントラストがビビッドに迫ってきます。

一首目、歌集に頻出する青の歌。絵の具が渇くという表現に惹かれます。二首目、海沿いのバス停という青やグレーのイメージに対照的なオレンジをぶつけています。パーレンによって暗示された謎が回収されない感じも受けます。三首目、強い言い切りの口調と赤と刃物が並置されてくっきりとした景が浮かびます。

■登場人物

うけいれるかたちはすべてなだらかに夏美のバイオリンの顎あて

俺たちは違反速度で駆け抜けた。それが教習コースと知らずに

李さんは星的寡黙ローソンの制服のまま帰ってきた夜

一首目、夏美は寺山修司の「夏美の歌」(と教えてもらいました) からでしょうか。上の句のひらかれた文字に対して、夏美、バイオリン、顎、とかっしりした言葉で受けています。二首目、俺たちと言う台詞を後ろから見つめるような視線が感じられます。三首目、李さんのキャラクターが戯画的に描かれた一連は匿名性の強い歌集の中に奥行きを感じさせます。

■浮遊感のある文体

除夜ッ除夜ッと夜を除いて雪のふる明るい箇所を選んで歩め

案山子になる。あなたがぼくの顔を描く。あなたの僕の顔を描くのだ。

「それからは「夢のなかを「生きている「寝ても「醒めても「夢の中」 

 一首目、まるでオノマトペのように響く除夜ッの「ッ」がリズムを生んでいます。二首目、大胆に余らせた初句、ぼくの顔は描かれることであなたのものへとなってしまう不思議な感覚があります。三首目、字足らずを補う句の切れ目に「 が出てくるたびに夢の世界に閉じ込められていくようです。

 

当日、うまく話せなかったこともあるのですが、鈴木さんの一首一首を丁寧に読み解くスタイルの発表や会場の方々のコメントを聞いて、改めて素敵な歌集だなと感じました。参加者が選ぶ私が好きな一首もバラエティに富んでいて楽しい時間となりました。

レジュメの中に解釈しきれない歌をたくさん盛り込んでしまったことと、発表が終わったところでエネルギーが切れてしまって、後半の議論についていけなかったのは今後の課題ですね。自分なりの評価軸を掴んでいきたいと思いました。

参加されたみなさま、どうもありがとうございました。

水銀飛行 (新鋭短歌シリーズ29)

水銀飛行 (新鋭短歌シリーズ29)